第15話 北東5キロの『義務』1

——ディルエールより北東五キロ地点。


「強い、ね。日向」

「……はぁはぁはぁ。何を……言ってるんだよぉ。 アイシアについていくのが精一杯……なのに」


 息を切らす日向を尻目に何事もなかったようにアイシアは淡々と答えている。しかも、そんな日向を褒め称えているときたから、恥ずかしいこと極まりない。


「でも、それだけでも十分すごい。常人ならとっくに死んでる」


 日向がこんな様子であることから想像できるように、アイシアの提案に乗った日向はアイシアに連れられ、ディルエールからかなり離れたところまで来ていた。道中強さを増していく魔獣を、アイシアに魔法を使わせないために懸命に庇いながら歩き続けた結果、日向がボロボロになったという訳だ。

 しかし、実際には日向にカバーできるはずもなく、というより日向に庇われる事もなくアイシアは素手で魔獣を穿うがって行った。


「……あぁ、いた。ルーク」


 日向とアイシアの眼前に立つのは三人。半森精ハーフエルフのレナ、小人ドワーフのマロン、吸血鬼ヴァンパイアのルークである。


 レナは白い肌を全て隠すように揺らめく金と白の混じり合うマントのような装束を身に纏い、マロンは各関節と胸部に金属を張った行動のしやすさ重視の鎧の中にボーイッシュな白シャツとブルーのオーバーオールのような恰好をしている。対して、ルークは完全フル装備だ。全身を覆いつくす純黒の鎧はまるで鬼面のような表情に見える造りになっており、その腰元には一メートル強の長刀を守る鎧と同色の鞘が据えられていた。


「……ああ、アイシア戻ってきたのか? ……おや、もう一人来客のようだ」


 アイシアの声に振り向くルークの顔には魔獣に傷をつけられたのか頬に血がついていた。当の本人は何も気にしていないようだが。


 ルークが振り向くのに続けて、栗色のアフロのようなモコモコヘアと細長く伸びた耳にかかる金髪ツインテールも振り返る。


「お兄さんじゃないですか~。随分と早い再会だねぇ~」


 マロンはクスリと笑って、日向とアイシアの元に近づいてくる。


「また来たの。偽善者」


 レナは冷たくあしらって、その場を動こうとしない。

 ルークは「まあまあ」とレナをさとしながら、無理やり日向の元へと連れていく。


「……悪いね、日向君。レナはどうもこんな感じで。でも、そうか嫌いにならないであげてくれ」

「何その言い方。私が悪いみたいじゃない。ルークもわかって……」

「レナ! やめなさい」


 優しい口調が一転、吸血鬼ヴァンパイアの本性を見せるような静かな怒気を帯びた口調でレナを叱責する。


「……ごめん」


 謝ったレナに今度は微笑みを与えて慰める。飴と鞭の使い方がルークはうまい。おそらく、これも同胞をまとめるための力なのであり、ディルエールの疎外から免れるための知恵であるのだろう。


「お兄さん、昨日のトテポフライとっても美味かったよぉ~。今日は何か持ってきてないの~?」

 ふらつく日向の体に頬をすりすりと寄せ強請ねだる。その姿は小動物のような可愛らしさを秘めていて、日向は声に出せない恥ずかしさに苛まれて、結果困惑した。


「……ごめん。今日はちょっと持ち合わせがなくて」

「日向君が気に病む必要はない。そもそも、あんなに美味しい食べ物を俺達がもらうことなんて、ありえないことなんだから」


 ルークは苦笑を浮かべながら、日向をフォローする。


「だったらお兄さん。その腰に付けた宝珠ジュエルを換金して、今度あたし達にお土産くださいよぉ~。あたし達の持ってる宝珠ジュエルもあげるからさぁ~」


 マロンは布袋に入った緑光を放つ宝珠ジュエルを手渡す。欠片としての大きさとその純度の高さはそれを宿していた魔獣の強さを証明している。

 魔獣の強さと比例して価値が上がる宝珠ジュエルは、逆を言えば宝珠ジュエルを見ることである程度それを宿していた魔獣の強さを判断可能だ。日向が現在手に持つのは少なくともランク6以上。常人であれば、間違いなく即死させられてしまうほどの実力のものである。


 それを、手に持っているということは彼らがそれ以上の力を有していることの何よりもの証明になった。


「マロン、それはいけない。献上しなくてはならないだろう」


 ルークは日向からジュエルをすっと取り上げ、マロンの頭をコツンと叩く。


「イタッ! ルーク、それはわかるけどさぁー、これぐらいバレないってぇ~。十分ノルマは達成してると思うし」


 ルークの言葉にマロンは駄々をこねる。そして、日向はルークの言ったことに顔を歪めた。


「……ルークさん。献上してるって、もしかして宝珠ジュエルをディルエールに渡してるってことですか?」


 日向は幾分か確証を持った状態で、ゆっくりと問いかける。


「その通りだよ。それが俺達の『義務』だからね」


 淡々と微笑を蓄えながら、ルークは答えた。間違いがないと。当然だと。

 日向はどこかわかっていた事実を受け止めるように、噛み締めるように、真顔で小さく頷いた。


 よく考えれば、彼らの言う『義務』の宝珠献上ジュエルオファーは自明の理である。そもそも、魔獣討伐を嬉々として行うディルエール住民などいない。というより、魔獣という名前を知っていても、実際に見たことのない人々の方が何割か多いほどだ。それなのに、魔獣討伐による産物である宝珠ジュエルを使った技術や商品はいくらでもありふれている。つまり、彼らから搾取した宝珠ジュエルを一方的に貪り消費し、自国への財産として転化させているのだ。


 自国のためだと言えば正当化できるかもしれないが、そのやり方は果てしなく醜い。


 魔獣の侵攻から守ってもらっている立場なのに、敬うどころか虐げる。日向の心には瞋恚しんいの炎がメラメラと燃え始めていた。


「それにしても、どうしてここに?」


 暗い空気が流れたのを感じたルークは話の転調をする。


「……魔獣をとにかく打ち倒していたんですが、その時にアイシアに出会いまして。それで、アイシアの提案に乗ってここまで来たんです」

「アイシアに付き合って来たにしては大分と汚れて、疲れているように見えるけど、お兄さん大丈夫~?」


 日向の様子を見たマロンは面白いものでも見るように、そう言った。


「アイシアに助けられてばかりで、全然何もできなくて……。ここまで来るのもやっとで」


 日向は苦笑いを浮かべながら、そう返す。


「日向に私達のことを知ってほしくて、ここまで連れてきたんだけど、悪かったかな?」


 日向の姿を見かねたアイシアは、少しばかり心配そうに問いかける。


「……いや、僕が来たくて来ただけだから、アイシアは何も悪くない。ついていくのがやっとな僕が悪いんだよ」


 日向は謙遜するように軽く笑う。


「そう、ならよかったのだけれど」


 二人の会話を見ていたルークは微笑ましそうに二人の姿を見つめる。


「……アイシアと日向君はいつからそんなに仲が良くなったんだい? 夫婦にでもなったように見えるけど?」


 瞬間、日向の頬は桜色に染まる。そんな日向に対して、面映おもはゆさを全く感じていないアイシアの頬は白いままだ。


「『ふ・う・ふ』って何? 聞いたことがないのだけれど?」


 ポカーンとした様子のルークとマロンは苦笑を浮かべている。レナはそもそも二人の会話を聞いていなかったらしく、何もリアクションはない。


「……夫婦っていうのは——」

「いいです! ……いいです」


 日向はルークを手で制止して、食い止める。自分の恥ずかしさでも隠すかのように。


「……?」


 アイシアは小首をかしげた。




「それで、結局僕は何を見ればいいんですか?」


 ここに来てから日向はほとんど何もしていない。何か重要なことでも話されたわけでもなく、『疎外の紅眼スカーレット』の秘密を知らされたわけでもない。だから、ここまで来た意味の疑念にさいなまれていた。


「……そうだった。ルーク、私達の戦いを日向に見せてあげたくって。ダメかしら?」


 思い出したようにアイシアはルークに問いかける。


「それは『義務』のことだよね。俺は別にいいけど、日向君の命を保証することはできない。それは、日向君の判断に委ねるところだけれど、どうかな?」


 日向の意志は固いものだった。とっくに決まっていた。


「大丈夫です。僕を連れていってください」

「ルーク! お話のところ悪いところだけど、彼の考え云々の前にもう囲まれてる。どっちにしろ、戦うしかなさそう」


 黙っていたレナが警鐘を鳴らす。気づかなかった魔獣特有の鋭く冷たい気配が、既に辺りを包んでいた。


「……そうか。みんな、仕事を始めるぞ」


 その一言で、彼らの『義務』の火蓋が切られた。

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