第6話 考え込んでいたあたしの背後から声がかかった。

 転がる猫たちの奇態を見て、あたしは思った。


「かわいいし! やーん。見てほら、この子、ふにゃふにゃになってる!」


 足下にすりよってきたスコティッシュフォールドっぽい酔っ払い猫を思わず撫でてしまった。ごろごろと喉を鳴らして甘えてくる。これが私のご主人様だと言われても、とてもそうは思えなくなっちゃう。


「あ、わかった。ひょっとしてこのドロップって、単なる色のついた氷じゃなくて──」

「マタタビ入りだ! 飴になってるんだ!」

「やっぱり」


 降ってきたのはみぞれじゃなくてマタタビ飴だったのか。あ、なるほど! わかったぞ。これはつまり、

 キャンディ・ドロップレイン・ドロップっていう……。


「……誰のギャグ? はてしなく昭和の香りがするんだけど……」

「ギャグじゃねえよ! これは古き呪いだ!」


 呪い、ですと?


「いいから、走れ!」


 だから無理だって。

 思いつつも──まあ、ご主人様の言い付けだし──頑張って走ってみた。

 五分も走ったら、息が切れてきた。

 噴水の広場を越えた辺りから周りには建物が増えて田舎っぽい雰囲気が消えた。この先は街の中心なんだろう。目の前のお城も見上げるほどまでは近づけた。

 けれど、もう心臓が持ちそうもない。


「ひぃ、はぁ! む、むり~! もう、むり~!」

「使えねぇ! 運動不足すぎだろ、ユズハ!」

「だ、だって~」


 それにあたし、朝はトースト一枚だったんだよ!


「はあ。はあ。も、う、走れない~」

「ちっ」


 ね、猫の舌打ちなんて始めて聞いたぞ。ぜえ、はあ。


「面倒が起こる前に行きてぇってのに……。仕方ねぇな。楽に走れるようにしてやる」


 そう言って、レモンは一度あたしの肩から降りた。そして何を考えてのことか。

 ヒゲを磨き始めた。

 猫が顔を洗うところを見たことがある。手のひらを舌で舐めて、その手を顔やらヒゲやらに押しつけてこするっていう、あれだ。

 普通は右か左の前足を使ってやっているはずだ。

 ところがレモンが始めたのは、両の前足を使ってヒゲを挟み込むという磨き方だった。前足を両方とも使ってしまうわけで、そうなると、必然的にレモンは後ろ足だけで立つことになる。

 おお、なんて霊長類っぽい!

 猫だけど。

 立ち上がったままで器用にレモンはヒゲを磨く。

 シャッ! シャッ! シャッ! シャッ!

 磨いてる磨いてる!

 かわゆい! ああ、動画にして保存したいかわいさだ。


「うわーうわーうわーかわゆし!」

「黙ってろ! 魔法を使うには集中がいるんだ!」


 魔法?

 レモンは後ろ足で直立したまま、右前足と左前足を使って、右のヒゲの上から二本目をきゅっきゅと磨きだす。一回、二回、三回と、ヒゲを挟んで撫でてを繰り返した。


「よっしゃあ!」


 と、レモンが叫ぶと同時に、ヒゲが青く光った!

 

 光っただけ。


 青く光ったヒゲをレモンはあたしの脚にこすりつけてきた。

 えーと………………………………。


「魔法?」


 ふたたび肩に乗ったレモンが耳元で言う。


「ほら、走れ! 楽になったはずだ」

「まさかあ」


 そのまさかだった。


 身体を前に倒して、足に力を入れた瞬間だ。

 ドン、と派手な音がして、身体が前に飛び出した。


「わっ!」

「転ぶんじゃねえ! ふんばれ!」


 身体が泳いでしまった。レモンに言われ、自然に前に出ていたもう片方の足で地面を捕まえようとして強く力を込めた。

 ドドン!

 加速した。


「げ!」


 力を込めた足が土の道をえぐる。地面が、やわらかい砂場のように深くえぐれた。土砂を王冠のように脚の周りに噴き上げた。

 身体が加速して、前に飛び出した! 

 思わずついた足がまたも地面を蹴り飛ばす。さらに加速。加速。


「わ! わ! わ!」

「倒れるなっての!」


 加速が続く。三歩目にはもう十メートルは進んでた。風が両の頬を流れて首の後ろへと去ってゆく。視界が狭まる。

 土砂を後ろに吹き飛ばし、ぐんぐんと加速してゆく。速い速い。道の左右の風景はもう目に留まらず流れ去ってゆくだけだ。

 前だけを見つめた。


「す、ごい! どこまでも走れ、そう!」


 風が顔にあたってうまくしゃべれない。切れ切れになりながらレモンに言った。肩の上にしがみつきながらレモンが答える。


「俺が得意な魔法は肉体の強化なんだ。腰から下だけ魔法で強化したんだよ。ユズハの魔力を借りれば、俺はでかい魔法が使えるんだ」

「そ、それって──」


 猫だけではたいした魔法が使えないって言ってないか?

 なんて考えたそのときだ。

 視界の前方、斜めの屋根の上の子猫が目に入った。

 屋根に落ちたマタタビ飴を舐めたところだ。頭がわずかに左右に揺れ出した。酔っ払ったのだ。

 まずい。

 このままじゃあの子猫──落ちる!

 屋根の下まで二十メートルはあって、とてもじゃないけれど、普段なら間に合わない距離。けど!


「レ、レモン!」

「おう。行け!」


 うん!

 鞄を捨てて地面をさらに強く蹴る。ドドッとさらなる加速がついて、あたしの身体はあっという間に前へ。景色が視界の端から背後へとふっ飛んでゆく。

 ふらふらしていた子猫はついに屋根の上を転がり──落ちた!

 焦りに心臓がぎゅっと縮む。


「間にあえぇ!」


 屋根の下にすべりこむ。

 子猫が目の前に落ちてくる。

 とっさに両手を差し出して──キャッチ!

 落ちてくる子猫をいっぱいまで手を伸ばして受け止めた。そのまま胸に抱え込む。


「止まれえええええ!」


 足を前に突っ張らせて急ブレーキ! 今度は前方に土砂が吹き上がった!

 ざざざざざぁ!

 派手な音を立て、十メートルほども行ってから止まった。振り返ると、かかとのブレーキ跡が長い長い溝を掘っていた。


「はああ」

「上出来!」

「し、死ぬかと思ったよ……」


 荒い息のままあたしは言った。

 悲鳴をあげつつ母猫が駆けつけてきた。子猫を渡す。まだ酔ったままの子猫は自分が死にそうな目にあったことなんて知らなげに、ふにゃりと母に甘える。

 ありがとうございます、レモン様、と母猫が涙声で礼を言う。


「助けたのは、ユズハだよ」


 レモンに言われて、あたしは頭の後ろをかく。いえいえ、そんな。てへへ。

 いい気分。まあ、レモンの魔法がかかっていなければ、あたしの足のノロさじゃ、とても間に合わなかったんだけどね。

 母猫に「ありがとうございます、ユズハ様」と礼を言われ悪い気はしなかった。

 すごいじゃん、魔法。

 落としてきた鞄を拾いに戻る。

 あたしたちは再び走り出した。


「うん。まだまだ走れそうだよ!」

「調子に乗るなよ? 無理すっと、心臓にくるぞ。腰から下だけだからな強化したのは」

「あ、確かに。ちょっと苦しくなってきた、かも」


 確かに少しずつ息が切れてきたのだ。それに、左手でずっと持っている学生鞄が地味に重く感じてきた。

 脚の力が強化されただけだし、持久力までは上がらないらしい。


「お、おーらい。無理はしない」


 ジョギングレベルまでスピードを落とした。

 走っているあたしの肩の上でレモンの瞳は左右に動き、引き続き街に起こりつつある変化を追っていた。

 ふんごろにゃぉーんと猫たちの声が聞こえてくる。

 外に出ていた猫たちは、もう見る限り残らず酔っぱらっていた。

 みぞれは止んでいたけれど被害はますます広がりつつある。

 てゆーか、段々ひどくなってる。

 角を曲がったら急に通りが広くなって、お城が間近に見えた。

 お城は、左右に張り出した棟をもつ大きな建物だった。中央と左右の棟には屋根を越えて塔──尖塔と呼ぶのかな──が、曇り空に向かって伸びている。

 見た目も作りも人間の造る城と変わらない。そういえば町並みもそうだった。

 城の手前には堀。吊り橋が渡してあって、その向こうに石の壁。渡してある橋の先だけは門が開いているから内庭が見えている。

 青い芝の上に七色のみぞれが積もっていた。

 やたらと降った量が多くないか?


「これは……」


 橋を渡ったところでレモンが絶句した。

 風に乗って、城の窓という窓からは猫たちの甘えたような嬌声が聞こえてくる。

 大合唱だ。


 ふごろにゃおーーーーーーーん!


 うおう。すっごい! これは確かに非常事態だ。

 城門から中庭を抜けて城の中へと入る。日差しが途絶えて、薄暗い円形の大広間になった。二階まで吹き抜けで、正面に弧を描いて階段がふたつある。

 そこであたしは走るのをストップ。

 レモンが肩から降りた。

 そのまま城の奥へと走ってゆく。


「ちょ、ちょっと待ってよ!」

「ゆっくり来い、ユズハ!」


 と、言われましても……。こんなでっかいお城にひとり放り出されちゃ……。


「あれ?」


 あたしはそこでようやく気づいたのだ。


「なんで入れたんだろ?」


 ひとりごちる。

 おかしい。

 城内に入った直後にある円形の大広間であたしは立ち止まった。

 橋のところにも門番はいた。人間の門番だった。村の門よりもさらに警戒していたはずだ。武器も鎧もいかめしかったし。ところが止まれの一言もなかった。当然のような顔をしてあたしは門の内へと走りこんでしまったけれど、何でそんなことができたんだろう?

 あと、レモンがわざわざこの城に来たがった理由は何だ?


「あのぉ……」


 考え込んでいたあたしの背後から声がかかった。

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