【刈入れの季節】⑤ 『京一/過去の在処』
京一は春美の話をとにかく最後まで聞いた。
【ファーザー】という組織のことや、そこで実験と称して行われた人体実験のこと、父親がその組織のナンバーツーで実質的な支配者だったこと、さらにその生き残りである『芳春』という男のこと、その芳春が復讐のために父親を殺しに行ったこと、そういった全てを春美から聞いた。
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京一は最初、この『春美』という女の頭がイカレているのだと思った。だが話を聞いているうちに、頭がおかしかったのは自分のような気がしてきた。
春美の話は信じられないようなものだったけれど、不思議と筋がとおっていた。そして自分には『心当たり』のようなものがいくつもあった。
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たとえば【サイコガーデン】に迷い込んだことがそう。
あの白昼夢の中に出てきた白亜の洋館は、その実験室の記憶かもしれなかった。
思い出してみれば、階段や絵画、ドアの造りなど、あまりに細部がはっきりしすぎていたから、すべてを自分で想像したものだとは思えなかった。
そこで出会ったサキのこともそうだ。その獣のような姿は別としても、サキが過去に起こった辛い体験から逃げ出すために作り上げた別の人格だというのは、なんとなくだが、理解できる話だった。少なくともありえない話ではない。
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サキが特別な力を持っていた理由も、その実験室での危機の中で自然と身についた力と考えれば説明がつく気がする。それはなんとも理解しがたいのだが、それでも理屈的には正しい気がした。
さらにもう一つ。
サキを解放したときに現れたヴィジョン。
血の霧の中で吊るされていた両親の光景は、確かに自分の身に起きたことだという感覚があった。
あの時は気がつかなかったけれど、あのヴィジョンはずいぶんと低い視点で光景が見えていた。床に転がったおもちゃのことを考えれば、それが小さいころに見た光景だったというのは自然と理解できた。
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もちろん説明がつかないこともある。あの時、吊るされた男の方の顔ははっきりと見えなかったが、それでも父『夏雄』とは似ても似つかない感じはしていた。確信はないが、はっきりと別人だという気がした。
(ぜんぶこの『春美』とかいう女の言う通りなんだろうか?)
彼女の話の全てを信じたわけではなかったが、京一の信じていた世界は、足元からぐらつきはじめていた。
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「で、理解できた?」
春美の言葉に、京一は大きくため息をついた。
「いや。話はそれでぜんぶ終わり?」
食堂はすっかり暗くなっていた。生徒の大半は引き上げ、座っている生徒はまばらだった。調理場からは食器を洗う音が聞こえ、調理場のシャッターを閉めている音も聞こえてくる。
食堂をグルリと囲む窓の外はいつの間にか真っ黒で、天井の蛍光灯がいっせいに瞬き、白々しいような、空虚でまばゆい明かりが食堂に降り注いだ。
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「そうねぇ、あと一つだけ、最後にとどめの質問をしてあげるわ」
春美は楽しそうに机に両肘をついて、身を乗り出した。
京一も引き込まれるように、身を乗り出して次の言葉を待った。
「なんだよ、いったい?」
「その施設はね、何かの事故が起こって突然閉鎖されたの。芳春が九歳のときだったんだって……」
その先の質問はなんとなくわかっていた。
それは一番聞いてほしくない質問だった。
京一はその問いに答えられないことを知っていた。
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「あなた、九歳より前の記憶がある?」
心臓がドキリと脈打った。
思ったとおりの、予想したとおりの質問だった。
京一はうつむいた。
それが答えだった。
京一には小さい頃の記憶がごっそりと抜け落ちていた。
父はそれをなんと説明してくれただろう?
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『おまえは九歳の時に自動車事故にあったんだよ、その時に母さんが死んでしまった。おまえも強く頭を打ったんだが、それ以上に目の前で見た母さんの死がショックだったんだろう、それまでの記憶を全て失ってしまったんだ』
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父は京一が母親のことで泣くたびに、繰り返し同じような説明をしてきた。
そのたびに京一は、何も思い出せない自分の頭を叩きながら泣いた。
『どうしてお母さんのこと忘れちゃったんだろう? ボク、思い出したいよ……』
『大丈夫だよ、京一。おまえには父さんがいる。おまえには優しい父さんがいるだろう? 父さんがおまえを必ず守ってあげるよ』
そう言ってくれた、父の優しい笑顔を思い出す。
そう言った時の父の目を思い出す。
あの目には……どんな感情が映っていた?
「ああ、そうだよ。そのとおりだよ。俺には記憶がない。なにも覚えていない」
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「やっぱりね。その施設時代の辛い記憶は、あなたが作り出した人格が隠し持っているのよ、芳春もそんなこと言ってたもん」
「まるでパズルだな……」
京一はサイコガーデンの建物の奥、牢獄の廊下の向こうに並んでいた、膨大な数のドアを思い出してため息をついた。あのドアの一つ一つにサキのような別の人格が隠れていて、それぞれが失った記憶をもっている……
たぶん、扉を開けるのがきっかけになって過去の記憶がこぼれだすのだろう。
だとすれば……
あのドアの数を考えるとうんざりした。
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「パズル? なによ、それどういう意味?」
春美が不思議そうに言った。
「俺の中には無数の人格があるみたいでさ。そいつらが、ちょっとずつ記憶を握ってるのかな、って。全部のドアを開けるなんてうんざりするよ」
不意に春美が眉を寄せた。
そこに浮かぶ表情は驚愕? それとも疑念?
なんとも言えない不思議な表情だった。
「ねぇ、ちょっと待って。無数って、別人格は一人じゃないの?」
「ああ、別人格ってのは俺の場合、ドアに隠れてるみたいなんだけど、ものすごい数のドアがあったよ」
京一は何気なく言ったのだが、春美にとっては違ったらしい。
春美は怪物でも見るように京一のことを見つめていた。
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「信じられない……どうしてあなたは気が狂ってないの? 芳春なんて一人でも、時々おかしくなるのに……」
「そんなこと知らないよ」
京一としてはそうとしか答えられなかった。
春美は尚も京一を見つめていたが、やがて口の端をニンマリと横に広げた。
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「なるほどね。あなたはやっぱり特殊なんだわ。だからファーザーがじきじきに引き取ったのよ……」
「やっぱりその話に戻るのか……でもさ、」
――そのときだった。
天井のスピーカーが、通電したブーンという唸りを上げた。
それはなにか胸の奥をざわざわとかき乱した。
京一も春美もその感覚に会話をやめ、天井のスピーカーを見上げた。
――そして言葉が流れ出した。
♣
「全てその女の言う通りだよ。久しぶりだな、京一。懐かしい友……」
京一にとって、その声は、まるで聞き覚えのない声だった。
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