【荒れ果てた庭】⑭ 『芳春/動揺と決意』
「――ほう、おまえの能力の引き金は音楽か、そういえばその曲は少佐のお気に入りだったな?」
ぼんやりとファーザーの声が聞こえ、芳春は現実世界に戻ってきた。
ファーザーは相変わらず両手をデスクの上で組んだまま、落ち着きはらって芳春を眺めている。
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「ずいぶんと余裕じゃないか?」
芳春はそう言いながら、心の中にバイの存在を探った。
(バイ、奴がファーザーだ、約束を果たせよな)
(ああ、分かっている……契約だからな)
芳春は体の中にバイの体が染み込んでくるのを感じた。
自分の体が膨らみ、肉体が窮屈になったような感じがしてくる。同時に魂の奥底からは力が湧き出してきた。憎しみ、怒り、殺意、ありとあらゆる暗い感情が、頭の中いっぱいに膨れ上がる。
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「どれ、キミの能力を見せてごらん」
ファーザーはそう言いながら立ち上がった。そして胸のポケットからナイフを取り出した。それは細見の刀身で、磨いたばかりの銀色に輝き、ずいぶんと使い込まれた印象があった。
ファーザーはその刃をまっすぐ芳春に向けた。
ためらう様子はまるでない。
「そんなもの俺にはきかないぜ。俺の能力は、おまえの人格そのものを破壊するんだからな」
「ほう? 君は精神感応をやるのか? すっかり忘れていたよ」
「今思い出させてやるよ、あんたたちが作ってくれた能力だ――」
♠
芳春はバイの力を感じながら、さらにそれが高まる瞬間を待った。
バイの力はいつも真っ黒い霧でイメージされた。それが細くとぐろを巻いて、全身を覆っていく。さらにそれは黒い炎を噴き出しながら、全身をすごいスピードで回り、やがて一つの大きな炎を形作る。
「――ファーザー、俺はおまえを内面から破壊してやる」
芳春は黒い炎の高まりを感じながら精神を集中する。
スッと右手を上げると、その指の先にまで、黒い炎が蛇のようにからみついているのが見えた。その炎は今にもファーザーに飛びかかろうと、黒く身もだえしていた。それを押しとどめながら、さらに力が臨界点に達するのを待つ。
黒い霧はさらに回転を早め、空気との摩擦でさらに赤く炎を吹き上げながら、芳春の体を包み込んでゆく。そして唐突にその回転が止まった。
芳春の全身は分厚い黒い霧に包まれていた。
その霧は怪物の姿をしていた。
サイコガーデンで解放した怪物【バイ】がその姿をあらわし、鎧のように芳春の体を包み込んでいた。
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「――出会ったばかりで悪いけど、もうサヨサラの時間だ」
バイの体がふわりと芳春から離れた。
そして背中の翼をはためかせ、二・三度ふわりと浮き上がると、次の瞬間にはその体を黒い霧へと変え、素早くファーザーの体にからみついた。黒い霧が高速でファーザーの体を包み込み、瞬く間にその全身に黒い炎が燃え上がる。
♠
だが、それらの映像はあくまで芳春の持っているイメージだった。
他の人間にはなにも見えないし、その黒い霧も、空気の流れも、炎の熱も何一つ感じることはない。
だからファーザーはまだナイフを構え、薄笑いを浮かべたままだった。
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(笑ってろ、ファーザー、そうして笑ってろ。気付いたときには、あんたの人格は完全に破壊されてるんだ……)
ファーザーを取り巻く黒い炎の中から、ふたたびバイの姿が浮かび上がった。
両足をファーザーの胸に埋め込み、左手でファーザーの首をつかみ、右手の肘を後ろに大きく引いた体勢で構えている。その右手の先にある鋭い鉤爪は、ファーザーの額にぴたりと触れられている。
あとは最後の命令を出すだけだ。
芳春にとって、ようやく長い復讐の旅が終わろうとしていた。
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「ひとつ、キミに教えておいてやろう……」
急にファーザーが言った。
その視線の先は芳春を見ていなかった。
その視線は前方の斜め上のあたり、ちょうどバイの顔のあたりを見ていた。
(まさか、見えるのか?)
そんなことはありえなかった。
バイはあくまで心が生み出す幻影であり、それは芳春一人が見ることのできる、イメージ上の怪物のはずだった。
(――ファーザーだから、なのか?――)
芳春はそれを思い出した。
今、この瞬間になって思い出した。
ファーザーならばどんなことでもありえることに……
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「アンタに教わることは何もない、興味もないね」
芳春は動揺を悟られないように冷たくそう言った。
だが返答した時点で全てを悟られた、そんな気がした。
「おまえは自分の力を本当には理解していない。違うかね?」
ファーザーはバイから芳春に視線を移した。
同時にナイフの切っ先もゆらりと芳春に向けられた。
「いいや。ちゃんと理解して、コントロールしてる」
「いやいやいや、そうじゃないだろう? おそらくおまえは、この怪物と何らかの取引をしているんじゃないのかね?」
ファーザーはそういってバイの方に顎をしゃくった。
芳春の背中を再び恐怖が貫いた。
やはり見えているのだ。
それに
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「そんなのはあんたの知ったことじゃないさ、つまらないことを気にするのはやめたほうがいいぜ、今は自分の命でも心配しなよ」
するとファーザーはうれしそうに笑った。
「わたしはね、子供の事を心配しているだけだよ。
さぁ、答えてごらん……
おまえはこの悪魔と取引をしているんだろう?
なにを求められた?
まさかとは思うが……寿命じゃないだろうね?」
芳春は歯噛みした。
悔しいが図星だった。
本当だったら、今すぐにファーザーを殺して、全ての幕を引いてやりたい。だがなにかがその気持ちを押しとどめていた。それは好奇心でもあったが、【バイ】という存在への恐怖感でもあった。
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「だとしたら、どうだというんだ?」
「おまえはその怪物に殺される」
「かまうものか」
「わたしなら、おまえを救ってやれる」
芳春はバイをちらりと見た。バイは芳春の命令を待っていた。長い首をめぐらせ、真っ赤な目で芳春の命令を待っていた。
だがその瞳の感じはいつもと違っている感じがした。
自分を見つめる目に憎悪と疑念が感じられた。
『ヨシハル……はやく殺したほうがいいんじゃないか? どうもこいつはべらべらとしゃべりすぎる』
バイがゆっくりと翼をはためかせながら告げる。
芳春はバイから目を離すと、ファーザーに向かって言った。
「余計なお世話だよ、俺はあんたを殺せればそれで満足だ」
♠
「ハッ!」
ファーザーは馬鹿にしたように笑い、それから首を振りながらなおも笑った。
「やっぱり、おまえはできそこないだな。その程度の能力も使いこなせないとは。いいか、おまえさえ望むなら、おまえの飼っている怪物はおまえにひれ伏すんだ。取引などしなくても完全におまえのいうことをきくようになるんだぞ」
その言葉はなんとも魅力的だった。
だがそんなことが本当に可能だろうか?
だがそれが可能だとしたら、あらゆる可能性が開けてくるのではないか?
【バイ】の能力をコントロールできるとしたら、世界そのものを手に入れられる。
♠
『ヨシハル、相手はファーザーだ! 騙されるな! 早くオレに命令しろ! 奴を殺すのが先だ、あとはなんとでもなる!』
バイが怒鳴った。
その巨大な体から漏れる声は、空気を震わせて芳春にまともに吹き付けた。
腕にちくちくと鳥肌が立つ。
こんな奴を制御できるわけがない。芳春は悟った。
そうだ。出来るはずがないのだ。ファーザーは助かるために時間稼ぎをしているに違いない。でまかせを言っているに違いない。
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『ヨシハル! こいつへの恨みを忘れたのか? 怒りを忘れたか?』
バイがさらに叫んだ。ふたたび恐怖がどっと心に流れ込んできた。小さな頃に、実験と称して行われた虐待の数々がよみがえる。
なんとしてもファーザーだけは殺さなくては……バイとの取引など後で考えればすむことだ。
「――よく、考えてみるんだ――」
ファーザーが誘うようにささやきかける。
『グズグズするな、ヨシハル。オレタチの望みを果たすんだ! さっさとオレに命令しろ!』
バイが牙を剥きだして命令してくる。
芳春は心を落ち着けた。
ファーザーかバイか。
選択肢は二つに一つ。
それから右手をファーザーに向け、バイに命じた。
「ああ。
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