第7話 信じられないっ。

 振り返ると、黒いメイド服を着込んだ小柄なおばあさんが立っていた。

 六十は越えていそうで、ネコ耳とネコ尻尾が付いていた。

 ということは──。

 あたしと同じ地球人ということだよね。どう見ても顔つきが日本人だし。日本語で声をかけられたし。

 あれ? あれれ? 待って。

 そういえば村の入り口に立っていた門番の言葉もあたしわかったぞ? 道すがら聞いた人と猫の会話も理解できたし。

 そういえば、レモンも日本語で話してないか? これはどういうことだ……?


「あのぉ……」


 もういちど声を掛けられ、あたしは我に返る。


「あ、あたし、ですか?」

「はい。ユズハ様をお呼びしました」


 そう言って、ネコ耳メイドおばあちゃんは皺を深くしてにっこりと微笑んだ。

 わあ、と心がほっこりする。いいなあ。いい笑顔。

 思わずなごんでしまう。遠い昔、甘えてつきまとっていた祖母を思い出してしまった。


「若様から、お部屋に案内するように、と申しつかっております」

「あ、はい。ありがとうございます」


 反射的に答えていた。

 ……ん? 

 いま、このおばあさん、何て言った?

 若、様……って、レモンのこと?


「では、お部屋はこちらです、ユズハ様」

「あ、様はいいですよ。名前で」

「ユズハ様。そんなわけには……」

「いいですから」

「はあ……。あの、では、……ユズハ、さん?」

「はい!」

「あの……ちょっとよろしいですか?」


 そう言って近づいてきて、あたしの頭に手を伸ばしてきた。


「ん?」

「ピンが……」


 あたしの髪留めを直してくれた。どうやら、全力で走ってきたから髪が乱れてしまっていたらしい。


「あ、ありがとうございます。ええと……」


 そういえば名前を聞いていなかったぞ。


「ハナコ、と申します」


 名前も日本人そのものだった。

 大正メイドライクなハナコおばあちゃんに連れられ、お城の長い廊下を歩いた。

 もちろん、猫たちの酔っ払った声は、いまだひっきりなしに周りから聞こえ続けている。このお城にはずいぶんとたくさんの猫がいるみたいだ。その猫たちが残らずマタタビで酔っ払っているのだとしたら、確かに大変な事態だろう。

 次第に廊下が細くなり、左側の壁にたくさんの絵が掛けられたところを歩き始めた。

 古い──かなり古い油絵だ。

 何枚も何枚もある。

 何気なくちらちらと見ていてあたしはふと思いつく。


「……これって、もしかして王様の……ここ、お城みたいだし」


 立派な服を着て、大きな椅子に偉そうに座っている男性の肖像画が多いのだ。


「はい。歴代の王です。通ってきたほうから古い順に並んでおります。このあたりは数代前で」

「数代、前……?」


 そこでようやくおかしいと思った。

 疑問を持ってしまったのは、壁に掛けられているのが人間の肖像画だったから。男性っていうのは、つまり、人間の男、ということで。

 これはつまりええと……。レモンの言っていたことと矛盾しないか?

 それとも、この国って、大昔は人間が王様だったってこと?


「初代王から順に並べてあります」

「へー」


 並んだ絵の最後まできた。

 それはかなり新しい絵で、描かれているのは──。


「いきなり猫じゃん!」


 ずらずらと続いていた人間の肖像画の列からちょっとだけ間を置いてその絵は掛けられていた。前の前の王様だという絵。

 間違いなく猫だ。

 それも黒猫。


「革命でも起きたの!?」

「は?」

「動物農場でブタに扇動されたとか!」

「はあ? いえ、そういう話は聞いておりませんが……」


 ハナコさんが困った顔になる。うう、ツッコミづらい……。


「なんで、いきなり猫になってんのよ!」

「と、申しましても。もう、三十年は前ということですから。わたしもよく……」


 ハナコさんがますます困った顔になった。


「あー……。そう、なんだ」


 あたしはそこでハナコさんは地球人なのかもということを思い出した。ひょっとしたら、あたしと同じように、こっちの世界に来たばかりなのかもしれない。だとしたら、歴史なんて知らなくて当然かもしれない。 

 でもそうなると、何故ハナコさんはこっちの世界に居残りつづけているのか、が疑問になるけど。

 もしかして……帰れないってこと? 

 いやいやいや、レモンはそんなこと言ってなかった! なかったと……思う。

 そ、そのあたりは後でじっくりレモンに訊かなくちゃ!


「にしても……猫だなぁ」


 何度見ても猫だった。

 前の前の王様だという肖像画の猫は、豪華なソファに前足を組んで優雅に座っている。頭にはちょこんと小さな冠が載っていた。かわいいというよりもかっこいい絵だ。前の足も後ろの足もすらりと細長くてきれいな猫だった。美猫じゃん。一枚コピーしてポストカードにしたいくらい。

 その絵の隣はぽっかりと空白だった。


「前の前の王様ってことは、前の王様と今の王様の絵はないの?」

「なにぶんにも、急な事だったものですから、まだ宮廷絵師の製作が間に合わず……」


 ハナコさんが教えてくれて、あたしは知った。

 前の王が亡くなったのが、たったひと月前にすぎないこと。

 あたしは肖像画の列の最後の一枚である前の前の王の絵を立ち止まって見入っていた。

 今の王から見ればおじいさんにあたるわけだ。

 この顔、似ている……?


「ねえ。ハナコさん」

「はい」

「じゃあ、この国の今の王様って……」


 おばあちゃんネコ耳メイドのハナコさんは、ごく自然にさらりと言った。


「レモン様ですよ」


「うっそぉ……」


 魔法使いかと思っていたら、王様でしたか!

 控えの間だという部屋に通されて、ふかふかの椅子に身を落ち着かせてからも、あたしはレモンが王だという事実だけは受け入れがたく抱えていた。

 遠い昔、この国には人間の王がいた。それが新しくわかったことで。

 そうして今この世界では、猫が主人で人間が召使いをしている。

 ここまでは何とか把握できたと思う。

 よし。受け入れようじゃないか。妙な生物が生きていることや、魔法が実在する世界であることも、百歩譲って認めたっていいさ。うん。そこまではOK。

 でも、そこまでだ。

 小さな黒猫のレモンがよりによって…… 王様なんて。

 信じられないっ。

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