第3話「下僕だ」
「なんでなんでなんで! ええええええ!?」
叫びながらお尻で後ずさる。
痛い!
な、なんだ?
腰のあたりに痛みが走った。視線を向けると地面についた手の先に、別の黄色い紐が見えた。
いや、紐じゃない。
ふさふさした見覚えのあるこれは──尻尾だ。
あたしがさっき掴んじゃった尻尾よりもっと太い。目で追う。太いだけじゃない、長い。
その長く黄色い尻尾は、どうやらあたしの身体から直に伸びているみたいで……。
え?
黄色い尻尾を掴んでみる。
引っ張ってみた。さきほどの感覚が蘇った。
うん。痛い。
間違いなく、この長く黄色い尻尾は、あたしのお尻から生えていた。
「おまえ、鏡、もってるか?」
「かがみ……?」
あたしはもう何が何だかわかなくなってて、言われるがまま学生鞄からちっこい手鏡を出した。「見ろ」と言われて顔を映す。髪を右前でピンで留めた丸っこい顔が映る。もうちょっと細い顔に生まれたかったと、あたしは鏡を見るたびに思うのだけど──って、あっ!
思わず頭に手をやってしまう。
あたしの頭の上、本物の耳の上に、三角のふさふさした耳がもうひとつ付いていた。黒い髪から飛び出ている黄色い──まごうことなきネコ耳だ。
「み、みみがふたつになっちゃった!」
「意識を切り替えりゃ、どっちの耳でも聞こえるぞ。ま、俺たちの耳のほうが性能はいいけどな」
レモン猫がどや顔で言った。
良くわからない猫の言葉は後回しにしよう。ようするにこれはあれだ。いわゆるネコ耳を付けた状態なわけだ。引っ張ってみると、やっぱり痛かった。単なる付け耳じゃなくて、尻尾と同じようにあたしの身体から生えてきている、みたい。
とりあえず耳と尻尾が自前なのは確認できた。
さらに、鏡のなかの顔を見て、あたしは気づく。
「なに、この足あと!」
あたしのほっぺたには、まるでフェイスペイントされたかのように黒い肉球の足あとが付いていた。
「あしあと……?」
「似合うぞ」
口の端をゆがめて笑みを浮かべながら言われてもぉ。
「えー? うーん。かわいい? うーん」
そりゃ、かわいいって言われりゃうれしいし。かわいいものは好きだけど、自分にネコ耳が生えてもなぁ。自分じゃ見えないしなー。愛でられないっていうか……。
「あと、黒い髪からレモン色の耳が生えても……イマイチっていうか」
鏡を覗きながらそう言ったらレモン猫に呆れられた。
「不満はそこかよ! おまえ、友達から『あんた変わってるね』って言われねーか?」
言われるけど。なんでわかんの? そう尋ねたら、ため息を返された。
なんか悔しいぞ。
とはいえ、あたしも本当に全く不安や心配や驚きがなかったわけじゃない。ただ目の前で起きていることが現実離れしすぎていて、実感には今ひとつ乏しかったのだ。それよりまずはこの頬っぺたの肉球付きの足跡である。
「ねえ、この足あとは……?」
ごしごしと頬をこすってみたけれど、肉球スタンプは取れない。油性マジックで描いたか、取れないシールで貼ったかのようで、なんだか情けなかった。まぬけだ。
「消えない……」
「契約の印だからな。それが消えると、おまえ、死ぬぞ」
へ?
「いま、なんて?」
「道々、説明してやる、全部な」
「今説明してよ」
「後だ、後! ったく、こっちもおまえなんかを〈使い魔〉にしてる場合じゃないってのに……。言っとくけど、これは俺のせいじゃないからな。おまえが悪い」
「あたしが?」
「おまえが」
「何かしたの、あたし」
「した」
「うー」
「文句は後で聞く。ここは安全な場所ってわけじゃないんでな」
「ココ? ……って」
そこでようやく身体を起こして視線をめぐらせる。
頬をちくちくさせた青草でわかってもよかった。あたしはアスファルトに覆われたご近所の路地裏にいたんだし。
どこまでも続く青い空。
ぽっかり浮かぶ白い雲。
見渡す限りの緑の
どこだここは?
起伏のある緑なす丘を越えて、遠くに見える白亜の建物は、あれはまるでヨーロッパあたりにありそうなお城じゃないか。
あたしの住んでいる三吉町七丁目の光景ではない。
でもじゃあ──。
「ドコ?」
「おまえたちから見れば異世界ってやつだ。俺たちはここを〈キャッティーネ〉と呼んでいるけどな」
レモン猫が答えてくれた。
「……異世界?」
「ああ」
「またまたまた──ご冗談を」
「だったら良かったんだけどな」
「夢でしょ」
「だったら嬉しかったんだけどな」
「うそって言ってよぉ」
「あめぇよ。キャッティーネにようこそ。一応、そう言っておこう。ああ、そうそう。地球世界とは違って、ここじゃ、俺たちが主人だからな」
〈地球世界〉。奇妙な言い方だけど、この異世界と対比した言い方なんだろうか。っと、問題はそこじゃないぞ。
「主人? ……猫が?」
頷かれた。
「じゃ、あたしは?」
ニヤリと笑みを浮かべてレモン猫が言った。
「下僕だ」
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