【刈入れの季節】⑦ 『京一/戦いの前触』

「京一。懐かしい友よ……」


 それは京一にはまるで聞き覚えのない声だった。


 そもそも『懐かしい友達』というのにもさっぱり心当たりがない。春美が言うように子供のころの記憶はごっそりと抜け落ちていたからだ。ただ向こうが一方的に知っている可能性ならある。


「悪いけどさ……誰なんだ?」

 京一は天井のスピーカーを見上げてそう言った。少し間抜けだとは思うが、どこを向いて話せばいいか分からないから、仕方がない。大体スピーカーに話したところで、聞こえるはずがないのも分かっているのだ。


 だが意外なことに答えはすぐに返ってきた。


   ♣


「なんだ京一、俺を覚えていないのか?」

「顔を見たら思い出せるかもしれないけど、声だけじゃわかんないよ」


「そうだな……まぁたしかに。なに『顔』を見たらすぐに分かると思うよ」

 そう言ってスピーカーの声はクックッと笑った。

 ずいぶんと高飛車な感じの声だった。


「ねぇ、アレあんたの知り合いなの?」

 春美が京一の袖を引きながら聞いた。

 京一は無言で首を横に振ってそれに答えた。


   ♣


 気がつけば、学食の中に残っているのは京一と春美の二人きりだった。

 食堂にいた学生はもちろん、売店の人間も、厨房のスタッフも、誰もかれもがいなくなっていた。なにか妙な感じだった。高圧電流のような、ピリピリとした妙な緊迫感が、広い学食の室内に満ちていた。


 それを感じたのは京一だけではなかった。


「ねぇ、なんか、ヤバそうな感じだけど?」

 春美が囁くようにそう言った。


「ココ出たほうがいいかな?」

 京一も囁きで聞き返した。


「ダメよ、それじゃつまんないじゃない。あたしも興味あるし」

 そう言う春美はなんだかうれしそうだ。獲物を見つけた猫のように、無邪気に喜んでいるのが分かる。


「俺は興味ないんだけどね……」

 京一はそう答えたが、春美は京一の答えにも興味がないようだった。


 だが少なくとも一つだけはハッキリした。

 どうやらこれは彼女の仕掛けた罠ではないらしい。


   ♣


「慌てることはない、京一。俺はキミに危害を加えるつもりはない」

 再び天井のスピーカーから声が漏れ出す。


「ねぇ、じゃ、あたしは?」

 春美が天井のスピーカーに向かって問いかけた。


「……それは『芳春』次第だね。キミはあいつの仲間なんだろ?」

 芳春……またその名前が出てきた。春美の彼氏とかいうやつだ。京一は言葉を挟まなかったが、その名前を今一度胸に刻み込んだ。


「仲間っていうより『恋人コイビト』ね。でも彼、京一の友達でもあるのよ?」

 またいきなりそんなことを。会ったこともないのに。それとも過去に会っているのだろうか? どうも事態が良く呑み込めない。


   ♣


「おいおい、下手な嘘をつくなよ春美。俺はオマエが京一を襲ったのを知ってるんだぜ? お前こそ京一を殺そうとしてたじゃないか」


 春美は口をへの字に曲げてむくれた。


 、京一は思った。あまりに簡単に春美を信用しすぎたかもしれない。だが不思議と、このスピーカーの男よりはまだ、春美のほうが信頼できる気がした。


   ♣


「京一、俺の名前はフォールだ。この名前、覚えていないかな?」

「フォール? 外人なのか? 俺に外人の知り合いはいなかったと思うけど」

 実際のところ、その名前に覚えはなかった。フォール、落ちる、秋、やはりまったく記憶にない。


「では【】と言えば分かるかな?」

(わらいおとこ? また妙なあだ名だな)


 だがそれは同時に不気味な感触のある名前だ。

 心当たりはないのに……いや、ある。あった。それは『サキ』が消える前に口にしていた名前だった。笑い男には気をつけろ、そんな警告と共に。


「それはキミのあだ名? 俺もそう呼んでたのか?」

「俺は小さい頃からそう呼ばれてきた。まぁ、キミはたいてい【フォール】の名前で呼んでくれたけどね」


   ♣


「うーん、悪いけど、やっぱりキミのことは覚えてない。ここに来られないのかな? 顔を見たら少しは思い出せるかもしれない」

「それが今はだめなんだよ。まぁいいよ。たいしたことじゃないんだ。俺はさ、ただキミに『礼』を言っておきたかっただけなんだ」


 笑い男の、その口調だけは誠実そうだった。だがやはり裏で何か黒いものがとぐろを巻いている感覚がある。それがぬぐえない。


「何のことかは知らないけど、覚えてないから礼はいらないよ。覚えてなくて、むしろ悪いけどさ」

「キミは変わんないね。まぁ仕方ない。まだ記憶が混乱しているんだろ? 俺とキミが出会ったのはもう十年も前のことだしな、忘れていても仕方がない」


(十年前か……失くしている、記憶……またそれなのか)


 ただその頃なら、フォールを忘れていることにも納得がいく。失われていた子供の頃の記憶、その施設とやらにいた頃の記憶、何も覚えていないのだ。かといって、あまりそのことを思い出したい気持ちにはなれなかったが。


   ♣


「俺が礼を言いたかったのはだね、キミだけが僕の顔を見ても怖がらなかったということなんだ。なにしろ俺の顔は切り傷だらけで、つぎはぎのようになっていてね、たいていの子供は怖がるか、攻撃してきたものなんだ。その中でキミだけが俺を友達として扱ってくれた。俺がどれだけ嬉しかったか、キミには分からないだろう。ある意味、俺が今もこうして生きていられるのは、君のおかげかもしれないと思っている」


 京一は天井のスピーカーを見上げ、じっとフォールの言葉を聞いた。

 隣では春美もスピーカーをじっと見上げている。


「改めて言っておくよ、桜井京一。俺を救ってくれてありがとう」

 実際に感謝の気持ちが伝わる言葉。

 そして少しの沈黙。


 それからガラリと声が変わった。


「さて! これで俺の気は済んだ! これからキミを試させてもらいたいんだ、かまわないかな?」


   ♣


「いや、いきなりそういわれても、話がよくわかんないんだけど? 何を試すんだ?」

 京一はそう答えてから、春美を見た。春美なら何か知っているのかもしれないと思ったからだ。だが春美は首を横に振った。


「キミの中にまだ【レイ】が隠れているかどうか、それを知りたいんだよ」

? なんだよそれ?」


「やっぱりなぁ……それも覚えていないのか。キミはほとんど記憶喪失になっているみたいだな……」

 笑い男はがっかりしたような、だが少し楽しそうな口調でそう言った。


「…………」


   ♣


 レイ。京一はその名前を聞いてなんとなく不安な気持ちになった。

 そして【サイコガーデン】に迷い込んだときのことを思い出した。


 あの牢獄が並ぶ真っ暗な廊下、その廊下の遥か奥から聞こえてきた恐ろしい声……


「――――」


 あの暗闇の奥にいたなにかは、確かに強力な力を持っている感じがした。

(あの扉の向こう側の、アイツのことだろうか?)


 そして京一はサキの言葉を思い出した。

「――――」


 たしかにあの時、サキはそう言った。

 それだけ危険な怪物があの奥にいたということだ。


?)


   ♣


「……【レイ】はたった一度だけ現れたことがあるんだ。それはほんの一瞬だったけど、俺は今でもその時をハッキリと覚えている。俺が死を覚悟したのは、後にも先にもその一度だけだ。俺はね、もう一度その能力を確かめたいんだよ」


「あのさ、悪いけどさ。俺そういうのには協力できないよ、だってさ……」


「ああ、そのことは気にしないでくれ。キミの意見など聞いていないんだ。俺に興味があるのは、キミの中に【レイ】がまだいるのか? そいつの本当の能力がどんなものなのか? それが俺の役に立つのか? 制御できるのかできないのか? そういうことを知りたいだけなんだ。キミの意思はまるっきり関係がないんだよ。まぁそういうわけで、覚悟してくれよ」


 その言葉が終わると同時に、食堂の全ての扉が開け放たれた。


   ♣


 その扉の向うには大勢の学生たちが詰めかけていた。


 たいていはユニフォームを着た体つきのごつい連中だった。

 野球のユニフォームを着ている者は手にバットを持ち、アイスホッケーの格好をした者は木のスティックを構えている。見るからにバスケ部らしい連中、ヘルメットをかぶったアメフト部もいる。

 その他にもポロシャツにラケットを持った学生だの、アーチェリーを持ち出している学生、柔道着か空手着の学生、完全防備の剣道部の学生までもいた。


 全員を合わせたらざっと五十人以上はいるだろう。


   ♣


「なんか、あの人たち、やる気満々みたい! ゾクゾクするね!」

 春美がすっと京一の横に並んだ。


 いや、ゾクゾクなんかしないよ……。

 だが下手なことを言うと『とばっちり』がきそうだった。


「――やっぱスニーカー履いてきて正解だったみたい!」


 そして京一はごくりとつばを飲み込んだ。

 この人数相手に戦って勝てるとは思えなかった。【サキ】がいてくれたら少しは違うのだろうが、そのサキをどうやって呼び出していいのかいまだに分かっていなかったのだ。もちろん喧嘩にはまるで自信がない。


   ♣


「ヤバいって。なんとか逃げよう。こんな人数相手に、勝てっこないよ……」

 京一は無意識に春美の背中に、自分の背中を寄せた。


「そう? 勝てるわよ。あんたとあたしならね! だいたいアンタあたしと互角に戦って見せたじゃない」


 やっぱり勘違いしているようだ。

 仕方ない。ここは正直に言うほかない。


「ごめん、あの時の俺とは違うんだ。アレはたまたまで、その……今はあん時みたいにできないんだ」


「ええ? そうなの?」

 思わず春美が振り返った。その顔に一瞬失望が浮かぶのが見えた。


 ごめん。京一は申し訳なさそうにうなずいた。なにか恥ずかしい感じもしたが、事実だから仕方がない。


「やばいじゃん、ソレ」

「だからさっきからそう言って……」


 


 死刑宣告のようにフォールの声が流れ、学生たちが食堂になだれこみ、春美は京一と背中合わせにピタリと張りついた。


 今、死闘が始まろうとしていた……

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