【荒れ果てた庭】⑮ 『夏雄/防壁とドア』
桜井夏雄には【バイ】が見えていなかった。
ただ経験からそこにバイのイメージが浮かんでいることを知っていたにすぎない。
これまで作り上げてきた子供たちの中には、何人か芳春のような能力を獲得した子供がいた。不思議なことにその子供たちはみな共通して、能力に怪物のイメージを作り上げ、能力を使うときはその怪物の右手で相手の頭を掴むところをイメージしていたのだ。
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(だがわたしにはそれに対する備えがある)
夏雄は目を閉じた。
額にひんやりとした感触があった。
なにか鋭い爪を生やした手が、額を突き抜けて頭の中に入ってくる感じがする。それはじつに不気味な感触だった。
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「この感触はずいぶんと久しぶりに味わうよ、あまり気持ちのいいものではないがね」
夏雄は芳春に言った。
『あの実験』に参加していた頃、子供たちの何人かは夏雄を殺そうと、この精神感応の能力を使った。たいていの人間ならばこの能力を使われると、人格を奪われて人形同然の状態になってしまう。
実際集められた子供たちは『あの屋敷』から逃げ出そうと、ことあるごとにその能力を使おうとしたものだった。だが夏雄は
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「今なら、まだ許してやってもいいんだが?」
「なんの冗談だよ? おまえにそんな選択肢はない。いいか? おまえの人格をのっとったら、俺はおまえにこう命令するつもりだ」
芳春はソファに土足で上がり、その背もたれに腰掛けた。
夏雄はそれを冷たい目で観察する。その一挙手一投足が意味するものを分析しながら冷静に観察を続ける。ソファにわざわざ土足で上がったのは虚勢だ。つまらないこけおどし。だがそれを露呈していることにも気づいていない。
それだけ余裕がなくなっているのだ。
芳春はずいぶんときれいな顔立ちをしていたが、今は額やこめかみに醜く血管が浮き出していた。能力を使用するためには、極度の精神集中と、脳の中の特殊な臓器を使用しなければならないからだ。
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「ほう、どうするのかね?」
夏雄は平然と尋ねた。
さらに感触がずぶずぶと頭の中に入り込み、その鋭い爪先が脳の内部を掴んでいるのを感じた。
「オマエに大好きなガラスの破片をたらふく食わせてやるよ。それで内蔵をずたずたにして、窓から飛び降りさせてやる」
「残酷だな。うん、じつに残酷だ。少佐にそっくりだよ、キミは」
芳春の顔の色がみるみる変わった。だいぶ青ざめている。恐怖のせいか、興奮のせいかは良く分からないが、ずいぶんと震えている。
(まぁ、これで冷静さを失うだろう)
夏雄は芳春にその能力を使わせるつもりだった。
その能力にとても興味があった、それだけの理由から。
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「もうたくさんだ……」
芳春はうつむき、食いしばった歯の間からささやいた。
「さっさと殺せ! バイ!」
芳春の声とともに、夏雄の頭を締め付ける力が増していき、やがて頭全体をすっぽりと包み込んだ。
夏雄は再び目を閉じた。
驚いたことに、脳裏に怪物の姿が見えた。それは巨大な悪魔の姿をしていた。
真っ赤な瞳、獣を継ぎ合わせた体、こうもりの羽、長く伸びたかぎ爪、バイはまさに悪魔そのものの姿だった。
(ふむ。こうして、イメージがはっきりと入りこんでくるパターンは初めてだな)
夏雄は悪魔を観察しながら思った。
これまでのパターンだとイメージは本人が持っているだけであり、第三者にそれが共有されることはなかった。
考えられるのは、芳春の能力(力というべきだろうか?)が、相手の思考を汚染するほど強力だということだ。
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(それにしてもまぁ、よくもこんな悪魔を考えたものだ。子供たちの想像力にはいつも驚かされる……じつに興味深いじゃないか)
その悪魔【バイ】は夏雄の心の中に入り込み、そしてあたりをきょろきょろとうかがっていた。その様子にはわずかにパニックが感じられる。これまでこういう経験をしたことはなかったのだろう。
というのもバイは床も天井も壁も、まったく何もない暗闇の中に浮かんでいたからだった。
「どういうことだ? なんなんだ、ここは?」
「ドアを探しているのかね? キミの悪魔が迷子になっているようだが?」
夏雄は目を閉じたまま芳春にそう言った。
バイは何もない上空を見上げ、声の出所を探っている。
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「芳春。キミは、人の心の中には扉が一つしかないと思っている、違うかね? まあ、二重人格者の場合で、扉は多くても二つ。扉の中にはその人間の人格が住んでいる。扉が二つの場合は、第二の人格が潜んでいる。そうなんだろう? そしてキミは能力を使ってその扉をこじ開け、中にいる人格を殺す。そこで人格に取って代わり、人の精神を思い通りに操る。それがキミの能力なんだろう?」
バイはまだきょろきょろとあたりをうかがっている。
だが見えるのは暗闇ばかりだ。
夏雄は特殊な訓練と精神プログラムにより、自分の心の中に特殊な防壁を作り上げていた。
それは能力を持つ子供たちに対しての備えであり、子供たちの研究からもたらされた武器だった。
この防壁があれば、ありとあらゆる精神への侵入をシャットアウトできるのだ。
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「さすがだな、ファーザー、だがまだ俺はこんなものじゃない」
芳春は自分のこめかみを指で押さえつけると、さらに精神を集中させた。顔中の血管が脈打ち、左の鼻から血が流れ出した。
「バイ、遊んでないでさっさとやれ!」
その言葉に答えて、暗闇の中でバイの体が燃え上がった。
真っ赤な炎が高速で全身を取り巻き、その炎は巨大にふくらみ、コロナのように炎を飛び散らせる。その巨大な熱はまばゆい光を生み出し、バイを取り巻いていた暗闇を消し去った。
「なんだ……これは?」
バイが心の中で驚いているのを、夏雄は楽しそうに眺めた。
右目だけを開いて芳春の様子もうかがう。
芳春もまた驚愕していた。
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バイのいた空間には無数の扉が出現していた。
ありとあらゆるところにドアがでたらめに浮かび上がっている。
バイの吹き上げた巨大な炎も、全てのドアを映し出すことは出来なかった。
それこそ無限の数のドアがバイを取り巻いていた。
「さぁ、どうするつもりか教えてくれ、芳春?」
夏雄は冷酷に告げた。
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