【刈入れの季節】⑭ 『京一/乱戦の中で』

 京一は現実の世界に戻った。


 足元には大量のガラス片が散らばり、あちこちに鋭い切っ先をのぞかせて、きらきらと輝いている。スニーカーを履いていても、歩けるような状況ではない。


 目を上げると、敵の学生たちがカウンターを乗り越え、殺到してこようとしていた。その憑りつかれたような目、勢いを止めない走りからして、どうやら足元のガラスは気にならないらしい。


   ♣


(さて、ここからだな)

 京一は心の中のサキに語り掛けた。


(……ああ、ここからじゃな……)

 サキが応えた。


 敵の数は全部で十三人。


 真ん中にアメフト男が一人。あいつには一瞬前に弾き飛ばされた。

 野球部の男が三人、彼らはしっかりとバットという凶器を持参している。

 空手の男が二人、彼らは素手だが、その拳も足も凶器みたいなものだ。

 ランニング姿のバスケットマンが四人、無害そうではあるのだが、やはりこの体格差は圧倒的に不利だ。

 最後の三人はカウンターの向こうにいるアーチェリー部。体格的には貧弱かもしれないが、彼らが手にしている武器は殺傷能力抜群だ。


(……だいぶ、不利な状況じゃな……)

 サキの声が聞こえてきた。だが言葉ほど不安がっている様子はない。


(ああ、飛び道具を持ってる奴もいるしね)


   ♣


 そのアーチェリー部が、カウンターの向こうで、長いトゲのようなものがついたアーチェリーを一斉に持ち上げるのが見えた。すでに弓矢はセットされている。そのままゆっくりとした動作で、ジリジリと弦を引いてゆく。


 その光景だけで胃がひきつりそうになる。それは自分に銃口が向いていることと何も変わらない。もっとはっきり言えば、死を宣告されたことと同じだ。

 だが、まだ撃つ様子はない、今はただ構えているだけだ。


(なぁサキ、アレってよけられるのか? その軌道の計算とかして?)

(……ムロン、計算ならできる……)


(そっか! ならまだ勝ち目はあるかもな)

(……じゃがな、軌道の計算が出来ても、お前さんの体があの矢より早く動けなければ、なんともならんぞ?……)


(そういうことかよ)

(……じゃが、今はまだ仕掛けてこないじゃろう。まずは手前のそいつらを何とかするのが先じゃ……)


   ♣


 そうしているうちにアメフト男がカウンターを乗り越え、床に降りたち、タックルの構えをとった。かかとをカウンターに当て、スタートダッシュの構えだ。ただ、その姿勢のまま止まっている。


 どうやら何かしらの作戦を立てているような気もする。。だが彼らがそれを相談しているようなシーンは見ていなかった。


(……ほれ、ボサッとしている暇はないぞ!)

 サキの声が響き、京一は再び目の前に集中する。


   ♣

 

 野球男たちがカウンターを滑るように乗り越え、バットを振り上げながら、狭い通路を正面からまっすぐに向かってきた。


(来たっ!)

 京一はとっさに逃げ道を捜した。少なくともこのガラスだらけの床で戦うのは避けたい。すぐ両側には長い調理台があり、まずはこれを乗り越えた方がよさそうだ。


(……気をつけろ、キョウイチ。それは敵も読んでおる……)


 バスケットマンがカウンターを大きく飛び越え、そのまま調理台に飛び乗った。思えば分かりやすい状況だったが、バスケットマンがそんなにも軽々とカウンターを飛び越えるのは予想外だったのだ。

 彼らは調理台のステンレスの上を、左右から逃げ道を塞ぐように、その長いスライドであっという間に京一に迫った。


   ♣


(逃げ道は……ないようじゃな……)

 サキがヤレヤレといった様子で告げた。


(マジかよ。事態が全っ然、好転しないな)

 京一はもう一歩退いた。ガラスの破片がスニーカーの底でバリンと砕ける。その音、その感触に背筋に寒気が走った。


 それでももう一歩、またもう一歩と下がり、そこで背中が壁に当たった。

 正面からは野球部、一段高くなっている調理台の上をバスケットマンが迫ってくる。


 どうやら完全に追いつめられたようだった。


   ♣


「もうやるしかないよな、サキ。でも、あの時みたいに、相手の攻撃さえ読めれば、切り抜けられるはずだよな?」

 京一は壁に背を預け、独り言のようにそうつぶやいた。


(……それは相手が少ない時の場合じゃ。これだけの人数相手ではそう上手くはいかん。……)


 サイコロ? 足りないのはサイコロなのか? なんだかイヤな予感しかしない。サイコガーデンを出た時は、なんだかもっと勝算がある気がしていたのだ。サキがいればなんとかなる、そんな確信があったのだ。


(じゃあ、どうすればいい?)

 だからそんな質問しか思いつかなかった。


、そう言ったのはおまえさんじゃろう?)

(そうだった……でもどうやって借りるんだ? オレはそのやり方を知らないんだ)

 サキが頭の中でヤレヤレと首を振るのを感じた。


……)


   ♣


 サキの言葉が終わらぬうちに、左右からバスケットマンが襲いかかってきた。

 彼らはカウンターを走り、最後の一歩を飛び上がるように、両足をそろえてキックを放ってきた。いわゆるドロップキックというやつだ。ずいぶんと大きくて派手なバッシュウが、みるみる大きく迫ってくる。



 それでも京一はとっさに身をかがめた。

 バスケットマンのキックはよけられたが、勢いのついたままの彼らの体が、京一の上にドサリと落ちてきた。体重もかなりのものだ。

 そのままもつれ合うように三人は床に転がった。

 床に落ちたガラスの破片があちこちで皮膚を切り裂き、三人の体にみるみる血がにじんでゆく。

 だが痛みも出血も今は後回しだ。その程度のダメージだ。


(とにかく一瞬を稼げばいいんだな!)

 京一はすぐに起き上がろうとした。が、Tシャツの襟元をバスケットマンにつかまれ、再び床に引きずるようにして倒された。


(サキ! 一瞬なんだろ? なんとか、なんないのか?)

(なんともならん!)


   ♣


 京一は自分のTシャツの襟元を掴むと、力いっぱい引き裂いた。これでなんとか動けるようになった。

 もつれたままのバスケットマン二人をほどくようにして立ち上がる。そのまま走り出そうとしたところに……野球男がいた。

 バットを上段に振り上げ、スイカ割りでもするように、バットを頭に向けて振り下ろす寸前だった。


!)


 ガツッ、と鈍い音がした。それはバットが床のタイルに叩きつけられた音だった。まさに足の間。よけられていなかったら、と思うとぞっとする。

 京一はよろよろと後退し、バスケットマンにもつれてまた転んだ。


(これ、やばいな……本当に死ぬかも……)

(キョウイチ、早く立つんじゃ!)

 サキの声が脳裏で大きく響いた。

 

   ♣


 目の前にアメフト男が肩を突き出すようにして走りこんでくるのが見えた。


「おおぉぉぉぉぉ!」


 狭い調理場いっぱいをふさぐように、重心を低く保ったまま、雄たけびを上げながら全力で走ってくる。


(やばい、やばい!)

 京一は立ち上がろうとした。だが足元のバスケットマンたちもまた立ち上がろうと、やたらと長い手で掴みかかってきて、うまく立ち上がれなかった。


「離せ、お前らも逃げろよ!」

 京一は思わずそう叫んだ。すると野球男たちがバットを放り出し、カウンターの上に避難した。


 アメフト男は地下鉄のように、狭い調理場の間を走りこんでくる。床にばらまかれたガラス片をバリバリと踏みしだき、巨大な肩を突き出して突進してくる。


 バスケットマンたちはその時になって目の前に迫る危険に気が付いた。だが逃げられるリミットはすでに過ぎていた。あとは目前に迫る危機をただ眺めることしかできなかった。


 そして……


   ♣


(やばい、逃げられない!)


 京一は思わずアメフト男に向かって両手を突き出した。それは反射的に腕が動いただけだった。それだけでこの突進が止められるはずもないのは明らかだ。それでも手に力をこめ、来たるべき衝撃に備え歯をしっかりとくいしばった。

 

 ちょっと前にこのタックルに跳ね飛ばされた衝撃を思い出した。それこそ車に轢かれたような、簡単に体が吹っ飛んでいく突進力だった。しかも今回は後ろに壁がある。


(つぶされるよな……これじゃ……)

(でもひょっとしたら、それを見越して奴も加減するかも……)

(でもあの目を見る限りじゃ理性は吹き飛んでるし……)

(それに加減したところで何本骨を折られることになるか……)


(……あれ?)

 いつまでたっても衝撃はやってこなかった。


 おそるおそる目を開けてみる。

 しっかりと伸ばした両手の先、その触れるか触れないかの位置にアメフト男の肩があった。巨大な肩を突き出し、その姿勢のまま、彫像のように立っている。


 


   ♣


 やがてゆっくりとアメフト男が後ろに下がりだした。一歩、また一歩と慎重に後ろ向きに歩いていくように見える。靴底についたガラス片が勝手に抜け、床に並んでゆく。

 カウンターに乗った野球男が、ゆっくりとした動きで浮き上がり、京一の前にフワリと立った。同時に床に落ちていたバットが自然と浮かび上がり、魔法のようにその手に握られた。


(サキ、時間を戻してくれたんだな!)

 京一にはそれがすぐわかった。


(……ゲンミツには予測を見せただけじゃ……)


 さらに逆回転は続く。京一自身もゆっくりと起き上がり、その目の前をバットの先端が下から上へと上がっていった。

 破いたTシャツが元通りに再生していき、バスケットマンたちは両足をそろえた体勢で、カウンターの上へスーッと浮かび上がった。


 そして状況は、


   ♣


(さて、これからが本番じゃ……)



   ♣


「ふっ」


 京一は短く息を吐いた。

 まず後退することをやめた。

 体も心も、後ろに下がろうとしていたが、なんとか気力で抑え込んだ。

 ありったけの勇気をかき集め、迫ってくる現実と敵を見据えた。


 今は下がっちゃいけない。

 下がったところで袋小路になるだけなのだ。

 その結末はすでにサキに見せてもらった。


 だから京一は敵に向かって走り出した。


 


(……おい、いくらなんでも突っ込むのは無謀じゃ!……)

 サキの声が聞こえた。


(わかってる! でも、考えがあるんだ!)


   ♣


 京一は両側からバスケットマンが走ってくるのをちらりと見た。

 彼らの攻撃は分かっている。驚いたふりをして少し立ち止まる。

 すると、彼らは両足をそろえて、同時にドロップキックを繰り出してきた。


 京一はすばやく身を屈め、そのまま前転した。背後でバスケットマンが空中でぶつかり、そのままもつれるように床に落下した。



 京一は前転からすばやく立ち上がる。

 すると思った通り、野球男がバットを振り上げていた。

 だが攻撃を予想していた分、一瞬早く反応できた。


 京一はすばやく左手を伸ばし、相手の手首を掴んだ。敵が一瞬ひるんだ隙を逃さず、すばやく右拳を咽喉にたたき込んだ。


 これは剣道の技の応用だった。上段で構えている時には、手首をつかまれると振り下ろす力というのが弱くなってしまうこと、また構えているときには咽喉が無防備になることを経験から知っていたのだ。


   ♣


(キョウイチ、おまえ……すごいな!)

 サキが驚いたように声をもらした。

(少しは見直したかい?)


 そして京一は野球男からバットを取り上げた。

 竹刀とは勝手が違うが、棒切れであることに変わりはない。

 これなら少しはまともに戦えるだろう。

 だがとにかく今は次の攻撃だ。


 京一は野球男が崩れ落ちる前に、その胸元を掴んだ。その体勢から助走をつけてそのまま通路の奥へと投げ飛ばした。


 と、その野球男の体が、弾かれたように、再び空中に浮かんだ。

 そう、まさに跳ねられたのだ。

 アメフト男のタックルに……


   ♣


(おいおい、これは逃げたほうがいいんじゃないのか?)

 焦ったサキの声が聞こえてきた。


 無理もないよな、京一は内心そう思いながらも、しっかとアメフト男を睨みつけた。俺だって焦ってる。出来ればこの場から逃げ出したい。

 だが逃げたところで逃げ切れないのだ。


 


「おおぉぉぉぉぉ!」

 雄たけびを上げてアメフト男がぐんぐんと迫ってくる。

 巨大な肩を怒らせ、狭い通路いっぱいに、巨体を揺らすようにして一歩一歩近づいてくる。


   ♣


(こりゃまずいぞ、キョウイチ、どうするんじゃ?)


(こうしてやるのさ……)

 京一は右足をスッと一歩後ろに引いた。

 そして竹刀ならぬバットを両手でゆったりと構えた。


 ざわめく心を落ち着かせ、目の前に迫るアメフト男を見据えた。

 緊張がないわけではない。恐怖を感じないわけでもない。

 額には汗がうっすらとにじんだが、不思議と心は澄んでいった。


 勝負は一瞬。タイミングがすべてだ。


「でやぁっ!」

 そして握りしめたバットに気合いを込めた。

 それから上段に振りかぶると、一気にバットを振り下ろした。


 ドカッと鈍い音が手の先から伝わってきた。

 バットは真芯でヘルメットの頭頂をとらえていた。

 アメフト男の動きがぴたりと止まった。

 それから巨大な体がふらりと左右に揺れ、地響きを立てて崩れ落ちた。


   ♣


(まさか……殺したのか?)

 サキがおっかなそうに聞いた。

(たぶん大丈夫。そのためのヘルメットだからね。でも脳震盪は起こせたと思う)

(やれやれ、じゃな)


 そして京一はバットを再び構えた。

 敵はまだ残っている。


 その瞬間、右肩に激痛が走った。

 何かが体に刺さっている、そんな感覚があった。

 恐る恐る痛みの広がった右肩を見てみる。


   ♣


 そこに一本の矢が刺さっていた。

 Tシャツの上からずいぶんと深く、しっかりと刺さっていた。

 Tシャツにじんわりと血の染みがひろがっていった。


「痛ってぇぇ……」

 つい声が漏れた。

 続いて、ドスッという音と共に今度は左肩に痛みが広がった。

 左肩からも矢が生えていた。

 顔から血の気が引き、急に力が抜けてバットが手からこぼれ落ちた。


 ドスッ、ドスッ。

 今度は右の太ももと、左の太ももに、一本ずつ矢が突き刺さった。

 あまりの痛みと急激な出血に、頭が痺れ、視界が靄に包まれた。

 敵は……

 まぁ見なくても分かるが、あのアーチェリー部だった。


 彼らは次の矢をつがえ、その先端をこちらに向け、ギリギリとゆっくり弦を引いてゆく。


   ♣


…………?)


 京一はとうとうがっくりと膝をついた。

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