第5話 嵐が来たあと、来た者、行く道、行けない道

 嵐は夜を揺さぶって、あっという間に通り過ぎた。

朝方に一回だけ雷は聞こえたけれども、ちゃんと太陽は顔を出した。

律儀なもんだな、太陽って奴は。

嵐は遠いところへ去っていったのだろう。

外は、まだ雲がぐずぐずしているところもあるが、概ね晴れてると言って良さそうだ。

自転車のサドルを拭って、今日も学校へ行く。

雨上がりの匂いと空を映す水たまりを跳ねて車輪が回る。

「っと……?」

またもや、人集り。

もう、いいかげんにうんざりなんだけどな。

「退け退け! あぶねぇぞ!」

旗を握った男達が僕の方まで雪崩れてくる。

「な、なんですか?なにがあったんです?」

「何言ってんだぁ、フォルツァンド伯中佐が御帰りだって言うのによ」

「御帰り? 今?」

「あったり前だろうが! だからこうして盛大にお見送りしてるんじゃねぇかよ」

おいガキの相手してる場合じゃねえぞ、とどっかから声が聞こえて、それに答えて男はまた人波の中に潜って行った。

とういことは、昨日の夜中には船がつかなかったんだ。

まあ、あの嵐だったから、接岸するのは無理だったのだろう。

またもや作戦失敗ってわけだ。

僕は一人クスクスしながら学校へ向けて自転車を駆ったのだった。


「なにごと?」

校内はほとんど人がいなかった。

プレストがメーノとぼうっと海を眺めながら話している間に僕は割って入った。

「お見送りだってさ」

「セッコはもとより、どいつもこいつも……まあ、何人かは道が人で塞がれちまって来れなかったんだろうけどな」

「メーノ良く来れたね、人波を突っ切らなきゃならないのに」

「ああ、俺等の乗ったバスがギリギリだったよ。お陰様で帰りのバスが無くってこうしてるわけ」

「今日は休校だとよ。あぁあ、俺も見に行けば良かった」

「ふん、案外面白い見せ物がこっちにもありそうだけどな」

「あ?」

「ほら、あれ」

メーノが顎で指した先には例の美少女がスカートをひらひらさせながら歩いている。

ほぅ、とプレストが感嘆の声を上げた。

「よし。ソロ、行って来い」

「へ?」

「何してんだよ、ほら、ダッシュ!」

「ちょ、な、何で僕なんだよ」

「だって、彼女、お前に甘いだろ」

「そ、そんなこと」

「いいから行けって」

とん、と背中を押されて僕はたたらを踏む、メーノの方に目配せしても笑いを噛み殺して取り合ってくれない。

だから、苦手なんだってば……。

とはいえ、この中途半端な位置はどうする事も出来ず、とりあえず僕は廊下のトランクィラ嬢の方へ向ったのだった。


「あ、あの、どうも」

「こんにちわ」

彼女の微笑みがどうも僕をドギマギさせる。

別に何か話すような事もあるわけじゃないんだけど。

「お休みだってね、今日」

「え、ええ。と、とんだ災難ですね」

「そうね」

莞爾として、ちらりと時計に眼を落した。

それから廊下を見渡す。

はぁん、人を待っているんだ。

それは丁度良い、話を切り上げるきっかけになりそうだ。

「誰か待ってるんですか?」

「え、うん……」

なんだか煮え切らない返事。

だが、それがいい。

「じゃあ、僕は、あの、お邪魔にならないうちに……」

「あ、来た」

うーん。

僕が首を回すと、長身の男が手を軽く振りながら歩いて来ていた。

如何にもスポーツマンといった体格で、サワヤカを信条としている様な男だった。

「やあ、待たせたね」

声言葉まで。

これは、なんだろう、いわゆる彼氏というやつ?

その男はトランクィラの手を取って、僕を見下ろした。

「ど、どうも」

「やあ、こんにちわ」

やっぱり見下ろされると威圧感がある。

苦手だ。

「じゃ、じゃあ、僕はこれで……」

と、僕が言うまでもなく男は彼女の手を引いて行ってしまう。

トランクィラは振り向いて、指に口を当てる。

秘密にしておいて、ってことかな。

僕は手を振って答える。




「そんな事言っても、一部始終見てたんだからさぁ」

プレストは両膝を着いて地面に話しかけていた。

「だから、高嶺の花だって言ってるのに」

「だって、ちょっとでも可能性が見えたじゃない」

「あ? 可能性?」

「一度話した」

「あ、そう……」

「美男美女カップルだもんなぁ、妥当だよなぁ」

「まあ、しょうがないじゃん」

「お前は悔しくないのか」

「僕? 僕は別に?」

「お前が一番可能性がありそうだったじゃねぇかよぅ」

「ううん……」

なんともひどい誤解をしているらしい。

大体、僕と彼女では釣り合いがとれない。

まあ、プレストもだが。

僕としては、まあ、ああいうとこに納まるのが当たり前だと思う。

「まあ、一獲千金は狙わずに地道に行こうよ」

「まったくだ」

「うぅ、高い所にゃ手が届かないってか」

「お前ね、現実なんて所詮自分に見合った事とか物とかしかやって来ねぇの」

「あ、それは言えてる」

「高い所とか遠い所に見合う様に努力だ、努力」

プレストは肩に手を乗せられて、力無く返事したのだった。


「さて、俺は帰るけど」

「メーノ、歩いて帰るの?」

「他に手が無いだろ」

「俺はバスが来るまで待ってるわ、お前ら先帰ってろ……」

いい加減うちひしがれているプレストを放っておいて、僕とメーノはお祭り騒ぎの海岸線まで出たのだった。

「ひでぇもんだな」

まったく。

それこそ嵐が来たみたいな大騒ぎだ。

昨日の雨で水位が上がったらしく、道路は未だに濡れている。

走り回る人達の足下から水しぶきが上がる。

待ってるときは綺麗だった紙吹雪が道路に張り付いて汚らしい。

まったく……。

「なあ、ソロ。後ろ乗せてくれよ」

「だめ」

「あん? お前、歩いていったらえらい時間かかっちまうじゃねぇか」

「僕は後ろに人を乗せない事にしてるの」

「なんで?」

「なんでって……自転車は一人で乗るものだから」

「ふん?」

彼はわかった様なわからない様な顔をして頷いた。

とりあえず、納得してもらったのだろうか?

「それは、なんだ、なんかのジンクスか?」

やっぱり納得はしてもらってない。

まあ、わかるわけないか。

「違うよ、別にそう言うのじゃない」

「じゃあ、なんだ?」

「何だって言われてもなぁ。ええと、なんとなく?」

「しょうがねぇな」

と頭をかく。

「まあ、とにかく自転車が好きなのか?」

「自転車が好きって言うか……一人で何処へでも行けるのが好きなんだ」

「何処へでも、ねぇ」

「道さえあれば僕は一人でも何処へでも行けるんだ、っていう風に思うんだよ。それから、風があって、空があってさ。気持ち良いじゃない」

「解放された気分にはなるな」

そう。

こんな所から解放されて、空と道の先まで行ける。

「……実際には、何処へも行けないんだけどね」

「行けるさ」

「無理無理、何処へ行っても僕じゃあね、何にもできないから」

「でも、俺は行くつもりだぜ?」

「え?」

「すぐにでもな」

「だって、どこへ!?」

「何処だって! 俺に見合った世界まで行くんだよ」

「なんだよ、それ。どっか他の町の組合にコネがあるの?」

「無いよ」

「無理だよ! 幾らメーノに腕があったって!」

「違う違う。俺は鍛冶屋になるつもりは無いよ」

「じゃ……」

「何になるかって? それは秘密」 

「なんで、そんな無茶な事考えたの」

僕の言葉を遮ってメーノは道路の向うへ眼を走らせる。

「ラッキー、親父の車が通るぜ」

ガタガタと変な音をたてるジープが近付き、彼は道路に飛び出して手を振った。

「あぶねぇな、このガキ!……って、てめぇか」

「わるいね。乗せてってくれよ」

早く乗れ、という怒鳴り声に急かされる様に彼は乗り込んだ。

「ソロ、俺はな」

途端、車は発車する。

「自分でどんな道でも……」

メーノの声は途中で消えてしまった。


 信号——今日は青だったが、僕は止まった。

「やあ、どうも」

「後ろに乗せてくれるつもりは、まだ起きない?」

「だめ」

「……そう」

僕の自転車に手を掛けたオッシアは顔をうつむけた。

自転車を降りて、浜の方へ降りていく。

彼女は僕の後に続いてゆっくりと砂を踏み締めた。

「どうしたの?」

彼女はシャツの裾を握りしめていた。

「私、どうにもならなくて」

「僕にできる事があるなら……いや、まあ、何にもできないんだけどさ」

「なら、ソロの後ろに乗せて、私を」

「……ねえ、なんでそんなにこだわってるの?」

「私は」

彼女は水際まで駆け出し、白い波に向かって飛び込んだ。

水しぶきが夏の陽に映えて、光る。

「海の者なんだって?」

「そう」

水面が太陽を反射して、オッシアを影にする。

「私は、遠い海から来た。ここまで」

「……」

「つまらない話。私はここの海を持っている者と結婚するんだって」

「そうなんだ」

「そうしたら、もう何処へも行けない。身体が海に溶けてしまうまで、一生何処へも」

「嫌なら断ったらいいじゃないか」

「断るって事は出来ないの。わからないかもしれないけれど『断る』って意志の問題じゃないのよ。私達にはね。決まった事は決められた通りに進んでいく。心臓が打ったら血が血管を流れるように。指先から落ちた水は絶対に下に落ちるのと同じ。私にはまだ意志がある。……逃げ出す事は、できる」

「だったら、逃げたらいい」

「どこへ?」

「どこだって!」

「どの海も、湖も、川も、知られない所は無いわ」

「じゃあ、陸に……」

「海精が陸に上がった話なんてあったかしら?」

風が遠くの歓声を運んできた。

「私達は、海からあまり離れると死んでしまうでしょ?」


「……だったら、どうして僕の自転車に乗ろうとするんだよ。おかしいじゃないか、死んじゃうんだろ?」

「そうよ」

「冗談じゃないよ。何でそんなことを僕に頼む!」

「あなたならわかるかなって思ったのよ」

「何の事?わかるわけない!」

「死ぬ程、死んでしまう程、どこか遠くまで行きたいと思っているんじゃないかって」

それは

「でも、自分の足では行けないんでしょ」

そうだ

「私と一緒で。自分から外に出るのは怖くて……」

僕は……

「僕は、自殺の手伝いなんて出来ない」

「そう、だよね」

彼女の足は波を裂いて、浜の砂へと乗り出した。

その足は少しも濡れてはいない。

「わたしも」

彼女は微笑んだらしかった。

「やっぱり死にたくないかな」

その笑顔は、背後の海の光に遮られてはっきりとは見えなかったけれど。


 現実は、あれもこれも僕を裏切る。

何処で何が起っていても、僕には何もできないし、関係ない。

来るはずの嵐も過ぎ去って、行くはずの人はまだ残っている。

僕は逃げ足を托す様に自転車を駆った。

辛い重い坂道を目一杯漕いで昇っていく。

もう、この坂道には誰もいない。

騒ぎは遠くの波止場や下の街道にしかない。

丘の上で聞こえるのは、僕の途切れ途切れの喘ぎだけだった。

何故、僕はフィーネに会いに行くのだろう?

多分、習慣。

いつも変わらず、時間の止まったような病室。

美しいフィーネ。

扉を開けると、フィーネは外の様子に耳をそばだてていた。

「いらっしゃい」

笑い顔の瞳は、もう空と変わらないくらい青い。


「伯中佐は、また戦場へ行くのかしらね」

彼女は、遠くを見ながら呟いた。

嫌な話だ。

「勇敢ね。私とっても感動したわ」

「さあね」

「戦っているのが……」

「それよりさっ」

僕はわざと大きな声で彼女の話を遮った。

だけど、言うべき言葉が見つからない。

沈黙……。

「ごめん」

「いいの。ソロって、そう言う話嫌いだものね」

フィーネは小首を傾げてみせた。

「ね?」

「うん……」

「でも、もう少しだけ付き合って欲しいな」

どうして。

なんで、そんなに彼女は影響されているんだ。

僕は今まで何も出来なかったのに。

「あんまり付き合いたくはないけどね」

「ソロ、嫉妬してるの?」

「違うよ!」

そうだ、嫉妬だ。笑えるはなしだよ。

「ねえ、やめて、そんなことじゃないんだから」

「じゃ、なんだっての」

「おねがい、少し聞いて欲しいだけなの」

「どうぞ、ご勝手に」

僕は、箱椅子を避けて、丸椅子に腰をかけた。

笑えよ。

「……あのね。戦場では人が死ぬの」

「だろうね」

「あの人が話していたのは“ものがたり”だったわ。全然人が死なない」

僕の眼を見た。

「私わかっちゃったの。本当にあの人は嘘吐きなんだって。人が死んで行くのを知っているのにみんなを盛り上げてる、英雄の演技して」

「そうが勇敢? 冗談だろ」

「あの人、知ってると思うわ。嘘みたいな笑い方なんですもの。知ってるんだわ、あとから沢山の人の死が知らされること。みんな騙されたって思うでしょ。……人は死なない、なんて……思ってるでしょ? だからあの人、戦争が終わったら沢山の死を背負うのね。嘘吐き、人殺し、戦争なんてするんじゃなかった、騙された……」

「戦争だから、人は死ぬさ」

「ソロ、あなたは?」

「ぼく?」

「あなたもいつか死ぬでしょう?」

「だろうね。……ね、何が言いたいの?」

「戦場では、一度に何十人と言う人が死んでいるの。想像できる?」

「そんな遠くの事は知らないよ」

「遠くでも近くでも、皆、生きて、死んでいくの」

もう、この話は切り上げるべきだ。

「私も死にだけはするんでしょう」

これ以上は。

「少し、うらやましいわ」

「ほかの話しよう」

「でも、私は生きてはいない」

「やめよう、この話は」

「世界中で人々が死んでいっているわ。だけど皆、生きてきた人達」

「やめようって!」

「私は、どうなの? 生まれてから病室の中にいるだけだわ。変な病気と一緒に!」

「やめろってば!」

「やめないわ。ソロ、わかって! 私は体中から死の匂いが立ち上ってる、生まれた瞬間から」

「そんなことない!」

「無理矢理動かした機械よ! ろくに歩く事さえ出来ない! 私はまだ生きてないの!」

「生きてるじゃないか、こうやって僕と話して」

「私の世界には何もないわ! 退屈な世界! 空っぽの世界!! 全部、私の世界より遠くの事なのよ! 小説も、戦争も、ソロの話も、どれも私の世界のことじゃない! 私の世界には死んだ私がいるだけ」

喘ぐ様に彼女は言葉をきった。

僕は言葉をつまらせた。

「たえられない」

たえられなかった。

「……じゃあ、さ。いつか僕とどこかへ行こう。何処へでも、自転車があればすごい遠くまで行けるんだよ」

嘘くさい言葉がついて出た。

「僕の家は説明したよね。そこから延びた道路はずっと向うまで延びてる」

とんでもない嘘をついている。

「何処までも行ってさ、次々にフィーネの世界にしていけばいいよ。果てまでだって」

もういい加減このペラペラした口はつぐまないのか。

「いつか、フィーネは両足で外へ出れる様になるから」

最悪の嘘だ。

最悪の逃げ道だ。

でも、フィーネは笑った。

「ありがとう」

それから、僕の鼻先に指を付けて言った。

「でも、どうしてソロって嘘をつく時に顔に出ちゃうんでしょうね、ダメね」


空っぽなのは僕だし、逃げる事もできないのは僕だった。

もう、飯を食うのも嫌になって、部屋へ逃げ込んだ。

フィーネはあとどれくらい生きれるのだろう?

多分、あのままだったらずっと生きれるのだ。

生きている……いない。

手が動かなくなる? 打っている心臓が止まる?

わからない。

僕には関係ない。

海の向うからやってきた何者かは僕をひっかきまわす。

まるで、嵐だ。

どこかへ逃げ出さないと。

いや、進まないといけないのか?

僕じゃ、どうにもならないよ。

メーノは進むと言う。

僕にはできないかもしれない。

そうか?

何かがどこかからやってくる。

何故、僕を放っておいてくれないんだ。

どうして僕の世界を壊してしまうんだ。

みんな、どうして行ってしまうんだろう。

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