第2話 黒々とした洞穴が空いていた。

 シィの案内で辿りついたのは、東の棟の一番大きな部屋だった。


「教会……?」

「礼拝堂だよ」


 体育館の半分ほどもある大きさで、左右に整然と並ぶのは細長い木の机だ。音楽室などと同じ机の並び、といえばわかるだろうか。

 天井に近いほうに並ぶ窓はステンドグラスではなくて、木枠に格子をはめただけのものだ。正午に近い昼の日差しが斜めに通り抜けてきている。

 見上げればシャンデリア飾り燭台がひとつ。

 天井から下げられた大きなシャンデリアには火が灯っていなくて、少し薄暗い。

 前のほうはかなり大きなスペースになっており、演壇がひとつ。教会だったら、あそこに神父さんとか司祭さまが立つはず。


「猫には宗教がないからな。ここは確かに盲点だったな。ほとんど誰も立ち入らない」


 前のユグラリア王国の人たちが利用していた部屋ってことか。

 確かにかなり埃っぽい。掃除とかちゃんとしてるんだろうか。

 ここに……地下への入り口が?

 一匹の太った猫が前に出てきた。その後ろには大勢の人と猫。


「王よ。確かにこの部屋に間違いがないのですか?」

「この下に空洞があることは確実だ」


 ぺしぺしと前足で床を叩きながらレモンが答えた。


「ですが、そのような入り口など、どこにも……」

「入り口はない」


 レモンが言った。

 えっ、と太った猫──たぶん大臣猫だ──が口を丸く開ける。


「ユズハ」


 声を掛けられて、あたしは、ワンピースのポケットに畳んで入れていた城の図面を取り出した。広げて見せつける。


「これは建築時の城の図で、どこにも地下室なんてない」


 チリが貸してくれた城の古い図面には何度見ても地下室なんてなかった。

 何もない、ということがわかったとも言える。


「どういうことですかな?」

「たぶん、城を建てたときには、地下牢なんてものはなかったんだ。造ったのは、おそらく最後の王の治世で、そして後にきれいに塞いでしまった」


 レモンとブランシュが話しあって出した結論がそれだった。

 猫の呪いを恐れた王が、全てを覆い隠してしまったのだろう、と。

 それくらいでは、呪いを止めることはできなかったのだけど。

 図面は役に立たなかった。

 でも、そのおかげで、あたしたちはこの強引な手段を思いついたとも言える。

 そういえば、チリは「役に立つ」としか言わなかったっけ。


「ここの床石をひとつ残らず剥がせば、当時の入り口が姿を現すのかもしれないが……そんな時間も余裕もないな」

「では──どうなさるおつもりで」


 ざわざわと猫たちの間にざわめきが広がる。


「床をぶち抜こうと思う」

「床を!」

「そうだ」


 にっとレモンが笑う。


「にゃ……にゃにゃにゃあ!」

「ふー! ふー! ふー!」


 大臣猫たちが唸りながら数歩、後ろに退いた。尻尾の毛が見事に全員逆立っている。まさか、という顔をしてた。これだけ大勢の猫たちを驚かせられる、なんてこと滅多にないんじゃないかな。けっこう快感かも。

 喉の奥でレモンが楽しそうにごろごろっと唸る。


「というわけで、ちょっとだけ離れてたほうがいいぞ。じゃないと、巻き込まれるかもな」

「ふぎゃ? にゃんですとぉぉーーーー!?」


 押しかけてきていた百あまりの猫と人が、さらに数歩、後ろに下がった。

 シィとブランシュが出てきて、礼拝所からみんなを追い出しにかかる。


「もっと」

「ほらほら。部屋から出たほうがいいですよ」


 あとで手が必要になったときのために待機してて欲しいけど、どこまで被害が広がるかわからないからね。


「ま、そんなとこだろ。おまえたちは黙ってそこから見てろ」

「じゃ、始めますか!」


 レモンとあたしは前のほうの空きスペースまで歩いていった。

 ここからがあたしたちの作戦の本番。

 題して、強行突破! 


「さて……」


 レモンが魔法のための集中に入った。いつかのように、両後ろ足だけで立ち上がって、自分のヒゲを自分の手で磨き始める。きれいに撫でつけ終わると、一瞬だけヒゲが金色に光った。お日様の色だ。


「よし、行くぜ!」


 たたっと助走をつけてから、レモンはあたしの肩の上に乗ってきた。使い魔と魔法使いは身体を接触させたほうが魔法が強くなるんだ。

 あたしはぎゅっと片手を握り締めてみる。うん──なんだか、よりいっそうパワフルになった気がする。


「台が邪魔だな」

「どかすね」


 教室の前のほうにあるような大きな演壇の端を右手で掴む。ぐっと力を込めると、あたしの体重ほどもある重い演壇が軽々ともちあがった。そのまま隅のほうへと片付ける。

 おーっ、と扉の向こうから声があがった。

 ふっふっふ。スーパーマンになった気分だね。いや、スーパーレディかな。


「扉……開けたままでいいの?」

「いざというとき、俺たちまで逃げられなくなるだろ。それに──見せつけておきたいしな」


 レモンが、ちらりと大臣猫たちのほうに視線を送ったことに、あたしは気づいた。ブランシュの『王とは名ばかり』という台詞を思い出してしまう。つまり、大臣猫たちに信頼されてないってことだろうか……? 

 だからここで自分の力を見せつけておきたいってこと?

 いけない。余計なことを考えてる場合じゃないや。

 レモンがぽんとあたしの肩を叩いて促した。


「じゃ、やるね……」


 あたしは左膝を落として床につける。

 弓を引き絞るようにゆっくりと右の拳を頭の横まで引いた。いっぱいまで。

 肩のあたりの筋肉がひきつって痛いほど。


「そうそう。そんな感じだ。おまえが気に入らないヤツを殴るときの要領だよ」


 レモンの声が耳元で響く──って、人聞きの悪いことを。あたしはそんなことしないってば!


「大丈夫だって。おまえの力なら、いつものように殴ればいけるって」

「そもそも殴ったことなんてないっ! ぐーでは……。っと。いけない。集中っと……」


 あたしは呼吸を整えた。

 石の床を睨みつける。

 このまま力いっぱい殴ったら……。


「あ、待って」


 ずるっと、レモンが肩から落ちかかった。


「ユズハ!」

「何か、手に巻く布、なーい?」


 扉の向こうに呼びかけると、ハナコさんが小さめのバスタオルを持ってきてくれた。

 そのタオルを拳に巻きつける。


「そんなの意味ねーぞ」

「だって、素手だとやっぱり怖いよ」


 レモンは前に言ってた。


『ユズハなら、拳に魔法をかければ、たぶん壁だってぶちやぶれる!』


 その言葉を信じてはいるけれど。

 怖い。

 もし、この床の下に空洞がなかったら──。

 強化された拳でも、さすがに大地を割るのは無理だろう。何もないよりはましとバスタオルを巻きつけてはみたけれど、気休めなのはわかってた。失敗したら、きっと拳のほうが砕ける。骨が折れて、皮膚を破って突き出してくる。手がぐしゃぐしゃになって、血まみれになって……。

 あ、頭の中に血まみれムービーががが!

 だめだ! 考えるな!


「すーはー」


 あたしはふたたび膝を落として構えなおす。何度も検討した。この下には絶対あるはずなんだ。


「いち」


 ここまで来て──。


「にぃ」


 こいつレモンの判断を疑えるかってーの! 大丈夫、この下には空洞がある。信じろ! 女は度胸だ!


「いっ──」


 拳を床に向かって打ち下ろす。


「──けぇぇぇぇぇえ!」


 ごう、と風を切る音が、打ち下ろす拳に少し遅れて聞こえる。拳の先が音の速さを越えたからだ。

 拳がかすんで視界を過ぎる。

 打ち込んだ瞬間、巻いたバスタオルが衝撃で千切れ飛んだ。床をびりびりとした震えが伝わってゆく! よっしゃあ!


 ぴしっと一筋の亀裂が床を走り抜けた。


 扉の向こうからどよめきが起こる。

 ぴし、ぴし、と亀裂の数が増える。打ち付けた拳を中心にして放射状に広がってゆく。亀裂と亀裂の間も割れて網の目になったヒビが、蜘蛛の巣のような模様を描きながら、部屋全体へと広がってゆき──。


 音を立てて地獄の巣のように漏斗状に床が凹む。

 次の瞬間、ぼこっ、と足下の床が抜けた!


「跳べ、ユズハ!」


 長机たちが斜めに傾いて漏斗の底に向けていっせいに滑り出した。

 レモンを肩に乗せたまま、あたしは床を蹴って宙へと躍りあがった。天井近くまでジャンプ! 目の前にシャンデリアがあったので、とっさに掴む。

 やれやれ、と思ったのも束の間。シャンデリアには、あたしたちを支えるだけの耐久性はなかったらしい。

 鋼の留め金が折れる大きな音とともに、鎖がほどけ、シャンデリアが落下を始めた!


「放すな!」

「うきゃああ!」


 必死にしがみつく。滑車が回り、ほどけた鎖が繰り出されてゆく。ガララララッ。音とともに、シャンデリアが床に向かって落下する。

 がくん、と衝撃がきて止まった。


「はぁ……」

「手、痛くねーか?」

「ん。だいじょうぶ」


 ちょっと赤くなっているけど。


 見下ろすと、礼拝堂の床が丸ごと崩落していた。大きな穴になってる。

 地下空洞だ! でっかい!


「うぁ。……やりすぎた?」

「かまわねぇよ。見ろ、あそこだ!」


 広がっていた空洞の側壁には、城の中央のほうへと向かって──、

 黒々とした洞穴が空いていた。

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