第4話 大きな話、今日もお祭り、皆を喜ばせる爵位と英雄

 予想通り、朝から天気は悪かった。

「降るかな?」

と、母に聞いたが

「さあ?コンツェルトに聞きなさいよ」

で、猫を観察していたが普段より多めに顔を洗っている……これは、雨って事だろうか? 猫が顔を洗うと雨が降ると言うことは知られている。

「とりあえず、傘持って行ったら?」

「うん、そうしようかな」

うちの猫はどうにも的中率が低いのだけれど。


 校内の雰囲気は最悪だった。

セッコが説教を垂れプレストが相づちを打っているだけならまだしも、クラス中、いや、学校中で話題は一色……すなわち伯爵中佐の事について——戦争を通して社会的なことに関して——であった。

「おう、ソロ君! ほんわかしてる場合じゃないぜ」

説教の鉾先がこっちに向いたから僕は愛想笑いで受け流した。

「なんだ、それはぁ! 今、時代は決戦の時だぜ? 考えても見ろよ、英雄が抜けた軍隊ってモノを、肉のないロールキャベツの様ではないか!」

「キャベツの煮物だね、おいしいんじゃない?」

「あのね、そういうことじゃないでしょ」

「おーい、おいおい」

と割って入ったのは、今来たメーノ。

「いつになく怪気炎上げてるじゃないか」

「なにを! むしろ、君達がちょっと冷め過ぎてるんじゃないのォ?」

「俺はそれどころじゃないの。自分の身の処し方を決めるので手一杯でな」

「あ、僕も自分の事で一杯」

「君達ねえ、国の利益と自分の利益とどっちが大事なの?」

「自分の利益だな」

「僕もそう、かな?」

「くぅ、これだから今の若い者は!」

「ええい、うるさい」

メーノがスネを小突いてようやくセッコは黙った。

それで、まあ、いつも通り授業が進むわけだけど……やはり雰囲気が悪い。

教師達も要所要所で政治的な話や我々がどうすべきか等と言う様なことをちらつかせる。

しかし、そう言う話になるにつけて、僕の耳は潮騒と雲の鳴声に向いて行く。

どうだろう、今日はやっぱり降らないかもしれない。

退屈な授業の方が良かった。

こういう話になり出すと、僕は、乗り遅れてしまう。

いや、僕が自ら乗り過ごしているのかな。

遠くからやってくるものにロクなものはないのだ。

未来や戦争や……。

終業ベルが鳴っても、僕はなんとなく動くのが億劫だった。

プレストが肩を小突いて

「学食行こうぜ」

と言ったが、僕は彼等を促すだけだった。

「先に行ってて」

「なんだ、元気ないじゃないか」

「まあ、うん。ちょっとね」

「天気が悪いからかな、まあ、いいや。早く来いよ」

「うん」

さて、だが、僕は行く気にはなれなかった。

いつもの様に、教室はがらんどうになる。

雨でもない限り、みなフロアか学食で食べるから、教室に残る者はあまりいない。

今日に限って言えば、僕だけだ。

遠くから笑い声やざわめきが響いて、室内に少し反響する。

空は灰色く煙っていて、嫌に冷たい色をしている。

壁が少し濡れているかもしれない。

まるで秋が……いいや、冬が這いずって来た様な寒々しい空だった。

例えば、今、僕がこの教室から抜け出して、自転車に乗って出かけたらどうだろう?

そのまま、僕は何処までも行けるのだとしたら。

行けないことはない。

親は心配するだろうか?

警察に連絡されたりしたらすぐに捕まってしまうだろうか?

でも、空が曇っている間に飛び出してしまえば……。

はあ。

何故、僕はそんなことを思ったのだろう。

どうせ、僕の様な何のスキルもコネクションもない人間がどこかへ行ったところで、生きていけるわけがないのだ。

わかっている。

いずれ金と技術と資格か何かを手に入れないといけないのだろう。 戦争が何もかも終わりにしなかったらの話だけど。

何だか空恐ろしくなって、僕は独りぼっちの教室を後にした。


 学食の混雑は、大変なものだ。  

後から行って席が空いていたためしがない。

で、今回もそうだったわけ。

プレストが手を上げて合図するが、しっかり席は埋まっている。

僕は立ち尽くして苦笑いするしかなかったが、その顔を見てプレストは愚痴る。

「なにしてたんだよ、埋まっちまったぞ」

「ごめんごめん」

「別に俺は構わねぇんだけど、お前の席がないっつうの」

「うぅん、まいったな」

「あら?」

と、鈴を鳴らす様な声がすぐ目の前で聞こえた。

「あ、どうも」

トランクィラさんは口に当てていたストローを離して眼を細めた。

ジュースの所為か、口紅か、元々なのか、唇がつややかだ……(僕もそういうところを見ることはあるわけだ)。

「こんにちわ」

からん、と氷がグラスの中で鳴る。

「お昼まだなの?」

「え、ええ。はい……まだ、です。でも、席がもう埋まっちゃってて」

「うふふ」

と、笑った彼女は小さく腰を浮かして妙な具合に座りなおした。

ちょうど右半分にお尻が乗る様な格好だ。

「はい、どうぞ」

「えっ?」

「椅子、はんぶんこして座りましょ」

言い切る瞬間、ガダッ、と学食中の男子が立ち上がり僕の方を睨み付けたのだった。

僕は絹を裂く様な叫び声を上げて……いや、小さな声でだけど……学食から逃げ出したのだった。


「嵐だってな」

結局、つまらない学校はつまらなさだけを僕に押し付けて終った。

いつも通りに。何か僕の期待に沿う様な事は起らず。

恥だけはしっかりかいたけど。

下校時、僕はまたフィーネの所まで自転車を駆っていたら、メーノにあった。

なんとも珍しいことに海岸線を歩いていたのだった。

「ほんとに? 今日来るの?」

「さあな?」

短い竿を持っているので晩のおかずでも釣りに来たんだろう。

「最近、妙に釣れないんだよ、ここの海岸」

「そう? 舟は?」

「俺は沖まで行かないよ」

「で?」

「だから、嵐が遠くで鳴っているうちに糸を垂らせば釣れるんじゃないかと思ってさ」

「その嵐はこっちまで来るの?」

「俺に聞くなよ。でも、この天気だからなぁ……もう嵐の端くらいには入ってるんじゃないのか?」

「やだなあ」

「ああ」

メーノは早速、糸を垂らしにいく。餌は何の虫だろう?

僕はそれに着いていった。

「今日釣れなかったらいよいよ変事だな」

「今まで通りだったら釣れるさ」

「今まで通りねぇ……何か異常事態でもあんのかなぁ」

と言われて、思い当たる事は……

「ああ、そうだ」

「なんだ?」

「八号が封鎖されているから普通に比べて交通量は増えたよ」

八号を使う人達はみんな海岸線に流れざるをえない。

それが影響したって事は?

「ないと思うぜ? その程度の事じゃあな。他になんかねえかな?」

「あとは、……ええと」

海岸沿いと言えば

「知り合いができたくらいかな?」

「あ?」

「えっ? ああ、いや、何でもない。僕の事」

「はっ、まあ良いよ。土地の人間なら魚が減ったわけを知ってるかも知れないしな。聞いてみろよ」

「いや、土地の人間じゃないんだ。旅行客かな、海の向うを指差していたから」

「海の向うか、うらやましいな」

「うん、まだ若い女の子なんだけど、眼も髪も海みたいに、こう、色が深くて」

「ふうん?」

「いつも、あの信号のあたりにいるんだ。今日はいないけど」

「ふう……ん?」

「なに?」

「いや、まあ、ううん」

「どうした?」

思案げに口元に指を当てて、何かを言い淀んでいるから、僕は更に催促する。

「いやね、ちょっとさ」

「なんだよ。言い難いこと」

「別にそう言うわけじゃないんだけど……前に親父が居たところで海精が上がった時の話を聞いたんだけどさ」

「それは、つまり?」

「海精を見た事ある?」

「図鑑にちょっと載ってたね。でも、こっちの方には来ないんじゃなかったかな?」

「ほら、書いてなかったか? 『海精に何処から来たのか問うと海の向うを指す』って言うのをさ。それに、この不漁だろ? 親父の話じゃ、海精が陸に見えた時は吃驚する様な不漁だったって聞いたぜ」

そういえば、図鑑に載っていた挿絵では碧い髪と碧い瞳だった、その説明には、『水死体の様な肌をしている。』と書いてあったようだけど……?

「それにしても、両足はあったよ?」

「まあ、陸に上がってくるんだからなぁ、足がないとまずいだろうな」

しかしなぁ、と言ってメーノは竿を上げた。

「本当にそうだとしたら幾ら糸を垂らしても意味がねぇな」

「珍しい事もあるもんだね」

「ったく。今度会ったらさっさと沖に帰る様に言っておいてくれよ」

「うん」

メーノは早々に竿を片付けて、帰り支度を始めた。

頭を掻きながらぶつぶつ言いながら、鞄の中に重りや針を入れながら。

そんなに釣れてないのか。

あぁあ、と溜息を着いてから、僕の方を振返りもせずに

「じゃあな」

と言い捨てて帰って行った。

なんだか、えらく煮え切らない様子である。

まあ、わざわざ学校にまで竿を持って来て釣れずじまいだったんだから、わからないでもないけど。

僕はそれやこれやの事を考えながら、自転車を病院に向ける。

相変わらず、フィーネに話す事はそれほど多くない。

退屈に輪をかけて退屈で、近頃と言えば、周りが盛上がっているから余計に僕の退屈が目立つ。

で、今日も今日で病院の周りは人だらけになっている。

なんだかみんな慌てているのかも知れない……少しだけ、パーティー、お祭りなんだ。みんな、あの一体感……同じ空気に溶けている感じ。一つの身体のような一体感、浮き足立った感じ。遠くのことなのに。

丘の半分まで自転車を漕いだところで、もう人波で自転車が用を為さない。

しょうがないな。

僕は自転車を降りて昇って行くが、どうにもこうにも人の波だ。

一台の自動車がうなりをあげて下って行く。

何を叫びあってるのか、昨日からサーカスが続いているみたいでとてもたまらない。

何だか、どんどん端へ端へ流れて行くみたいだが……まいった、実際に端に追いやられている。

どうにか昇りきった時には、入口と反対方向まで追いやられてしまっている始末だ。

冗談じゃないよ、どうすればいいのさ。

「おおい、少年」

どこからか、笑んだ声が響いた。

「ソロ、こっち!」

「えっ?」

「上よ、うっ……えっ……!」

見上げるとフィーネとフォルツァンド伯中佐が手を振っている。

「何をしているんだ?」

「あ、あの……こっちまで追いやられちゃって、その、入れないんです」

「なるほど。じゃあ、少しそこで待っていなさい」

と、伯中佐は姿を隠した。

フィーネは何か興奮して喋っているが、何の事やら僕にはわからない。

「なに? なんだって?」

「ちょっと待っていて!」

「行くよ」

と、顔が出て、次いで何かが降って来た。

わっ、と僕が声を上げている間に伯中佐はまた姿を隠してしまう。

これは、綱?  太い防火繊維のロープだ。

「これで良しだ、ほら早く」

つまり昇って来いと言う事らしい。

一体どうしてこんなものがあるのか知らないが、まあ、しかし、とりあえず早く昇らないと誰かが嗅ぎ付けてこないとも限らない。

自慢じゃないが、木登りとか綱登りは割と得意なのだ。

綱に掴まって壁に爪先を掛けると、二階建てくらいあっという間だ。

「到着したら、素早くロープを回収」

と、号令一下、僕は慌ててロープを引き上げた。

下で声が上がる。

危うくロープを掴まれるところだった。

「ソロ、意外と運動神経良いじゃない!」

「そ、そうかな」

「よし、私が軍に推薦してやろう」

「じ、冗談でしょ……」

「本気にするかい?」

で、このロープはどうしたことだろうか、と僕が問うとフィーネが天井を指して言うには

「重要人物が来ているからって、防災設備を点検していたのね。それで、偶々このロープが見つかったのよ」

「へえ」

なんだか知らないけれど、今日はえらく元気がいいらしい。

ベッドから離れているだけでなく、患者衣の上に白い羽織とレースのショールを纏っている。

やっぱり、こうやって見ると生まれ育ちが良い事がよくわかる。

なんというか、言うに言えない品がある。

「なあに? ふふふ、変な格好?」

と言ってくるっと回ってみせる。

羽の様にショールが空を切るが、足下は少しよろつく。

僕は慌てて手を差し伸べるが、僕の手をすり抜けて彼女はベッドの上に腰をおろした。

「今日は気分が良いの。伯中佐と沢山お話していたのよ」

僕がいつも座っていた箱椅子には、その伯爵中佐殿が座って快活そうに笑っていた。




 僕はいたたまれない気持ちで丸椅子を引いて来て腰をおろした。

口を開くやフィーネは異国の話をしどおしだった。

「対岸が見えないほどの川なんですって、信じられないでしょう?」

伯中佐は笑って答える。

「流石にそこでは困りましたよ。背水の陣と言うわけです」

「ふうん」

「でも、どうにか生還したんでしょう?」

「そう。我々は横に広がって逃げたんです」

「横へ? 川に添って逃げたんですの? 左右に?」

「こう、散り散りにね。一見戦力が分散される様に思うでしょう? 実は私には一縷の望みがあったんです」

「へえ」

「援軍が到着するはずだったんです。少々手間取ったために押されていましたが、援軍が到着すれば、今度は奴等が川を背にする。更に左右に我々が控える事になり」

パンと手を打って

「囲い込む事になるんです」

フィーネは感嘆の声を上げた。

僕は、適当に誉めてみせた。

「それから、どうしたんですの?」

あぁあ、まだ、この話が続くわけだ。

しかも、話は段々とこ難しい政情の事まで入ってくる。

一体どうして病室にばかりいるフィーネがそんな事まで知っているのかと言うくらい込み入った話までしだすと、もう僕は足をぶらぶらさせて話を聞き流すしかない。

丸椅子は座り心地が悪い。

「どうしたの、ソロ?」

急に話が僕の方に向いたので、僕は曖昧に笑ってみせた。

「うん、ちょっとね」

「なあに?」

「どうも、僕はお邪魔じゃないかと思ってね」

フィーネは笑って小首を傾げた。

「なんで?」

何の屈託もない。

僕は自分のいじけた言葉に嫌気がさした。

「いやね、どうしてそんな顔するの?」

「うん、ああ……あの」

窓の外から雨の臭いが流れ込んで来た。

「あ、雨が降りそうだからさ」

僕は立ち上がって、鞄と傘をひったくった。

それでドアへ手を掛けた。

「ああ、待った」

伯中佐が窓の外を指して小声で言った。

「入口はまだ混雑してるだろう?またそっちから帰った方がいい」

「ああ、どうも」

「もう、ソロったら。どうしてちゃんとお礼が言えないのかしら」

フィーネは戯けて僕を小突く。

僕も戯けてみせるが、なんとなく空々しかった。

帰りの方が手早い。

僕は鞄を小脇に挟み、傘の柄をポケットに指して縄に掴まった。

で、降りようとした時

「ソロ」

とフィーネが顔を近付けて

「また明日来てね」

と囁いた。

僕は妙な感じに頷いた。

その後ろから伯中佐がニヤつきながら声を潜めて

「ここだけの話、私は今夜のうちに帰る手筈になってるんだ」

「え、もう?」

「極秘だよ」

「ええ、もちろん」

「私だけいつまでものうのうとしているわけにはいかない。もう十分すぎる程休養したよ」

「それにしたって早いですね」

「馬鹿馬鹿しい話だが、私は見せ物なんだよ。あっちこっちで市民の士気を盛り上げるためだと言っているが……そうしないと戦争なんて出来ないのさ。だから、私はさっさと引き上げてやる。来週にはもう戦場に戻っているはずだ」

「じゃあ、これでお別れですか」

「ああ」

彼はその大きな手を僕の方に差し出した。

僕もそれに答えて手を差し出し……

「うわぁっ!」

「きゃ!」

「危ない!……っと」

綱を握っている方の手を出して、落っこちかけたのだった。

伯中佐に手を握られなかったら、フィーネの横にベッドを並べなけりゃならないところだった。


 どうにか混雑をすり抜けて海岸線まで抜ける。

すぅ、と夜風に晒される。

僕は、信号にさしかかっていつも通りに止められる。

が、今日はどこにもオッシアの影はない。

左右を見回したが、何処にもその姿は見当たらないようだ。

どうしたのかな。

信号が変わっても僕は進まなかった。

二度信号が変わって、それで僕はようやく自転車を進めた。

風が強くなって、小雨が降り出した。


「ただいま」

「おかえりなさい。濡れなかった?」

「ご覧の通り」

なんとか頭と肩が少しだけ濡れた程度。

外から雨音が聞こえてくる。

後一歩遅かったらずぶ濡れだったな。

いつも通りの夕飯といつも通りの部屋。

退屈な部屋。

退屈な……。

何が退屈なものか、世の中はこんなにお祭り騒ぎなのに。

こんなところにはいたくない。

どこか遠くへ。

早く逃げ出さないと。

嵐が来る。

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