【刈入れの季節】⑥ 『夏雄/キルの対話』
(あの子がついに動き出したのか……)
夏雄がまず感じたのはそのことだった。
ずっと行方知れずだった『アキノリ』が現れたのが、何よりの証拠だった。
彼の背後に【笑い男】がいるのはまず間違いないだろう。
研究所の崩壊から十年余り、自由になったはずの子供たちが再び集まって何を始めるつもりなのか?
夏雄にとって何より興味深いのはその目的だった。
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「どういうつもりだ、ファーザー?」
キルは何も見えていないはずの義眼でジロリとファーザーを見た。
「なに、わたしはキミたちの敵ではないということさ」
夏雄は肩をすくめてそう言うと、足元に倒れている芳春を見下ろした。芳春の目の下に刻まれた涙の刺青が、まるで本当に泣いているように見える。
「……これが証明にならないかね?」
「ならないね。オレはあんたを信用しない」
キルは油断なく身構えながら、芳春のもとに一歩踏み出した。
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「まぁ、ちょっと待ちたまえ、アキノリ君。わたしは協力しているんだよ? キミも少しは協力してくれないと」
「断る」
アキノリ/キルは即座に言った。
「そう言わずに聞きたまえ。大したことではないんだ。わたしはキミたちの目的を知りたいだけなんだよ。笑い男は何を始めようというんだね?」
【笑い男】という言葉を聞いたとき、キルにわずかだが動揺が見られた。
それを見逃す夏雄ではない。
「知らねェよ」
キルはさりげなさを装いながらもそう言った。
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「なぁ、アキノリ。そう言わずに教えてくれたまえ。場合によってはわたしも協力できるかもしれない」
「あんたの役目はとっくに終わってるんだよ。引っ込んでな」
「アキノリ、アキノリ君。キミはちっとも成長していないんだな……まるで物事が見えていないようだ」
夏雄は首を振りながらため息まじりにそう言った。
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「ハッ! あんたの知ったことかよ。それより、オレはアキノリじゃない。オレの名前はキルだ」
キルはそう言って腰に手を廻し、するりと刃渡りの長いナイフを抜き出した。
だがナイフを抜いたのはキルだけではなかった。
夏雄の手の中にもまたナイフが握られていた。
「……アキノリ、キミは本当に分かってないのか? こうして芳春を無傷で手に入れられるということが、キミにとってどれだけ幸運なことか」
「そりゃ、どういうことだよ?」
一瞬のためらいの後、キルは静かにそう聞いた。
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やっとまともに話せるようになってきたな。
夏雄は何気ない会話を続けることで、少しづつキルを誘導し、ずっとその精神にくさびを打ち込んでいた。
カタカナ二文字で表現される別人格……そちらの人格は子供のまま精神が成長していないことが多いのだ。子供の時期に扉の中に格納され、そのまま時間と共に成長が止まっているせいだ。
そして子供というのは不安に対して顕著な反応を示す。
ナイフを見せたのもそう。わざと『アキノリ』の名前で呼びかけているのも、キルという人格の『不安』を揺り動かすためだった。相手にされていない、無視されているというのは、存在そのものを否定されていることに等しい。
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「おまえは芳春に劣るということだよ。おや。『劣る』という言葉の意味は分かるかな? アキノリ君?」
「馬鹿にすんなよ、ファーザー。やってれば必ず勝ってたさ」
夏雄は再び笑った。
「いやいや、キミには無理だよ、絶対」
それを見たキルの顔面が屈辱で真っ赤に染まった。
凄みをきかせて睨みつけ、ナイフの切っ先を夏雄に向けた。
だが夏雄はキルを恐れていなかった。
恐れる理由など何ひとつなかったからだ。
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「アキノリ。だから、おまえは子供なのだよ。どちらが強いかも分からない。いいかね、芳春の能力は特殊なものだ。君がいくらすばやく動こうと……そうそう、どうせそれが君の能力なんだろう?」
返事は聞くまでもなかった。すれ違った瞬間、そのスピードの速さ、気配のなさには気づいていたのだ。最後まで隠しておく手もあるというのに、子供のように最初に披露してしまったのだ。
キルは歯を食いしばってその言葉を聞いた。無言こそが肯定だった。
「やはりな。思ったとおりだよ。キミがいくらその能力を発揮したところで、芳春には絶対にかなわない。なぜか分かるか?」
「知らねぇな。たとえそうだったとしても、オレはもう負けねえ。芳春を停止させるパスワードも聞いたからな。ファーザー、口走ったのは失敗だったな」
キルは得意げにそう言ったが、夏雄にとっては滑稽にしか見えなかった。もはや主導権はこちらに完全に移っている。
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「アキノリ、よく考えたまえ。キミにもそんなパスワードが仕掛けられているとは思わないのかね?」
「ハ。その件なら大丈夫さ。オレの爆弾はもう解除されている」
「ほう? そうなのか」
それはまた実に興味深い。
可能性があるとすれば、やはり【笑い男】だろう。あの子ならば、あの子の能力ならば、それぐらいのことはやりかねない。
まぁそれでも大して重要な事ではない。
手持ちの札が一枚なくなった、それだけのこと。
キルを押さえつけることならいつでもできる。
だが……それは今ではない。
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どうやら芳春を解放するときが来たようだな。
夏雄はそう結論した。
芳春の能力は強大で特殊なものだ。
おそらく子供たちの中でも群を抜いているだろう。
芳春が自分の考えで動き出せば、笑い男でも制御は不可能だ。
そうなれば戦いが起こる。
子供たちが自分の能力を大いに発揮しあえる状況が出来あがるわけだ。
彼らが能力の限りを尽くして戦い合う。
そうなれば京一が隠しつづけていた能力を引き出すことになるかもしれない。
それこそがじつに興味深いことだった。
そろそろ相応しい戦場も用意してやらねばならないだろう。
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「まぁいいだろう。状況は大体把握できたよ、アキノリ君。どちらにしても、今のわたしはキミに命を握られている。そうなんだろ? 自分の立場がよく分かった。もう無駄ばなしはやめよう。命があっただけありがたいと思うことにするよ、アキノリ……いや、キルだったな」
夏雄はナイフをポケットに戻した。
そして芳春のぐったりした体を起こした。
「おい、ファーザー、妙なことを考えるなよ」
「ああ。それよりちょっと手伝ってくれよ、車に運ぶんだろ?」
キルはナイフをしまうと、油断なくファーザーを見ながら、芳春の体を肩に担ぎ上げた。芳春はぐったりとしたまま顔を地面に向け、両手をだらりと垂らしている。
キルが手を上げると、入り口をふさいでいたベンツが、するすると走ってきた。
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「今はアンタに用はない。どこへなりと消えな」
「ああ、そうさせてもらうよ」
夏雄はキルから一歩下がった。
向かい合う二人のすぐ横にベンツがピタリと止まった。中の様子は見えない。だがそれもどうでもよかった。たぶんチルドレンのうちの一人だろう。
キルは背中を向け、少しかがんでベンツの後部扉を開いた。
それが夏雄が待っていた一瞬だった。
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夏雄は少し前に屈み、すばやく芳春の耳に口を近づけてささやいた。
『――芳春、パスワードを解除する。『ブルーローズは未知の花』聞こえただろう? 『バイ』と共に戦いたまえ――』
くるりとキルが振り返った。
「なにか言ったか?」
「芳春がうめいたようだったが?」
「そうかよ、まぁ生きてる証拠だな」
キルは後部座席に芳春を押し込むと、自分はその隣に座った。
キルはその扉を閉める間際に、ひとことだけ夏雄に告げた。
「一つだけ教えてやるよ、オレたちの計画はある大学から始まるんだ。興味あるんだろ? 急げば見られるかもな」
その言葉を残し、キルと芳春は去っていった。
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