【種の発芽条件】⑦ 『京一/ドンとドク』
「大丈夫か、キョウイチ? しっかりするんじゃ、キョウイチ」
繰り返し自分を呼ぶサキの声が、頭にゆっくりと染み込んできた。
京一はゆっくりと意識を取り戻した。
自分がまだ真っ暗な棺の中に閉じ込められている感覚が残っている。その感覚を振りはらい、よろめく足で京一は立ち上がった。
全身が汗でぐっしょりとぬれていた。
♣
「ああ、大丈夫だよ……」
京一は言った。
「キョウイチ様、ずいぶん顔色が悪いですよ」
【カゼ】が心配そうに恭一の顔を見上げてくる。その可愛らしい表情に京一は少し微笑んだ。
「……本当に大丈夫だよ。それより早くドンを迎えに行こう」
京一はよりかかるようにして【ドン】の刻印のある扉をそっと開いた。開いた扉の隙間からパラパラと土の固まりが足元に転げ落ちる。扉をさらに開いていくと、今度は土の塊がゴロゴロと転げ落ちた。
どうも今までの牢屋とは違う感じがする。
♣
「ドン、そこにいるんだろ? 力を貸してほしいんだ」
京一は体重をかけて重い扉をゆっくりと開け放った。
まず目に飛び込んできたのは、部屋の中央に高く積み上げられた粘土の山だった。視線を上げると、その粘土の山に座る大きな人影が見えた。
その人影は京一が見上げるほどの巨体で、四角い頭と、四角い体、そこに四角い手足がついていた。その姿はまさにゴーレムそのものだった。
「きみが……【ドン】なのか?」
そのゴーレムがのんびりと首をめぐらせて京一を見つめた。
言葉がでてくるのを待って、しばらく見つめあう。
どれほど待っただろう? しばらくしてドンはゆっくりと一度まばたきした。
それからもう一度パチクリと。
♣
「おおぉ。すごぉく、ひさしぃ、ぶりぃ、だなぁぁぁ。キョウイチ」
ドンはずいぶんとのんびりとした調子でそう言った。
そう言いながら立ち上がり、一歩一歩ゆっくりと足を動かし、京一に近づいてくる。その一歩ごとに地響きが起こり、京一たち三人は、わずかに地面から浮かび上がっていた。
「……なにかぁぁ、ヨウかなぁぁ?」
ドンのしゃべり方はずいぶんとゆっくりしていた。
ドンは京一の前までやってくると、巨体を屈め、しゃがみこんだ。すると目の高さが立っている京一と同じになった。
「ああ。キミの力を貸してほしいんだ」
「……おでのぉ? チカラぁ?」
ドンの目は粘土ではなく、四角い青い宝石がはめ込んであるような感じだった。その目は確かに無表情ではあったが、どこか優しくて柔らかな印象だった。
♣
「そう、君の力を借りたいんだ」
「……なるほどなぁぁ! うん。なるほどねぇぇぇ」
ドンは指でゆっくりと顎の先をなでた。またぽろぽろと粘土の塊が落ちてくる。ドンはそうやってしばらく考え込んでいた。
京一は待った。
カゼやサキも同じく待った。
しかしいくら待ってもドンは動かず、返事を聞かせてくれる様子もなかった。
それでもずいぶんと考えているようだったから、せかすのも悪い感じがした。
それはカゼやサキも同じだった。
京一と同じく、時折ゴクリと唾を飲み込みながらドンの返事を待った。
やがて……それこそ10分もたったように感じられた頃、ドンは再びゆっくりと口を開いた。
「……おでのぉ、チカラをぉ……貸すのかぁ?」
♣
「そう! 力を貸して欲しいんだ!」
京一はすぐにそう答えた。
「……なるほどぉ。そうかぁ。おでのぉ、力をぉ、貸してほしいんだなぁ?」
そういうドンは嬉しそうだったが、のんびりペースのままだ。そのままボリボリと顎を掻いて、また粘土を落とし、口元を嬉しそうに広げた。
京一はドンのペースにちょっとイライラした。だがそれは京一でなくとも同じだった。サキとカゼもまたいらいらと指先を動かし、ドンがしゃべり終えるたびに小さなため息を吐いた。
「あの、キョウイチ様? この人、頼りになるんでしょうか?」
カゼが京一の手を引き、そっとささやいた。それに答えたのは、京一の頭につかまっているサキだった。
「大丈夫じゃ、確かにまぁずいぶんのんびりしておるけど、こやつの力は絶対必要なんじゃ」
そして5分が過ぎたように感じられた頃、ドンはようやく答えを出した。
♣
「……うん。いいよぉ。おでのぉ、力をぉ、あんたにぃ、貸すよぉ、あ」
ドンがそれを言い終えるまでに、さらに10分が過ぎたような感じだった。
「ありがとう! ドン」
「やりましたね、キョウイチ様」
カゼが嬉しそうに京一を見上げていった。
「これで三人目じゃ! 最後の仲間を解放しに行こう!」
サキもほっとした様子で言った。
「さぁ、行こうぜ! ドン」
京一はそう言ってすこし後ろに下がった。
ドンがゆっくりと立ち上がる。やはり大きい。軽く二メートルはあるだろう。角ばっている泥の体は、ボディービルダーの筋肉を思わせ、ものすごい力を秘めているように見えた。
ドンは立ち上がり、お辞儀をするように腰をかがめてゆっくり扉をくぐった。
と――、その動きがゆっくりと止まり、ドンの口がまた開いた。
「……あ、あのぉ。そのかわりぃぃ」
京一たちは思わず立ち止まった。
ドンの話はまだ終わっていなかった。続いていたのだ。
「……ひとぉつ、条件がぁぁ。あるんだなぁ」
京一はその間にサキの言葉を思い出していた。サキは今度の相手はしっかり交渉しろといっていた。
いったいどんな条件を出してくるつもりだろう?
何かを得るためには何かが失われる。それが世の中というもの。
ましてドンのような巨大な力を手に入れるならば、それ相応の対価がひつようなのだろう……考える時間だけは山ほどあったので、悪い想像ばかりが思い浮かんでしまう。
♣
「……それはぁ、おでのぉぉ」
そう言ってからドンは少しうつむいた。
なにか言いづらい事を口にしようとしているのだろう。さらにドンはためらっていたものだから、次の言葉が出てくるのはなおさら遅かった。
「……て、てぇ、をぉ……」
て? 手? 京一はすぐにピンときた。
ドンがうつむいた理由もすぐにわかった。
たぶん、ドンは照れているのだ。
京一はドンに向かってすたすたと歩き出した。
サイコガーデンの仲間たちは、子供だった自分が作り出した存在だった。
言ってみればみんなが京一の子供であり、同時に大事な友達だった。
彼らは長い間部屋に閉じ込められ、さびしい思いをしてきたに違いなかった。
♣
「ドン、オレと手をつなごう!」
京一はにっこり笑ってドンの大きな手を掴んだ。その手は岩でできたようにザラザラで分厚くて、電話帳みたいに大きな手だった。
「そ……そう、なんだぁ……」
ゆっくりと、あまりにもゆっくりとだが、ドンの顔に微笑みが広がった。そして彼は大きくうなずいた。
「……よくわかったなぁぁ、キョウイチぃ、ありがとぉ」
♣
京一は新たに仲間になった巨人の手を引き、さらに廊下の奥へと歩き出した。
カゼがすぐに左手にギュッとつかまってきた。さっきよりもずいぶん力が入っている。たぶんドンに京一をとられると思っているのだろう。
そういえば、サキもなんだか密着して肩車している。
ドンは京一の右手をつぶさないように、しかし満面の笑みを浮かべて、しっかりと手を握っている。
♣
それは今が戦いのさなかとは思えない穏やかさだった。
だが、今、この瞬間がとても大事な時間だと、京一はなんとなく気付いていた。
みんなで大切にしなければいけない瞬間だと。
♣
「さて行こう。これで残るはあと一人じゃ!」
サキの声で、四人は再び廊下を歩き出した。が、サキが示したのは、意外にも入り口に戻る方向だった。京一はもっと奥に進むとばかり思っていたので、これは予想外の展開だった。
「おお、おお、ここじゃった」
それは通過してきたばかりの扉だった。
サキは掴んだ京一の頭をぐるりとその扉に向け、耳元に囁いた。
「……とりあえず、最後の一人じゃ。今度も慎重にやるんじゃぞ、京一」
「ああ。分かってる」
「……あで? ひょっとしてぇ、あいつぅ、かぁ。そういえばぁ……」
意外にもドンが言葉をはさんだ。
だがその呟きのタイミングはなんとも遅く、誰の耳にも届いていなかった。
「……だがその前にまた過去と向かいあわないとな」
どうやらこのプロセスだけは避けらないようだった。
京一はポケットに手を入れ、再び鍵を取り出した。
♣
「がんばってください、キョウイチ様。全ては過去のこと、終わったことなんですからね」
カゼが京一を心配そうに見上げてそう言う。
「ああ、わかってる、ありがとう」
右手を伸ばし、名前を刻まれたドアプレートに指先を滑らせる。
【ドク】
その文字はドクと刻まれていた。
正直なことを言えば、怖かった。どの過去も全てがつらい思い出に結びついていた。それこそ死ぬほどつらいような過去ばかりだった。
しかし覚悟はできていた。今はとにかく前に進むしかないのだ。
♣
だがそのとき、思いがけないことがおこった。
ギィィ、と、ちょうつがいをきしませて、ドアが動いたのである。
「空いてる?」
ドアはわずかだが、確かに開いていた。
「そんな馬鹿な……出たのか? 自分から出られたのか?」
サキは呟いた。彼も本当に驚いているようだった。
「ということはどこかにいるんですね!」
カゼがさっと腰を落として身構えた。
その体の周りで、空気が高速で回転し始めた。
「これは、どういうことなんだ?」
と、京一はドンがゆっくりと右手を上げているのに気がついた。ドンはその大きな右手の、大きな人差し指を、廊下の奥の暗闇に向けていた。そして今になってようやく言葉の続きが、その口から漏れ出した。
「……そういえばぁ、ドクはぁ、いつもぉ、外にぃ、いるんだどぉ」
♣
京一は廊下の奥の暗闇に目をこらした。
白い服を着た何かが、幽霊のようにゆっくりと揺れながら近づいてくる。
「わたしにぃ、ヒック、なにかぁ、ウィー……ようかぁ?」
その声は中年の男の声だった。
それもひどく酔っ払ったような声だった。
(こいつが【ドク】なのかな?)
京一は暗闇に向き直り、その人影がやってくるのを静かに待ち構えた。
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