第31話 手紙もしくは恋文(ラブレター)

 薄暗く小さな部屋にろうそくの炎がゆらゆらと揺れながら灯りとなって燃えている。日向はそこで一人机に向かい、羽ペンを動かしていた。


 普段、ミミと一緒に神語エルの勉強をしているその部屋で日向は一人部屋を借りていた。


「……この文字は確かこの辺に……あった」


 日向の机の上には羽ペン用のインク、神語エルの辞書、そして手に持つ羽ペンの先にある羊皮紙がある。日向が文字を書くスピードは著しく遅い。しっかりと勉学を積んでいるとはいっても、まだまだ他言語を扱うのは難しい。


 日向は毎度のように辞書のページをめくりながら、一語一語綴っていった。


「う~ん。……どうしよう」


 日向が書くペースが遅いのは言語の問題だけではない。なかなか伝えたいことを言葉にできないでいたからだ。日向が書いていたのは手紙だった。それに載せる言葉を日向はひたすらに考えていた。


 誰に宛てての手紙か、それは言わずもがなであろう。何かを取り戻すために、彼女が笑ってくれるように一言一句をゆっくりと熟考して練りだす。


 そして、思いついたフレーズを羽ペンの先にインクをつけて、間違わないよう確認しながら描いていく。


 そんな時間はあっという間に過ぎていって、日向が書き終えるまで半日かかっていた。




 ——建国祭、当日。早朝。


「斬り上げて……ここで、踏み込み。……攻撃が来たら、回避行動」


 まだ夜の闇が残る本当に朝早い時間。日向は現れた魔獣を『デュランダル』で斬っていた。その動きはまだつたなさが残るものの初めて日向が戦闘した時とは比べ物にならないほど、鋭さが増している。

 日向の周りには死体と化して姿を留めていない魔獣の残滓ざんしがあり、宝珠ジュエルが転がっている。


「……時間はもうないかな。切り上げるか」


 日向が行っていたのは魔獣討伐であって、魔獣討伐でない。その本質はただの練習や訓練であって、征討することが本質ではなかった。


 日向には夜明けの強い朝日がぶつかる。照らされる日向は覚悟を心に宿し、ディルエール北東へと向かった。


 少し時間が経って、日向はいつもの見慣れた草原に来ていた。早朝の時間に来ることはあまりないが、晴れた今日この頃の景色は昼間の景色よりいくらか美しく幻想的に見える。


「まだ、寝てるかな?」


 日向はその草原を一際警戒しながら、ゆっくりと突き進んでいた。警戒しているのは『疎外の紅眼スカーレット』達。日向は出会わないように影を潜めて、目的地へと向かった。


 日向がたどり着いたのは『紅眼の家畜小屋スカーレット・ハウス』。


「……音は聞こえない。とりあえず、大丈夫そう」


 耳を澄ましてみても彼らの気配は感じられない。すやすや眠っているのだろう。

 日向はそうであれと願って、懐から羊皮紙を折り畳んで白い封筒に入れた手紙を隙間だらけの扉に押し入れて、部屋の中に手紙を押し込んだ。


 ポトリと廊下に転がった手紙の表紙には『アイシアへ』と拙い神語エルで綴られていた。

 目的を果たした日向は新たな目的に向かってディルエールの方へ歩み始める。もちろん、息を潜めて気づかれないように。




 朝日が地平線から全て現れて、日向がその場から完全に姿を消した頃、『紅眼の家畜小屋スカーレット・ハウス』では、少女達が朝日に当てられて、目を覚ましていた。


「……う~ん。うん。……あぁ、眩しい~」


 最初に目を覚ましたのはマロンだった。栗色の髪をした彼女の顔には燦燦とした朝日が照り付けており、眠ろうとしてもそれを許してくれなかった。


「……とりあえず、顔洗おうーっと」

「……ううっ。……あら、マロン。先に起きていたの?」


 マロンの独り言で目を覚ましたのはアイシアである。


「今起きたところだよ~。ちょっと、外に顔を洗いに行こうと思って~」

「……そう。私も行くわ」

「わかった~。外で待ってる~」


 マロンは先に廊下へと向かい、外にある水溜場みずためばに向かう。水の提供にも限りがあるから、内と外で用途に分けて水を使い分けている。


「……ふぅ。私も行こう……」


 そう呟いて、アイシアが廊下に向かうと先に外に出ているはずのマロンが立っていた。


「……どうしたの?」


 アイシアの問いかけにマロンはそろりと振り返る。その手には封を開けた手紙があり、それを読み込んだマロンの表情はどこか寂しそうな、でも少し嬉しそうなそんな何とも言えない表情をしていた。


「……これ、読んでごめん。返す」


 開けた手紙を折り畳み、アイシアに手渡した。


「……う、うん」


 アイシアは不思議そうな面持ちで、渡された手紙を読み始める。そこには、どこか幼く拙い字で、けれどしっかりと気持ちを込めて綴られた神語エルの数々が並べられていた。


「アイシアへ。本当に前は僕の無責任な言葉で傷つけてごめん。だから、僕は君のために何ができるのかを必死に考えて、手紙にすることに決めました。

 アイシア、僕は君にもっと生き続けてほしい。頭を冷やして考えてみたけれど、結局この答えから考えを変えることはできなかった。それは、僕のエゴかもしれないけれど、君が望んでいないのかもしれないけれど、やっぱり僕は君に生きていてほしい。生きて、一緒にどこかへ行くんだ。君は星空のきれいな景色をずっと見たいと言っていたけれど、ここじゃない別のところで星空を見上げれば、また別の星空が見えるかもしれないし、君が受け入れられる国があるかもしれない。

 そんなところへ、君が生きていたなら一緒に行きたいんだ。君と一緒に旅がしたいんだ」


 日向の切実な願いにアイシアの紅い瞳は手紙の文字にずっと引き込まれ続けた。


「それで、可能なら君と家族になりたい。もし、呪縛じゅばくから解き放たれたとしても一人になるかもしれない。だから、君にずっと寄り添い続けられる家族になりたいんだ。家族として、旅をして、家族として、日々笑いあって、家族として、一緒に暮らす。そんな関係に。

 だから、今日僕は君のため、いや君達のために僕は戦う。意味のないことかもしれないけれど、君達が幸せになるように僕はディルエールの陛下に訴える。もし、それが成し遂げられて、僕と共に来てくれるのなら、そこで待っていて。生き続けていて。死なないでいて。

 絶対僕が迎えに行くから」


 アイシアは知らぬ間に涙を流していた。それがなぜなのかはわからないけれど、嬉しいという気持ちで泣いているのだと、それだけはわかった。


「……ちょっと、あたしも引き付けられちゃったなぁ」


 涙を流すアイシアを見るマロンの目にも少しだけ涙が溜まっていた。ただの手紙とは言い難い恋文ラブレターにも似た日向の思いに。


「……マロン、ごめん今日はもう帰れないかもしれない」


 唐突にアイシアはそう言った。涙を腕で拭った彼女は真剣な眼差しでマロンに告げる。


「……お兄さんの元に行くんですね~。あたしは別にいいですよ~。レナはなんていうかわからないけど」


 決意に満ちたアイシアにマロンは優しくそして呑気にそう答えた。


「……ごめんなさい。じゃあ、行ってくる」


 アイシアは厚手のローブを身に纏い、その言葉を残して『紅眼の家畜小屋スカーレット・ハウス』を飛び出した。


「いってらっしゃい~」


 マロンは優しく、駆ける彼女を見送った。


「……マロン、アイシアはどこかに行ったの?」


 二人の声でやっと目を覚ましたレナが廊下にいるマロンの元へ来る。


「さあ、どこへ行ったのかなぁ~?」


 マロンは溜まった涙を振り払い、レナに笑みを浮かべて返答する。


「答えになってないじゃない」


 反論するレナにマロンは地面に残された手紙を拾い上げ、レナに手渡した。


「これを見れば、わかるかもしれないよ~」

「……なにこれ?」


 そんな疑問の言葉が廊下に小さく響いていた。

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