第26話 願いと憂い

 暗くよどんだ表情の日向に微笑を浮かべる青年は語りかけるように口を開いた。


「日向、君は彼女に何もできないから、悩んでいるのだろう?」


 日向はおずおずと頷く。


「僕はアイシア達に嫌われてしまった。余計なお節介をしたせいで……」

「日向、それは違う」


 青年は笑みを浮かべて、しかし真剣な眼差しでそう言う。


「確かに、『彼ら』から否定されたことは仕方がない。けれど、本当に認められたいのなら、『彼ら』を助けたいのなら、『英雄』になりたいのなら、否定されなければならない」


 青年は日向に伝えたかった。諦めるなと。


「『英雄』になる。……以前にも言っていましたね? 僕なんかがそんな幻想じみた凄い人になれるのでしょうか? というより、アイシアを救うことが『英雄』に値するのでしょうか?」

「それは、もちろん君次第さ。君が考えて、行動して、これ以上ない結論に至ることができれば、きっと『英雄』に近い存在になることができるだろう」


 青年は願っていた。日向がこの世界の、アイシアの『英雄』になることを。


「……でも、やっぱり僕は……。これ以上……何も……」

「日向、『英雄』とは認められないものだ。……結局のところ、それはただの欲望なのであって、その欲望のために他者を巻き込み、『英雄』になる。誰かを救うような『英雄』になるのならば、認められなくとも願い、欲さなくてはならない。その意味を今一度考えてみるんだ」


 青年の言葉は日向に重く響いた。


「……僕には何ができますか?」


 日向は問いかける。


「強いて言うならば、何でも。君が望む限り、願う限り、君の力がきっと応えてくれる」

「……僕は何をすればいいですか?」


 日向はまた問いかける。


「そんなもの、わからない。君自身が決めるんだ。……ただ、一言いうのなら、君ができることを、『彼女』にしてあげられることをやるんだ」

「……アイシアにできること。……僕ができるのは、戦うことしかできない。それも、正攻法で。僕にはそんな頭よく考えられるわけでもないし、ただ彼女を救うために魔獣とディルエールと戦うことしかできない」


 悩み苦しんだ日向の真っ暗な視界に光明が差した。それが、神の導きなのか、はたまた青年の気まぐれなのかはわからないけれど、少なくとも戦うための指針は見えた。


「それでいい。きっと君の未来は明るいものとなるだろう。でも、今のままじゃダメだろう?」


 青年が懸念するのは日向の体。無理して戦って、回復魔法を施されたばかりの日向の体はまだ動くはずがない。


「だから、私からのささやかなプレゼントだ。これが本当に最後の。君の未来に幸があるよう……」

 青年がそう呟いた瞬間、病室を真っ白な光が包み込んだ。それは、温かく柔らかな光。白んだ病室に色が戻ったのは数分後だった。

「……一体何が?」


 日向がそう思っていると、体が自由に動くことがわかった。あんなに重かった腕も足も嘘であったように軽くなっていた。


「……あの人は? いなくなっている」


 青年は風のように消えていた。窓は開いているので、そこから出ていったのかと思っても、かなり高いところにあるこの病室から飛び降りるには無理がある。結局、青年がどのように部屋から消えたのは訳が分からない。


「……本当に嵐みたいな人だなぁ。結局、誰なのか聞きそびれたし」


 日向は小さく笑って、動くようになった足で立ち上がる。そして、傍らに置かれた鎧を一瞥し、宝珠ジュエルの入った布袋と鎧と一緒に置かれていた『デュランダル』だけを手にして、病室を静かに飛び出した。


 開いた窓から心地よい風がビューンと吹き抜ける。舞い上がるカーテンから透けて見えるディルエールの空は少しだけ日が差していた。




 ——同時刻、紅眼の家畜小屋スカーレット・ハウスにて。


「アイシア、本当によかったの~? お兄さんを置いてきて?」


 自分の武器を磨き上げながら問いかけるのは小人ドワーフの少女、マロンである。問いかけているのは、椅子に座って窓の外をボォーっと見つめるアイシアだ。

 アイシアは元々あまり話すことは多くないものの今ほど少なくなっていたことはなかった。というより、日向とひどい別れをした昨日からずっと窓の外を見続けている。かなり、心に残っているのか、アイシアの様子はマロンから見ておかしいものだと感じていた。


「…………別によかったのよ。……どうせ、私はもうすぐ死ぬんだし、日向が私と別れればきっと幸せになる。……だから、あれがいい機会だったのよ」


 自分に言い聞かせるように苦笑を浮かべてアイシアはそう言った。


「それは正しい。あいつが言っていたのはただの同情。私達とは関わってはいけないの」


 アイシアが座る椅子のすぐ前にある机に本日の惨めな昼食を並べながら、レナは答えた。


「けれど、ちょっと強く言い過ぎたことも否めない……わね」


 料理と呼べない料理を並べ置いたレナは言い直すように答える。


「珍しいわね。レナが私達以外の人間の肩を持つなんて」


 アイシアの言葉にレナは赤く頬を染める。


「違う! そうじゃなくて、あいつが少しかわいそうに見えて……」

「やっぱり、なんかおかしいなぁ~。でも、あたしはお兄さんのこと嫌いじゃなかったよ~。美味しい食べ物を持ってきてくれたし~」


 鎧磨きを切り上げたマロンは自分の席に座って、そう言う。


「マロンも珍しいわね。人間に興味を持つことなんてなかったのに」


 アイシアがそう返すとマロンがクシャっと笑う。


「そう~? まぁ、確かにそうかもしれないねぇ~。お兄さんが特別ってわけではないけど、他の人間とは少し違ったからねぇ~」


 感慨深くそう答えたマロンは硬いパンを手に取り、かじりつく。


「でも、私達は突き放すことを選んだ。アイシア、そうでしょう?」

「……うん」


 正しいけれど、どこか寂しそうにアイシアは頷いた。


「なら、もう覚悟するしかないんじゃない? とにかく今はあいつのことを忘れて、食事を摂りましょう」

「……うん」


 アイシアはレナの言葉にまた寂しく頷いた。


「硬いわね」

 

 かじったパンは噛み切れないほど硬く、味を感じることができなかった。


 レナとマロンも正直昨日から様子がおかしかった。仲間が死んだところで特に何も気にすることなどなかったのに、ついチラチラと空席になった椅子を見てしまっていた。


 それは、確実に日向がもたらした結果で、心の移り変わりだった。

 死というものが喜ばしいものではないとそう伝えた日向のもたらした結果ものだった。


 窓から陽光が差し込む中、三人はその後喋ることなくただ味の悪い食事を摂り続けた。

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