第3話
一応今日は私は安静にしておいたほうがいいってことで、いつもならラナンと二人で寝る大きなベッドで一人横になっている。ラナンは今日はスレイ兄さまと一緒に寝るんだって。兄様は嬉しそうだった。兄様は私のこともそれなりにかわいがってるけど素直で見た目も愛らしいラナンが特別に可愛いからまあ、当然の反応なんだろうけど。
それはとりあえず置いておいて。私はそっとベッドから降りると部屋の隅に設置された姿見の鏡の前に立った。大人だったはずの私は急に子供に戻っていて、おまけにラナンと双子になっている。とはいえ顔は大人だった頃のキリエを幼くした、というか幼い頃の私そのままの顔で髪の色と瞳が赤みを帯びたオレンジ色に変わってる。
「……何が起ってるんだろう」
時間が何らかのことで巻き戻ったんだろうか。実際、今日会ったラナンと母様は大人だったキリエの頃にも存在していた。
(だけどスレイ兄さまは確か、死んでたわ)
大人だったキリエの世界ではスレイ兄様は存在してなかった。ラナンは女皇帝レオナの一人娘だった。兄がいたが、その兄は彼女が生まれる前に死んでいるって情報だったはず。多分それがスレイ兄様。
(そしてデビストお兄様は……)
ずきり、と胸が痛む。じくじくと痛みが胸全体に広がってくる。呼吸が、しづらくなってくる。
「……っ」
私は胸を押さえてベッドに向かってそのまま倒れ込んだ。
*********
「我々は本物の聖女を、殺してしまった」
沈痛な顔で出会った時よりも皺が増えたエミールは言った。私はそれを黙って聞いている。私は簡素な囚人が身につける灰色のワンピースというより布きれを着せられて牢の中にいた。
「精霊の守り火が消えた瞬間、私は、私たちは過ちにやっと気づいた。手遅れだったが」
鉄格子の向こうにはかつて仲間だったみんながいる。ラグナも。
「君を正当な王位継承者であると信じていたが……違ったな」
エミールは疲れたように笑う。
ラナンキュラス女王陛下の処刑によって、消えた精霊の守り火。それは精霊からの加護が消えたことを表す。古代からサンライズ王国の王族は精霊と契約し国を、国民を守ることを義務づけられている。サンライズ王国を守護しているのは大地と緑の大精霊でラナンキュラス女王陛下も即位後すぐに契約の儀式を行ったとか。
精霊の存在から遠い世界で生きていた私は勿論、仲間達も当然それをただの何の効果も無い儀礼的なものだと思って気にもとめなかった。けれど、違ったのだ。この国は確かに精霊に守られていたのだろう。彼女が死んだ途端に降り注いだ光の雨は愚かな私たちへの精霊達の怒りそのものだったのだろう。今なら分かる。そして、統治だけに関しては彼女のお陰で宗主国がアストラル帝国であることを除けば平穏そのものだったのだ。氷の女帝によってもたらされていた不必要な税の取り立ても宗主国への奴隷とかわらない無償奉仕も全て撤廃された。税収は最低限のものになり、不作などで税が納められない土地には彼女がわざわざ供を連れて視察へ行き、その土地の精霊に呼びかけ不作を解消させたという。
彼女の処刑を望んでいたのは過去の王国ばかりを見つめ、今を見ることを放棄していた一部の人間だけだった。その人間ばかりが私の周りにいて、王国の現状を正確に把握しないまま他国へ援助を求め、そして彼女を殺した。祭り上げられていた私は何も見ていなかった。輝かしい玉座ばかりを見ていた。変えようとしていた、変わろうとしていた国を崩壊の手前まで追いやってしまった。
「先代国王の血を引いているはずなのに、あなたには一切、精霊の声が聞こえないということに私は何も疑問を抱かなかった。無責任にあなたを祭り上げたことに対してはお詫びします」
「……そして、今度は私を殺すのね」
震える声で私が言えばエミールは何も言わなかった。だけど瞳が私を責めていた。今まで私を救国の聖女だとあがめていた瞳と同じもので、今度は私を敵だという。なんてばからしくて愚かな人なんだろう。鉄格子越しにいる人たちはみんな、そうなんだろう。
「なんでですか、師匠! キリエだけが責任を取るのは可笑しいでしょう!? キリエが責任を取ってしななきゃならないなら俺たちだって」
「黙れ、ラグナ」
泣きながら私を庇おうとしてくれたラグナを一括してエミールは厳しい目を私に向けてくる。
「生き残った国民達が、そしてアストラル帝国がそれを望んでいる。帝国は此度のことで完全に我が国から自治権を奪うという。女帝は愛娘を殺されたことで怒り狂っているという……当然だな。処刑に介入する暇を与えないために急いだことが逆に仇となった」
革命がなされたその数時間後には縛り上げて問答無用で断頭台に送ったのは、アストラル帝国が彼女を助ける暇を与えたくなかったから。だけどそれが逆に帝国が処刑をなした後に介入する余地まで考えてなかったせいで、結局最悪な事態を招いてしまった。介入しないはずがないのに。愛娘が治めていたからこそ、宗主国にとって税収が少なくなり使える手駒が少なくなっても文句も言わなかったのに。そんなことも分からないくらい、私たちは盲目だった。おろか、だった。
「……いいのよ、ラグナ。ありがとう」
「キリエ……」
ラグナは本当に最後まで優しい。私のことを命がけで守ってくれて、今だってそう。
「……キリエ」
みんなが遠巻きになっているのにラグナだけが近づいてきた。そして私にしか分からない声で言う。
「君だけを死なせたりしない。俺は俺でちゃんとけじめをつけるよ。待ってて……ごめんね」
「ラグナ……?」
ラグナは言うだけ言って離れる。そして、みんなは私を置いて出て行った。取り残された牢屋で私は隅に座って明日を思う。明日が私の最後の日。断頭台に上がってラナンキュラス女王にしたように首を飛ばして、終わらせる。聖女から悪役へ落とされた惨めな私は、それで終わる。そう、思ってた。
どれくらいそうしていたのか分からない。気づけば一つしか無い鉄棒がはめ込まれた小さな窓から月明かりが差し込んでいた。朝からパン一個しか食べていなかったけど、お腹は空いていなかった。たとえ空いていたとしても明日には終わるんだから食べても意味の無いような気がしていた。そこへ何処からか悲鳴のようなものが聞こえてきた。
「何?」
ばたばたと数人の足音がして、冷たい石畳の敷かれた部屋にどんどん人の気配が近づいてくるのが分かる。私は何か処刑が早まるようなことがあったのかと怖くなった。
(アストラル帝国が到着しちゃったのかしら)
海を隔てた別大陸にあるけれども、アストラル帝国には大型の飛行船があるという。それを使えば数時間でこちらに来ることだって可能だ。それに乗って軍隊が送られてきたんだろうか。私の考えは正しくて間違いでもあったと牢屋の向こう側に現れた人たちを見て悟る。
「ら、ラグナ……みんな」
あちこちから血を流し、ぼろぼろになった仲間達が、ラグナが屈強な黒い鎧に身を包んだアストラル帝国の紋章を胸に刻んだ兵士たちに縛られて連れてこられた。彼らの後ろから冷たい美貌の黒髪に紫の瞳の騎士が現れるのもすぐだった。
「あ、なたは」
「……私が本国へ戻っている間にあのような……この女狐と賊どもが」
低く、怨嗟を吹くんだ言葉が薄い唇から放たれた。一気に背筋が凍るような心地になる。
「貴様らなど殺しても殺したり無い……地獄を味わってから死ね」
美しい紫の瞳は果てしない憎悪をこめて私を睨んでいる。彼を私は知っている。知っているからこそ、本国へ王国の状況を説明するために一時帰還することを知って今回のことを起こしたのだから。
デビスト=クロノス伯爵。ラナンキュラス女王の腹心にして最強の剣と呼ばれるほどの剣の使い手。そして、女王の夫。そんな彼が今回の主犯である私たちを許すはずが無い。
「お前達を痛めつけてもあの方は戻らない……かといってこのまま許すことなどできるはずがない。安らかな死など与えてなどやらない。苦しんで苦しんで、もがいて、そして己の愚かさを恨んで死ね」
その言葉はもはや呪いだ。怒りだ。私はあまりの質量のそれに耐え斬れなくてその場で気絶した。
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