【刈入れの季節】⑫ 『京一/サキの予言』

 京一は再び、荒れ果てた庭の真ん中に立っていた。

 先ほどまでの混乱が嘘のように、ここは静かだった。

 見上げた空は青く、暖かな風が吹き抜けていった。


 それでも、ここに来るのはやはり気がすすまない。

 心がざわついて仕方がない。

 だが同時に懐かしいような、故郷に帰ってきたような、そんな気がするのも確かだった。


   ♣


(……なんて、くつろいでいる場合じゃないな)


 初めてここに来た時に現れた、金髪の男のことを思い出す。

 その男は【ファーザー】と呼ばれていた。

 初めてこのサイコガーデンにきたとき、京一はナイフを持ったそのファーザーに追いかけられたのだ。

 京一は一つ息を吐き、ぐるりと周囲を見回し、物音に耳を澄ませた。

 今のところ、人の気配はない。この庭にいるのは自分一人のようだ。


(あいつに見つかる前に、サキに会わないと)


 京一は足早に屋敷に向かって歩き出した。


   ♣


 傾いたままの正面の扉をくぐりぬけ、屋敷の中に入りこむと、ホールの左手にあるドアに向かってそのまま歩いた。

 考えてみれば、ここにくるのは三ヶ月ぶりだ。だがここではまったく時間の流れが感じられなかった。

 三か月前と何ひとつ変わっていない。


(精神世界ってそういうものなのかな?)


 不思議に思いながら、目の前の軋む扉をそっと開け、すぐ左手の階段を地下へと下りてゆく。

 薄暗い通路を奥へと進むと、あの時と同じように通路をいっぱいにふさいだ鉄格子が見えてきた。

 天井では裸電球がゆっくりと揺れ、床にはとぐろを巻く蛇のように、切られた鎖が落ちているのが見えた。前に来た時にファーザーが断ち切った鎖だ。ただ扉には再び鍵が掛けられていた。鎖ではなく、扉に直接、南京錠が掛けられている。


   ♣


「……サキ、俺だよ、京一だ。助けてほしいんだ……」


 京一は廊下の向こうに伸びる暗闇に向かって、そっと声をかけた。

 大きな声を出さなかったのは、ファーザーと、廊下の奥にいる怪物に気づかれたくなかったからだ。


(だいたい、この鍵は誰がかけたんだろう?)

 ふと、そんな疑問が湧く。あのファーザーがわざわざ掛けたのだろうか? 看守のような役目を果たしている? だがそんな風には思えなかった。むしろ彼を中に入れないために鍵をかけている気がする。

 

 京一はポケットに手を入れてみた。その指先がひんやりとした小さな金属に触れた。取り出してみると、やはりそれはあの時の鍵だった。

 京一は鍵をあけ、さらに奥へと進んだ。


   ♣


 それにしてもここは不気味なところだった。

 通路の両側には分厚い木の扉が延々と奥まで続いている。

 初めにここに来たときには分からなかったが、今ならばこの扉の意味がわかる。

 このドアの一つ一つにサキのような存在が閉じ込められているのだ。


「……サキ、いるんだろ?……」

 京一は薄暗い廊下をゆっくりと奥へと歩いてゆく。

 サキの返事はまだ聞こえない。


「……なぁ、声を聞かせてくれ。ここは暗くて、お前のドアがどれか分からないんだ……」

 ずらりと並んだ全てのドアには、のぞき穴がくりぬかれ、その下には部屋の住人の名前がナイフで直接刻まれている。


 見落とさないようにドアに刻まれた名前に触れながら先に進む。

 ハイ、トラ、ガン、ドク、いろいろな名前が彫られている。

 と、その時――


   ♣


「………………」


 通路のはるか奥から、恐ろしい声が流れてきた。


【サキ】の声ではない。

 恐ろしい何か、サキが言っていたの声だった。


 そして京一は【笑い男】から聞いた話を思い出した。


『…………』


(あいつがその【レイ】なんだろうか?)

 京一は先を急ぎながら、心の中で思った。


   ♣


「……ああ、その通りだ……俺の名はレイ。オマエがつけた名前だ。忘れたのか?……」


(こいつ、俺の考えていることが分かるのか?)


 声に出したわけでもないのに、返事はすぐに奥から聞こえてきた。


「……ああ、そうさ。この場所は、おまえの心の中。

 、そうだろ?……」


 言葉の最後に、含み笑いのような声が続いた。


「かもな。でも今は用はないんだ」

 京一は暗闇の奥に向かって囁いた。声は小さくても聞こえているはずだ。


「……まぁ、聞け。キョウイチ、悪い話じゃないはずだ……」


「聞こえないね、聞く気もない」

 そうしながらサキの部屋を探し、奥へ奥へと歩いていった。


   ♣


「……俺はちゃんと聞いてたぜ……【笑い男】は俺に会いたがっている……サキみたいなジジイじゃなくな……」

「知らないね、今の俺にはサキが必要なんだ、おまえじゃない」


「……おまえは俺を恐れているんだ……だから解放しないだけなんだろ?……京一、そんな心配は無用だ。……」


 レイの声は恐ろしかったが、その声には真剣さがあった。

 誠実さ、すら感じさせた。


   ♣


【レイ】を呼び出してみたい気持ちは確かにあった。

 レイの持つ力が最強だというなら、この場を切り抜けるためには一番の近道かもしれない。

 だが、京一には何かが引っかかっていた。


 ただの勘でしかないが、

 そんな気がしてならなかったのだ。


   ♣


「……俺を解放しろ……お前が生き残るすべはそれしかない……」


 京一はレイの声を無視した。

 無視してとにかくドアを探した。


 どうしてサキは返事をしないのだろう?

 ここで何かがあったのだろうか?


「……そうさ、サキはおじけづいてる……奴では力不足だよ……キョウイチ、お前は力を求めているんだろう? なにをためらう理由がある?……」


「言っただろ? おまえに用はないんだから話しかけないでくれ」


「……、それがお前の望みであるはずだ。思い出してみろ、京一…………」


「悪いけど、俺には記憶があんまりないんだよ、黙っててくれ」


   ♣


 サキの部屋はまだ見つからない。返事もない。

 ただレイのささやきだけが廊下の奥の暗闇から漂ってくる。


「……俺を生み出したのは京一、お前だ。お前が強く望んだ最強の力、それが俺だ。京一よ、目をそむけるな、自分の過去に、俺の存在に、力を求めることに……正面から俺と向きあえ、そして俺を、俺の力を、解放するんだ……」


「俺は逃げてるわけじゃない」

 と、ようやくサキのドアを探り当てた。


 ドアにはくっきりと【サキ】の文字が刻みつけられている。

 京一は右のポケットを探ってみた。やはり鍵はそこにあった。

 すばやく鍵穴に滑り込ませ、扉を開いた。


 サキはそこにいた。


   ♣


「サキ、どうして答えてくれなかったんだ?」

「夢を……見ていたんだよ……」


 サキは小さな粗末なベッドの上に腰かけていた。暗闇で見るサキの姿は子供のように見えた。背中を丸め、くたびれたように膝に手をついている。


「夢?」

 京一はゆっくりと部屋の中に入った。

 小さな机の上でロウソクが瞬いていた。

 その机の上には奇妙な文字で書かれた小さなノートと、短くなった鉛筆、それに二つのサイコロが見えた。

 今日はそのほかにも半分だけ食べられたパン、小さなスープ皿と木のスプーン、水の入ったコップがのっていた。

 京一はその光景に、あらためてサキが生きているということを感じた。


   ♣


「……ワシはな、一分先の未来が見える。だがそれだけじゃないんだ。もう少しサキのことも、ぼんやりとだが見えるんじゃ」

「それよりさ、ちょっと一緒にきてほしいんだ、キミの助けが必要なんだよ」


「知っておるよ、じゃがな……」

 サキは京一を緑の瞳でじっと見つめた。

 なにか様子がおかしかった。やはりここで何かが起こったに違いない。


「サキ、なにかあったのか?」

「あまりいい知らせではないんじゃ、だからこうしてためらっておる」


   ♣


「悪いけどさ、俺にも時間がないんだよ。こうしている間にも殺されるかもしれない。とにかく敵がたくさんいるんだ、俺一人じゃどうにもならないんだ」


「そのことなんだよ、キョウイチ……」

 そう言ってサキは再びためらった。


 サキはじっと自分の小さな手を見つめている。

 白い、狐のような尾は、ベッドの上でぐったりと垂れて動かない。

 が、やがてその顔をゆっくりと上げ、思いきったように京一を見つめて告げた。


「…………


 


 ……」


   ♣


 京一にとってもさすがに予想外の言葉だった。

 戦いを覚悟はしたけれど、死ぬ覚悟まではさすがに出来ていなかった。


 俺が死ぬ?

 死ぬ運命?

 どうして?

 どうやって?

 なんで?


 京一は頭の中から血の気がうせていくのを感じた。


   ♣


 死ぬのか……それはどういう感覚なんだろう?


 目の前から、世界の全てが消えてしまう。

 そして自分のいない世界がこれから始まる。


 なんとなくだが、そういうものだろうと感じた。 

 それは寂しく悲しい感じがする。

 だがそれだけのことでもあった。


 それが京一の思い浮かべた『死』だった。


   ♣


「それは……確かなのか?」

「おそらくな……あらゆる可能性を検討し、計算してみた」

 サキはちらりと机の上のノートを見た。

 それからサイコロを取り、お守りのように握りしめた。


「だが結果は変わらなかった。ワシたちはみんな死ぬ……」

「……そうか……キミがそう言うなら間違いないだろうな……」


 京一はそう呟いた。


 その時、不思議な感覚が京一の体を襲った。



 そんな気がしたのだ。


 今までは生きていくために、あらゆる努力をし、そのために恐怖も感じてきた。だが死ぬことが決まっているのならば、それもその時が間近まぢかに迫っているのならば、なにをためらう必要があるのだろう? 何におびえる必要があるのだろう?


   ♣


 扉の向こうから【レイ】の声が再び聞こえてきた。


「……京一、お前が生き残るためには、俺を解放するしかないんだ、これでハッキリしただろう? 俺を解放しろ! この扉をあけろ! さっさとこっちにこい!」


 だが京一はレイの声を完全に無視した。


「……アイツを開放する可能性も考えたんだろ?」

 サキはコクリとうなずいた。


「……それでも俺は死ぬ、そうなんだろ?」

 サキは再び小さくうなずいた。


「…………」


 サキは泣いていた。

 小さな体を震わせて、長く伸びた白いひげにポタポタと涙のしずくをたらしていた。悔しそうに小さな腕でその涙をぬぐった。


   ♣



 その声にサキがはっと顔を上げた。


 サキがその目にみたのは京一の笑顔だった。

 これまでとはずいぶんと違う雰囲気が京一を包み込んでいた。

 その姿は自信と勇気にあふれ、優しさがにじみだしていた。


「キョウイチ、それはそうじゃが……」


 京一はゆっくりと笑った。


「あとは死ぬまで戦い抜くだけだよ、それだけに心を集中しよう。ここにいるみんなの力を集中して、それでもなんとか生き残れるようにがんばろう! 俺たちに出来るのはそれしかないんだから」


 京一はそう言ってサキの小さな手を取った。


 その瞬間、視界が白く爆発し、京一は戦場に戻った……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る