【刈入れの季節】⑩ 『京一/死闘の開幕』

(これって、やばい感じだよな……)


 京一は殺到してくる学生の集団を見てそう思った。

 春美は机やイスを投げつくした後、そのまま走り出して、敵に単身で向かっていってしまった。そのまま華麗な動きで、次々と敵を薙ぎ倒している。


 確かに春美の強さは圧倒的だ。苦戦する様子もなく、むしろ嬉々として戦闘を楽しんでいるようにみえる。


 だが……それは右側から迫る暴徒集団の話だ。

 食堂の入り口は左側にもう一つある。


   ♣


 もちろんそこからも暴徒化した学生が入り込んでいて、机の攻撃から残った十数人がホコリの中からユラリと立ち上がっていた。もちろんそれだけで済むはずもなく、そのまま京一に向かって走り出していた。


 種目は雑多だが、誰もが体を鍛えたスポーツ選手、さらにはバットやホッケースティックなど『武器』を持っている者もいる。


 対して京一はただ一人。

 背中を預けた春美も勝手に飛び出してしまい、丸腰の武器なしだった。


   ♣


 それでも京一は不思議と冷静だった。

 こういうことに場慣れしていたわけではない。

 それでも不思議と心が透き通る感覚があった。

 

   ♣

 

 早く始めようぜ

 早く

 早く

 グズグズするなよ

 早くこい

 早くしろよ

 早くかかってこい

 さっさと始めようぜ


   ♣


 まるで自分じゃないような感覚。

 勝てる状況じゃないのに、それどころか負けが確定している状況なのに、この状況そのものが楽しくて仕方ない。

 京一はそんな心を握りつぶすように、シャツの胸をグッと拳で握りしめた。


 おいおい、ちょっと冷静になれ。

 この状況を切り抜ける方法を考えよう。


 迫りくる集団を眺め、耳の中でやけにゆっくりと脈打つ自分の鼓動を聞く。


 その答えはゆっくりと浮かび上がってきた。


(俺に勝ち目があるとすれば……それは【サキ】を呼び出すことだけだ)


   ♣


(……でも、それが一番の難問なんだよな)


 サキの呼び出し方はまだ分かっていなかった。あのサイコガーデンにたどり着く方法が分からなかった。

 これまでそんな必要があるとは思っていなかったし、試そうとも思わなかったのだ。なによりあの場所は、すすんで訪れたいような場所ではなかった。


 だが今は後悔する余裕も時間もない。

 となれば、あとはあの時の状況をなぞってみるしかない。


 


 春美にいきなり腹を蹴られ、一瞬で意識は混濁した。

 腹部に広がる痛み、そこから頭に突き抜けるような圧倒的な痛み。

 思考は痛みだけで塗りつぶされた。

 体も頭も完全に痛みの中にあった。


 それから何があった?

 棚にもたれかかったのは覚えている。

 そして……次の瞬間にはあの【サイコガーデン】の荒れ果てた庭に立っていた。


   ♣


(やっばり痛みなんだろうな、それも気絶するくらいの)


 気はすすまないが、まずは敵にやられるほかなさそうだった。

 殺されない程度に。意識を失わない程度に。

(って、そんな器用な真似できるか?)


 目の前に迫る学生たちの目つきは異常だった。

 京一以外には何も見えていないようだった。

 戦うこと以外に何も考えていないようだった。

 まるで別の世界に住む、まるで理解することが出来ない、そんな狂気の目。



   ♣


(迷ってる暇はない。ここは腹をくくるしかない)


 京一は敵が到達する前にゆっくりと後退し、食堂を半分に区切るステンレスのカウンターを背にして立った。

 少なくともこれで背後は気にしなくて済むはず。


 それから両手の拳を頬のあたりに上げ、ボクシングスタイルで体を斜めに構えた。ボクシングの経験はないし、殴り合いの経験もない。それでも体は自然とその構えを取った。


 敵が迫る。

 敵はただただ勢いのままに、数を頼りに押し寄せてくる。


   ♣


 早く始めようぜ

 早く

 早く

 グズグズするなよ

 早くしろよ

 早く来いよ


   ♣


(まったくこんな時だってのに)


 京一は笑ってしまった。

 嬉しくてしょうがないのはなぜなんだ?


 ああ、このままおとなしくやられるつもりはない。

 きっと派手に殴られるだろう。

 何度も蹴られるだろう。

 血が流れるだろう。

 どれだけわめいても攻撃がやむことはないだろう。


 だがやられっぱなしじゃない。

 きっちりと闘ってやるつもりだった。

 全力でいかなければこの場は乗り切れないだろうから。


「早く始めようぜ」

 京一が短く囁くと同時に攻撃が殺到した。


   ♣


 一番初めに襲いかかってきたのは、サッカー部の男だった。

 やたらと足は太いが、背はあまり大きくないタイプ。サッカー男は最後の一歩で小さく飛び上がると、京一の顔めがけてキックを繰り出した。

 ガツッ、と革のスパイクが京一のブロックした手にまともにあたった。

 京一の左手に激痛が走りぬけたが、それでも体を前に出し、右の拳で男の頬をガツンと殴りつけた。


「痛って!」

 拳を抱えて悲鳴を上げたのは京一の方だった。

 だがその一撃でサッカー男は白目をむき、そのまま床に崩れ落ちた。


「まずは一人目!」


   ♣


 次に襲いかかってきたのは、空手の男だった。

 空手男は突っ込んでくる勢いそのままに、まっすぐに正拳を繰り出してきた。

京一は首を傾けてそれをよけた。つもりだったがしっかりと耳に当たった。

 さらに連続して回し蹴りが繰り出された。これはなんとか両腕でかばったものの、激しい衝撃に体が後方に浮きあがった。


 やっぱり痛い。だがそれも後回しだ。

 京一はとっさに繰り出された足を掴んだ。そのままグイッと引き寄せると、男がバランスを崩した。同時に自分も体勢を大きく崩したのだが、そのまま右肘を突き出して、顎に素早く叩き込んだ。拳よりは痛みが少なかった。さらに相手の後頭部を掴み、ステンレスのカウンターに、勢いをつけて叩きつける。


「これで二人目!」


   ♣


 それから京一はすばやく向き直った。

 と、そこに巨大な体が肩を押し出すようにして突っ込んできた。

 今度はアメフト男だった。真っ白のヘルメットと怒らせた肩を、岩のようにして低く突っ込んでくる。

 すぐに両手でガードして顔と腹への直撃はまぬがれたが、全身をカウンターにたたきつけられた。


「……かはっ……」


 肺の中の空気が一気に押し出され、一瞬息がつけなくなった。視界の隅で銀色の小さな星が砂粒を蒔いたように輝いている。


(ホントバケモンだな、こいつ……)


 京一はカウンターに背中をあずけて、何とか体を支えた。

 この痛み、この感覚、この体勢、春美にやられた時とかなり似てきた。

 口の中が切れて血の味がする。


   ♣


(サキ! まだ現れてくれないのか?)


 心の中でそっとサキを呼んでみる。

 だがサキからの答えはなかった。


 てことは……まだ足りないってことなのか?

 しかしこれ以上やられると、本当に殺されかねない状況だった。


 アメフト男だけがゆっくりと後退する。たぶん助走の距離を取るために。

 その後ろにはまだ十人近い学生の群れが、逃げ道をふさぐように歩いてくる。

 ほとんど絶体絶命の状況だ。


(それとも、何かが違うのか?)

(何かが足りないのか?)


   ♣


 京一は再び両方の拳を上げた。

 致命傷だけは避けなければならない。

 気絶することは死を意味する。


(考えろ!)

 アメフト男が再び体を曲げ、頭と肩を京一に向ける。


(もういちど思い出せ、何が引き金になったのか?)

 アメフト男の背後にいた連中もそれぞれの流儀で突進を開始する。


(考えろ! 考えろ! 時間がない!)

 アメフト男は床に指をつき、鋭い加速と低い姿勢で再び突進を開始した。


(サイコガーデンに立つ寸前、俺に何があった?)


   ♣


 瞬間、春美の声がよみがえった。


?」



   ♣


 京一の脳裏に閃くものがあった。


 得体のしれない恐怖を呼び覚ますもの。アレが割れる感覚、その破裂音、飛び散る破片。それが引き連れてくる何か、それがもたらす得体のしれない恐怖。


 そうだった。

 あの時、春美に壁にたたきつけられた。

 気を失いそうになった。

 それから……瓶が割れた。


 俺のもっとも嫌なことだ。

 聞きたくない音だ。

 ガラスが周りで破裂して、そして、俺は、


   ♣


 ――ガラス、か――


 京一はパッと背後を振り返った。

 背後には調理場がある。カウンターと直角に、ステンレスの長いテーブルが平行に二列並び、壁際には巨大な食器洗い機と、それに隣り合う大きなシンクが見えた。ちょうどその横には、グレーのケースに収まったガラスのコップが、何段にもうず高く積み上げられているのが見えた。


(遠すぎるか?)


 京一はふたたびアメフト男に目を戻した。

 真っ白いヘルメットの隙間から、ぎらぎらした目と、ニヤニヤした唇が見えた。もう手の届く位置まで迫っている。


(どうする? いや、考えるまでもないか!)

 その瞬間、京一はカウンターの高さまで垂直に飛び上がった。


   ♣


 同時にアメフト男のタックルがまともに京一にぶつかった。

 カウンターに挟まれはしなかったが、車に跳ね飛ばされたように、京一の体は空中に浮かび、カウンターを大きく飛び越えて投げ出された。

 京一はそのままステンレスのテーブルに落ち、上にあったこまごまとしたものを落としながらスーッと滑っていった。


 そしてその勢いが止まったとき、


   ♣


「まさかな。こんなにうまくいくとは思わなかった」

 京一はふらふらしながらテーブルから降りた。


「これはもう、やるしかないってことだよな……」

 そう言いながらコップの塔に手を伸ばした。


 あとはこれを力いっぱい引けばいい。


 しかしあの音を自分から奏でるというのは、やはり気が進まなかった。

 予想される恐怖とパニックに、額を汗がすべり落ちていった。

 学生たちは次々とカウンターを乗り越え、京一に迫ってくる。

 もう覚悟を決めるしかない。


「まったくいやだぜ……こんなの」

 と、京一の視界に春美の姿が映った。


 とたんに心臓がびくりと跳ね上がった。


   ♣


 それは春美の姿を見たせいではなかった。

 春美が戦っている相手、その姿に恐怖を覚えたのだ。


 


 繰り返し見ていたあの悪夢、その夢の中に出てきた見覚えのない男、その男が現実の存在として目の前にいた。


(どうなってるんだ? 何が起こっているんだ?)


 さらにスピーカーから【笑い男】の声が聞こえてきた。



   ♣


「ああ。やるさ……」


 京一はガラスの塔に手をかけた。


「……やってやる」


 


 塔がグラリと傾き、それからバランスを崩していっせいになだれ落ちた。

 ケースから大量のコップがこぼれだし、重力に引かれて落下を始める。


 京一はその瞬間、目を閉じた。


 巨大なシャンデリアが落下したかのように、大量のガラスが大音量と共に無数の破片を振りまいた。

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