第10話 明日はその強運を信じてみましょう!

 制服にブラシをかけていると、レモンが来た。


「そろそろここには猫用ドアをつけたらいいんじゃないかな?」


 扉を引き、部屋の中に入れてやりながらあたしは言った。


「制服を出してたのか」

「うん。ほら、明日に決着がつくっていうんだったら、帰り支度をしておかないと」


 ここのところ、ずっとキャイネの服を着ていたんだけど、まさかこの中世風ワンピース服のまま地球に戻るわけにいかないし。そう思って、クローゼットにしまっていた制服を引っ張りだしてブラシをかけていたわけ。もちろん人間の衣服用のブラシだよ。

 猫の毛だらけになっちゃってたのは、キャイネにいた証だ。


「色々あったよねぇ……」

「なんだよ、いきなり」

「いやほら。なんとなーく、思い出に浸るっていうんですかぁ」


 見慣れているはずの高校の制服。けれど、わずかな時間であたしはすっかりキャッティーネの世界、というかキャイネ国に染まってしまっていて、なんだか制服を見て違和感を感じてしまってた。


 レモンの尻尾を掴んでしまったことからやってきた異世界だった。

 地球では黒猫だったはずのレモンは、キャッティーネに来たとたんにレモンイエロー猫になってしまい、おまけに魔法が使える魔法使い猫で、なんと王様猫でもあった! 

 で、そのレモンが王様として働いている国がキャイネ。そのキャイネ国、現在、呪いが降りかかっている最中だったんだよね。

 マタタビの飴の雨が降ったり。

 城中の鏡という鏡が、猫の本音をばらしたり……あれは大騒動だったっけ。

 そういう呪いと関係がありそうだったのが、お城の中をさ迷う少女の幽霊だった。

 おっかない数え歌を歌いながらさ迷う幽霊に、あたしは一度だけ間近で遭遇したことがあった。悲しげな瞳は今もあたしの心に焼きついている。

 まさか、彼女が百年前の滅びた国の王女で、自分の飼っていた九匹の黒猫たちと引き離された末に死んだなんて……。


「うん。ほんと、色々あったよ……」


 それらすべてに明日、決着がつく。つける、とレモンは宣言した。

 あたしはその言葉を信じようと思う。ので、こうして制服にブラシを──。


「ちょっと、来い」


 レモンが言って、せっかく入ったばかりなのに、またも扉のほうへと歩いてく。


「へ? どこへ?」

「いいから」

「もう遅いよ?」


 日が暮れると、鐘は六時を境に翌朝の六時まで鳴らない。国中に響く鐘の音だ。安眠妨害になっちゃうもんね。だから正確な時間はわからない。だけど、たぶんもうすぐ真夜中のはずだった。


「遅くないとだめなんだよ。いいから来い。見逃すぞ」


 見逃す……?

 仕方なくあたしは扉を開けてやり、レモンと一緒に部屋を出た。


 あたしの部屋は三階の廊下の突き当たりにある。階段を昇ってから、吹き抜けになっている中央の回廊をぐるっと回った先ってこと。

 真夜中のお城の廊下はいつものとおり暗い。五歩置きくらいに壁から生えた燭台に蝋燭が灯っているけれども、それで闇のすべてが掃えるわけもなくて。たぶん、地球の昔々もこんなふうに夜は闇の中だったんだろう。

 レモンは中央の回り廊下までくると、そこでいったん立ち止まった。


「この城は中庭が吹き抜けになってる。つまり、城の中央部分がすっぽりと空まで抜けているわけだ」

「うん。それが?」


 お城の中央は、漢字の「回」の字のようになっているわけ。それは知ってる。


「誰が名付けたか知らねーけどな。この城の中央部分は〈星の井戸〉って呼ばれてるんだ」

「へー。……〈星の井戸〉? なんで?」

「それを今から見せてやろうってのさ」


 そう言って、レモンはジャンプ。あたしの肩に乗ってきた。


「っと! あ、あぶないよ、レモン!」

「そんなヘマはしねーよ」


 ……あぶないのはあたしのほうなんだけど。

 あたしの肩に飛び乗ったレモンは、そのまま器用に肩の上で向きを変える。尻尾があたしの背中のほうへいって、顔があたしと同じ向きになるように。


「ほら、進めって! そのまま手すりから中庭を見てみろ」


 廊下の片側が柵になっていて、吹き抜けになった中庭を見下ろせるようになっているのだ。三階というのはそれなりの高さがあるし、今はあたりが真っ暗だから、ちょっと怖い。手すりにしっかりつかまりながら恐々と見下ろしてみた。

 ……。


「何にも見えないけど?」


 そういえば、と思い出す。中庭で喧嘩をしていた猫二匹。あの子たちを見つけたときも、月明かりの中だったから辛うじて見つけられたのだ。

 月明かり──?


「今日は満月だ。だから、ちょうど真夜中に月が真上にくる。ほら──来るぞ!」


 雲が切れて、月が出た。

 吹き抜けの側壁を照らしていた月の光が、じりじりと動いて中庭に辿りつこうとしていた。ゆっくりと、月の光というスポットライトが中庭へと降りてゆく。

 ついに辿りついた。


「あ!」


 真っ暗だった庭に、ぽつっ、ぽつっと、小さな丸い明かりが灯りだしたのだ。

 闇の中に、まるで星のように灯っている。


「蛍……? じゃないよね?」

「花、っていうか、種だな。タンポポを知ってるだろ?」

「う、うん。もちろん」

「あれのキャッティーネ・バージョンだな。ホシハナっていう花だ」

「その名前、どうにかならない?」


 キャイネらしい、まんまなネーミングだった。


「シンプルがいいんだよ! 聞けっての! で、そいつはタンポポみたいな綿毛をつけるんだが、月の光を浴びると光る」


 そう言っている間にも、次々と光が灯っていった。


「うわぁ……」


 四角く切り取られた中庭に、いまや何十もの明かりが灯っていた。丸い小さな明かりはかすかに揺れていて、まるで星のまたたきのようだ。


「そっか、だから……〈星の井戸〉って」

「まだまだ。ここからが本番だ。そら!」


 ザァァァァァ。


 風が、吹いた。春のおだやかな風だった。どこか遥か彼方からやってきた風。城の中庭を吹き抜けると、いっせいに小さなともし火が揺れて──。

 明かりが分裂した。

 小さな明かりが、もっともっと小さな、閃光花火の放つ火玉のような、より小さな明かりとなって、空に向かっていっせいに舞い上がった。


「す、すごぉぉぉぉい!」


 何十どころか、何百、ううん、何千もの小さな星たちが、井戸の底から天へと向かって昇ってゆく。きらきらきらきら。あたしの目の前をいくつもの光の粒がよぎってゆく。


「運がいいぜ、ユズハ。綿毛はすぐに散っちまうからな。たぶん、ここまで派手なのは今夜で最後だ……。もう、春も終わる」


 肩の上でレモンがつぶやいた。


「これを、見せたかったの?」

「まあな」


 レモンは小さな声で付け加える。


「キャッティーネの記憶を嫌なもんばかりで終わらせたくねーだろ」


 その言葉がゆっくりとあたしの心の中に染みこんでゆく。チリが『読解リーディング』で見せてくれたいにしえの陰惨な光景。あれもまた真実。でも、目の前に見えるこのまたたく星の乱舞もまた──。


「あたし……運がいいの?」


 風の勢いが落ちても、光る種はゆっくりと空へと昇ってゆく。どこかの地に落ちて、そこで新しい芽を吹くんだろう。


「強運だな」

「そっかな」

「間違いない。なにしろ、俺の使い魔になれたくらいだ」

「はいはい。そのとおりですね、ご主人様」


 そう言いながら、レモンのおでこを指で軽くはじいた。この偉そうな魔法使い猫ときたら、最後の最後まで自信たっぷりだ。

 でも──。

 そっか、運がいいのか、あたし。


 じゃあ──、

 明日はその強運を信じてみましょう!

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