【荒れ果てた庭】⑧ 『京一/地下牢にて』

 京一は真っ暗な階段を静かに下りていった。

 階下の闇からは冷気が漂い、湿った空気が全身にまとわりついてくる。

 なんだか息苦しい。

 それに一段降りるごとに言いようのない不安が胸を塞いでゆく。


   ♣


 やがて階段は終わった。

 それまで足元を見つめつづけていた京一はゆっくりと顔を上げ、そして目の前に広がった光景に衝撃を覚えた。


 そこは『地下牢』のように見えた。


 目の前、入り口にあたる部分には、やたらと太い鉄の棒を組み合わせた鉄格子が、床から天井までを貫いて廊下全体をふさいでいる。

 鉄格子の扉のすぐ上には裸電球が垂れ下がり、ゆらゆらと揺れて奇怪な影を躍らせていた。


   ♣


(引き返す……か?)


 一瞬迷ったが、それでも京一は前に歩き出した。

 その鉄格子まではわずか三メートル、扉には何重にも巻かれた鎖と、その鎖をつなぎとめる馬鹿でかい南京錠が見えた。

 この物々しい雰囲気からすると、よほど中にいるものを外に出したくないらしい。


(なんなんだ、ここは?)


「――――」


 またあの声が聞こえてきた。

 廊下の暗闇にまぎれるように、そっと耳元に囁かれたように。


   ♣


 鉄格子の向うには廊下がまっすぐに伸びていた。

 廊下の奥は闇に閉ざされ、どこまで続いているのか見当もつかない。


(これ、やっぱり牢屋、なのかな?)


 壁の両側には、やたらと分厚そうな木のドアがずらりと並んでいた。どのドアも相当年月が経っており、変形してひび割れている。それでも壊れないのは、木の板に分厚い鉄板がリベットで打ち付けられているからだ。


 それぞれのドアの上部には格子のまったちいさな窓も見えた。その窓の下には子供の書いたようなへたくそな字があり、なにやらカタカナのような文字が刃物で直接扉に刻まれていた。


   ♣


 やはりここは牢獄らしい。

 牢屋、監獄、収容所、呼び方は様々でも人間を監禁している場所のようだ。


 だが同時にここがとても古い場所だと感覚的に分かった。それも相当の昔に廃棄された場所らしい。電球が切れていないのが逆に不思議だ。


 だがこんなところで生きている人間がいるというのだろうか?


「――――」


 京一を呼んでいるその声は、牢獄の遥か奥から聞こえてくる。だが鉄格子に阻まれている以上は、ここから先に進むことは出来なかった。


 だがそれでよかったのかもしれない、京一はそう思い始めていた。

 やはりここに降りてきたこと自体が間違いだったのかもしれない。


   ♣


「悪いけど、鍵がないんだ。これ以上は進めない」


 京一はささやくように闇に向かって告げた。返答は期待していない。ただこのまま引き返すつもりだった。急いで他の逃げ道を捜すつもりだった。


「――――――」


 京一はその言葉を聞いたとたんに、あの恐怖が再び体を貫いていくのを感じた。


 そして天井を通してギィィと扉が開かれる音が聞こえた。階上にある正面玄関のあのドアの音だろう。ついに庭にいた何者かが屋敷の中に入ってきたのだ。

 それから床板がきしみ、その音が一歩一歩頭上に近づいてくるのが聞こえた。


   ♣


(これは、夢だ。大丈夫、危険はない、死にはしない……)


 すると京一の心を読んだかのように再び声がした。


「――これは夢ではない。ここはおまえの精神世界――」


「――【】、精神の庭と呼ばれる場所だ――」


「――よく聞けキョウイチ――ここでの死は現実の死をもたらす――脅しではないぞ――――」


 迫りくる恐怖と、いきなり突きつけられた現実に、京一は頭が混乱した。

 これが本当に夢なのか、現実なのかわからなくなってきた。


 今はなにも信じられない気がした。自分自身の感覚さえも怪しい。


 それなのに……ただ一つ、闇から聞こえてくるあの声だけがなぜか信用できた。

 少なくとも闇の奥にいるそいつは、自分を守ってくれようとしているのが感じられた。なにか裏がある気はするが、今はそこまで考える余裕がなかった。


   ♣


「でも、鍵がないんだよ」


「――――」


 京一はあわててポケットを探ってみた。そんなものを持っている記憶はなかった。だがそうせずにはいられなかったのだ。


「まさか、これ……」

 と、ポケットの中で指先がちいさな鉄の塊に触れた。

 引っ張り出してみると、それは確かに鍵だった。


  ♣


「――急げ、時間がない――」


 京一はその鍵を、南京錠の鍵穴に差し込んだ。

 その鍵穴はずいぶんと錆びていたにも関わらず、まるでたっぷりと油をさしてあったようにするりと入り、カチリと鍵が開いた。

 南京錠を外し、巻きつけられた鎖を急いでほどいていく。


 するとまたもや上の方で扉が開く音がした。

 京一が通り抜けたばかりの、廊下へと続く大きな扉。

 そのまま右側の階段を降りれば、すぐにも自分のところまで追いつくだろう。


「――急げ――ファーザーはすぐそこだ――」


 京一はパニックの波にあらがいながら、順番に鎖の結び目をほどいた。


   ♣


 ギィィ、ギィィ、と今度は階段の床板を踏みしめる音が、何か不吉な鳥の鳴き声のように降りてきた。


 さらにギィィ、ギィィ、と古い板を慎重に踏みしめる音。

 たぶん暗闇の中を足元を確かめながらゆっくりと降りてきている。


 京一の心臓は早鐘を打ち、叫び声がのど元までせりあがってくる。


(急げ急げ急げ……開いた!)

 

 もう、物音は気にしていられなかった。

 鎖を床に落とし、鉄格子の扉を引きあけて奥へと踏み込んだ。

 それから思い直して再び鎖を拾いあげ、手早く巻きつけると、元の南京錠をはめ込んだ。

 相手がカギを持っていなければかなりの時間が稼げるはずだ。


   ♣


 京一はすぐに鉄格子に背を向けた。わざわざ【ファーザー】と呼ばれる追手と対面するつもりはない。

 目の前には長い廊下が伸び、その左右に分厚い木の扉がずらりと並んでいる。ついに牢獄の内側に入ったのだ。


 京一は闇の奥へ向かっておそるおそる走り出した。


 ふと右に目をやると、扉に刻みつけられた文字が見えた。


【アオ】


 その隣の扉には、


【アカ】

 と刻まれている。


 これはやはり名前なのだろうか? この牢獄の中に閉じ込められている者の……だとしたら奇妙な名前だった。


 それともこの中に閉じ込められているのは人ではないのかもしれない。なにか猛獣のような生き物か、化け物みたいな何かか。


   ♣


「――グズグズするな! 俺はここだ――!――――」


 再び声が聞こえてきた。


 少し話の内容が変わっているようだ。

 それになんだか焦っているような口調に代わっている。

 暗闇の向こう、どこかの部屋に閉じ込められた何者かは、解放を求めていた。

 解放さえすればファーザーを追い払ってくれる。


 そいつが一体なんなのか?

 その開放がいったい何をもたらすのか?

 そもそも約束が成立するのか?


 京一には何一つ想像がつかなかったが、そもそも考える時間すらなかった。


   ♣


 と、背後でガチャガチャと鎖を揺する音が聞こえた。

 その凶暴な音に、京一は振り返らずにいられなかった。

 こちらの姿が闇にまぎれて見えないのは分かっていた。

 だから本能の赴くままに振り返ったのだ。


 どういうわけだか天井からの裸電球が大きくユラユラと揺れ、チラチラと瞬いていた。

 その人影は荒々しく、鎖を引きちぎらんばかりの勢いで、鉄格子をがたがたと揺すっていた。


 そして京一は見た。


 ファーザーの姿と、その右手に握られた刃渡りの長いナイフが、ギラリと銀色の光を放つのを……

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