第25話 病室と青年

 何がなくとも、時間は経つ。嘆いていても、知らぬ間に進んでいる。


 日向はベッドの上で泣き続け、しばらくの時間が経っていた。いつの間にか、目から雫は消えていて、涙は枯れていた。

 そんな目で見るのは窓から見えるディルエールの町々。時間はちょうど昼の頃だが、今日は曇り空であるため少し薄暗く感じる。


 日向が連れて来られたこの病院はディルエールの中でも一二を争う大きな病院であるらしく、日向の病室からの景色を鑑みると、かなり高く建設されていることがわかる。


 ディルエールでの医療はこの世界の中では随分と進んでいる方だ。とはいえ、現在の先進国の医療に比べればかなり後退しているが、この世界には魔法というものがあるためある種では現代よりも先進的なところもある。


 日向はディルエールを囲む巨大な壁を見つめて、アイシア達のことを思い描いていた。


「……アイシアの命はあと、九日。それも、魔法を使わなかったらのことだ……。僕に何かできる……わけがないの……かな」


 日向は少し諦めかけていた。

 たった数日で、彼らの境遇を変えることなんて、よほどのことがなければ不可能であるし、それにそんな力も自信も既に失ってしまったのだと感じていたからだった。


「……せめて、何かきっかけがあれば……」


 日向は窓から見える景色から目線を外し、溜息をついた。


「……ねぇ、今度の休み……どうするの?」


 病室の扉から看護師ナースの声が漏れ聞こえる。日向は別に興味がなかったものの特にすることもできることもないので耳を澄ましてみることにした。


「……特に決めていないけど……その日に確か建国祭があったでしょう? それで、少しお出かけでもしようかなって」

「いいわね。確かに建国祭の日は色々と店も出るし、ディルエール全体で盛り上がれるからね。私も一緒に行くわ。どこで、待ち合わせにする?」


 日向は頭の中にカレンダーを思い浮かべる。

 もちろん、日本の日付と全く同じではないがディルエールの時間周期は24時間で一日、365日で一年、それで違わない。それを知っていた日向はその祭典とやらがちょうど九日後にあることだと理解する。


「……建国祭、そんな日がアイシアの寿命だなんて、本当に皮肉だ」


 アイシア達をしいたげるディルエールの記念日にアイシアが死ぬかもしれない。そんな、寂しく残酷なことがあるだろうか。


 日向は苦悩した。何もできない自分に、体を動かせない自分に。


「……日向さん、お気分いかがですか?」


 顔を落としていた日向に、部屋に入ってきた先ほどの森精エルフ看護師ナースが微笑を浮かべて、問いかける。


「……僕はいつここを出ることができますか?」

「……そうですねぇ。今は魔法であなたの傷ついた体を繋ぎ止めて、癒している状態なので、早くても七日程でしょうか?」

「……七日。もっと、早くは……」

「できませんよ。あなたの体はかなり深刻な状態です。今、治療をやめてしまってはいつ体が壊れてしまうかわかりません。くれぐれも変なことは考えないでくださいね」


 優しい口調に日向は小さく頷く。日向のためを思って言っていることだとはわかっていたのだが、今の日向には酷であった。

 そもそもアイシア達を助けるとしても、時間は限られているし、その上七日も失ってしまえば絶望的だ。日向は内心打ちひしがれた。


「昼食はこちらに持ってきますから、くれぐれもお願いしますよ」


 優しい口調で釘を刺され、日向をさらに追い詰めた。


 森精エルフ看護師ナースが再び部屋を去ると、また静かな病室へと元に戻った。部屋の近くで話をしていた看護師ナースも今はどこかに行ってしまったようで、本当に静かであった。


「僕に……力があれば……」


 嘆息交じりにそう零した日向は顔を苦くした。重たい体をなかなか動かすこともできず、病室のクリーム色の壁をただじっと見つめて。


 ビューン!


 病室の両開きの窓から心地の良い風が勢いよく入り込み、窓際の白いカーテンを大きく揺らした。日向はその風に驚き、目を見開く。


「うわぁっ!」


 すると風とは別の驚きで、声を上げた。日向の驚きはカーテンに隠れていた見覚えのある青年によるものだった。美しい白い装束を纏った、あの青年だった。


「やぁ、日向」


 麗人のように美しい声をつむぐ青年は優しく微笑んでいた。


「どこから、入ったんですか?」

「君達には理解できないだろうから、説明のしようがない」


 答えにならない答えを答える青年に日向は「はぁ」と答えるしかない。


「日向、君は今悩んでいるようだね」


 唐突に告げられた青年の一言に日向の表情は曇る。そして、おずおずと頷いた。


「それは、黒髪の少女のことかい? それとも、白髪の少女のことかい?」

「……正直、わかりません。でも、たぶんアイシアに氷雨を重ね合わせてみていたんだと思います。けど、僕は失敗してしまった。僕の欲望を彼女達に押し付けてしまった」


 コクコクと頷いて、青年は口角を緩める。


「……なら、君に質問だ。例えば、日向が『彼ら』を助けるに至ったとして、その後『彼ら』はどうなると思う?」


(考えたことなかった。漠然ばくぜんと助けるということだけが頭に浮かんでいて、アイシア達の未来になんて)


「もっと、具体的に言おう。『彼ら』を締め付ける『かせ』が外れた時、『女神の腕輪』による呪縛じゅばくが外れたとしたら、『彼ら』はどうなると考える?」


 日向は頭を巡らした。この青年が日向とアイシア、もっと言えば氷雨にまで一番よくなる答えを伝えてくれると感じたから。


「……それは、一番に家族の元に戻りたくなるんじゃないですか?」


 日向の出した答えはこれだった。たとえ、捨てられたのだとしても自分を生んでくれた家族の元へ訪れて、せめて一言でも何か言いたいだろうとそう考えた。そして、もし叶うのならば成長した自分を死ぬまで愛してくれるよう家族に願うだろうと。


「ならば、そう仮定したとして『彼女』はどうなると思う?」


(『彼女』とは間違いなくアイシアのことを指している。……アイシアはそう言えば……)


「……帰る場所がない?」

「その通りだ、日向」


 アイシアの家族は名前を託して、ディルエールを去る羽目になった。そうだとすれば、アイシアには家族の元へ帰ることなどできない。


「『彼女』には帰る場所がない。仲間が家族の元へ行ってしまえば、本当の意味で『彼女』は一人になってしまう。短命で死がもう近いというのにそうであったら、彼女を包んでいる世界は全て絶望という黒に染められる」


 青年は心の機微を見せるように微妙に顔を動かしながら答えた。


「……本当に悲しいよ。でも……僕には……何も……」


 日向は事実を知ったところで、何もできないことがわかっていた。自分が希望を見出したところで、アイシアに希望が訪れるわけではない。それこそ、ただの同情だ。

 だからと言って、今の自分がアイシアのために動けるわけでもない。結局のところ、青年が言う絶望の黒に向かうしかないのだとそう感じていた。


「日向、少し君に私の言葉を伝えよう……か」


 暗く淀んだ表情の日向に微笑を浮かべる青年は語りかけるように口を開いた。

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