第16話 北東5キロの『義務』2

 それは、紛れもない戦場。紛れもない地獄。


 刻一刻と凄まじい速度で出現する多種多様な魔獣を殲滅し続けるという『義務』は、猛烈に鮮烈に焼き付いていた。


 日向を含めた『疎外の紅眼スカーレット』五人を囲んでいるのは白銀の狼。もしくは、獰猛な狂犬にも似た魔獣。『フェンリル』である。


 一メートルほどの体躯をしたそれは、全身を逆立つ白毛で覆い、四足で気高く立っている。それが三匹の群れを成し、そのグループがいくつもあって、日向達をぐるりと囲んでいた。そのどれもが狂暴そうな顔をしていて、おぞましくなるような表情で睨みをきかしている。


「『フェンリル』か。厄介だね。俺が行こう」


 ランク7に値する『フェンリル』に果敢に立ち向かおうとするのは吸血鬼ヴァンパイアのルークである。常人であれば、その獰猛な牙と爪で血に染まること間違いなしだが、『彼ら』では訳が異なる。

 鎧と同系色の純黒の鞘から引き抜いたのは血のような濃い赤の刀身。それを手に持ち構えるルークは鎧の純黒と血の赤のコントラストによって、吸血鬼ヴァンパイアの何かを想起させる。


 右手に持った刀を左脇腹後方に携えた居合のような構えをしたと同時、『フェンリル』の群れは接近する。白狼は獰猛な牙を宿した大顎を開き、数瞬の速度で肉薄する。


 刹那、ルークは右足を前に置いて軸足としながら、捻りと遠心力を加えて、振りぬく。


——数秒のラグ。肉薄した前方三匹の『フェンリル』は木端微塵に斬り刻まれた。


「何が起こった?」


 日向には捉えられない領域。紛うことなき一瞬で振り抜かれた長刀の切っ先はその一切目視できない。


「彼があの刃で斬っただけ。ただ、それだけよ」


 その回答を淡々とアイシアは語る。実際問題、ルークはただそれをしたに過ぎなかった。

 しかし、『フェンリル』はその光景をまじまじと見ても、恐れおののくどころか、むしろその恐ろしい瞳を血走らせる。


 ランク7以上の魔獣は知恵を宿している。『フェンリル』も然りだ。

 知恵と言っても、少し考えることのできるという程度ではあるが、元々膨大な力を有している魔獣に知恵を与えることはまさに鬼に金棒だ。


 基本三匹で行動をとる『フェンリル』はルークの攻撃を機にすぐさま仲間との共闘を開始する。三匹の小さな班は、三十に及ぶグループに変わる。

 全方位に囲んでいる『フェンリル』はその動作をずらしながら、けど共調のとれた動きで襲い掛かる。


「させない。走れ、紫電……」


 レナが魔法発動の詠唱を始めた途端、『フェンリル』の一体はレナに鋭角に方向転換し、その牙を向ける。


「くっ!」


 かわそうとしたレナだが、『フェンリル』の方が数秒早い。庇おうとしたマロンの手が届くよりも、『フェンリル』が数秒早い。


 脅威となる『魔法』の発現の前に、俊足の速度を活かした肉薄によって阻害する。これも、魔獣が宿した知恵の一つなのだろう。


 しかし、その『フェンリル』よりもルークの伸ばした赤血刀の切っ先の方がより速い。

 刃の先端に触れた瞬間、手首を捻り、刀身を上向きにして、宙に弾き飛ばす。そして、ルークは地を蹴り、浮かび上がって行動不能の『フェンリル』を斬り刻んだ。


「大丈夫か? レナ。こいつらは魔法に反応する。気をつけろ」


 そう残したルークは再び地を蹴り加速する。さらに、その速度を保ちながら、『フェンリル』の注意を惹く魔法の並行詠唱を開始する。


歪曲わいきょくせよ、世界」


 紡ぎだした詠唱呪文に反応した『フェンリル』全ては、その攻撃対象をルークに確定する。多角的に、複雑に襲い来る『フェンリル』を躱しきりながら、言葉を紡ぐ。


「掌握せよ、視界。もやに映すは、幻影のかすみ


 瞬間、ルークの体をどす黒いオーラが囲う。


「ヘイズ・ディレクション!」


 魔法発動。オーラを纏ったルークの体には霧のようなガスのような、モクモク、フワフワとした何かが現れる。ルークが移動するたび、その黒い靄はルークに遅れてついてきて、そして知らぬ間に消える。


 日向は何かわからぬその魔法に恐れのような感情を抱いた。


『フェンリル』はその霞みがかったルークに接近し、獰猛な爪を突き立てて、一閃を刻む。しかし、靄がかったルークの体は空気に溶け込み、消え失せてしまった。

 混乱する『フェンリル』には別のルークの姿が視界に映って、それに飛び掛かってもまた消えてしまう。


 そして、いたちごっこのように繰り返されるかと思いきや、『フェンリル』の数は少しずつ削り取られていく。全て、血飛沫ちしぶきをあげて、英断されて討ちたおされていった。


 視界に存在しているのに、消えてしまう。そして、知らぬ間にダメージを与えられている。まさにそれは、夜闇に紛れて人々を襲う吸血鬼ヴァンパイアのようであった。


「どうなってるんだ? ルークさんは何を……?」

「あれは、ルークの専用魔法。『ヘイズ・ディレクション』。実態を隠し、仮初めの体を見せる魔法。実体から視線が逸れるから、敵の攻撃は虚を掴み、ルークの攻撃は全て命中する」


 鮮血をあげて灰燼かいじんに変わる様を見ながら、アイシアは驚嘆の色を見せる日向に説明する。

 アイシアの言った通り、『フェンリル』の攻撃はことごとく外れる。魔法の残滓を嗅ぎつけ、揺らめくルークの体に飛び込むが、絵空事であったが如く霧散する。そして、抜群の切れ味で叩き斬られ、少しずつその個体数を減らしていった。


「凄い。圧倒的な力だ」


 しかし、『義務』の過酷さはまだその本質を見せていなかった。

 『フェンリル』の個体数が十を割った頃、新たな魔獣が誕生する。


「気をつけろ! 『ケンタウルス』だ」


 警告を促すのは幻影を映すルークである。


 彼らを囲む『フェンリル』の隙間、中心の彼らから西側より一体の魔獣が現れる。半人半馬のなりをしたそれは全身を茶褐色の体毛で覆われ、横幅二メートル以上の体躯を誇っている。そして、人のような形をした前脚の上から生えた部分の高さはおよそ1.5メートル。その体躯もさることながら、人と呼べるか疑わしいその顔は醜悪そのものだ。さらに、その左手には魔獣の武器モンスターズウェポン。鈍色の弓を敵対する人間に向ける姿はまさに神話上に存在する『ケンタウルス』だ。


「私がやる。マロン、サポートお願い」

「あいさー。やれるだけやってみるよ~」


 ランク8の豪脚で突進し始めた『ケンタウルス』は魔獣の武器モンスターズウェポンの弓の弦を大きく引き絞った。

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