07.異端者のフォーク

 今日はいい天気だ。

 結婚して半年経つが、晴れている日はとても気分がよく、雨でも作物が育つ恵みの雨だと思えば気分が損なわれることはなく、俺は幸せの絶頂にいる。


 それは遠い未来では失われるものだとしても、ずっと続けば良いと考えてしまうくらい幸せだった。



「おはよう。朝ごはんはな……に?」



 妻がいない。

 家のどこを探してもいなかった。

 こんな朝からどこに行ったのだろうか。

 市場はまだ開いていないし、洗濯物?

 いつもより早く着替え、心配だから探しに行こうと玄関の扉を開けるのと、警備隊員が入ってくるのが同時だった。



「アビーさんの夫、エドワードさんでしょうか。」


「え、ええ。」



 きりりとした声に押されながらも答える。

 どうして警備隊の人がここに……?もしかしてアビーに何かあったんじゃ。

 嫌な予感がした。しかしその嫌な予感は



「エドワードさん、不義密通の疑いで連行致します。」



 検討違いの予感だった。






 まったく身に覚えのないまま、俺は教会へ連れていかれた。

 少し、尋問館でなくて良かったとホッとする。



「誤解だ!頼むアビーと話をさせてくれ!俺は不倫なんて絶対にしていない!」


「黙れ!!神の御前でも同じ事を言ってみろ!その舌を引っこ抜くぞ!」



 神官のくせに随分口が悪いな、こいつ。



「あんた、神官のくせに口がすっげえ悪りぃな……。御使みつかいも裸足で逃げ出すんじゃね?」



 あれ?俺今口に出してたか??

 イヤイヤちがうって!こっち睨むなよ!



「エドー。ひっさしぶりだなぁ。」



 全身黒尽くめでやってきたそいつは、



「エイブ!?こんなとこで何やってだ?」



 数年前、軍に入った後突然姿を消した幼なじみだった。



「エイブ……今まで何してたんだ?俺、結婚したんだぜ。ぐすっ。よめは可愛くてよ、料理上手だし、ずびっ。俺不倫なんかしねーよお!!」


「お、おぉ。そうか……。」



 俺は久しぶりに会った幼なじみに、妻がどれだけ可愛くて美人で料理上手で気が利いて優しくてどれだけ愛しているかを言いまくった。



「--で、ベッドの中じゃ


「待て待て待て!そこは良い!話すな聞きたくない!」



 言いすぎたみたいだ。



「それで、ずっと行方不明だったお前がなんでここにいるんだ?」


「俺ずっと国にいたんだけど!?行方不明って、ひどいっ!」


「軍に入ったと思ったらそのまま連絡もない上に直接会いに行ったら「そんな者は在籍しておりません。」だぜ!?行方をくらましたとしか考えられねぇだろ!」


「え、俺軍に籍ないの?まじで?」


「貴方移籍したでしょう。私たちが所属している機関は、軍とは違いますから。」



 凛とした声に、もう一人いたことに気がついた。

 エイブと同じように黒尽くめだが、フードをすっぽり被ってしまっていて、顔がわからない。



「あの、あんたは?」


「尋問官のナアトと申します。同僚のお知り合いとはいえ、手は抜きませんので。」



 手を抜かない?

 頭の中がクエッションマークだらけの俺を、神官を先頭に、エイブともう一人に連れられて教会の地下へ降りていく。

 まさかとは思うが、ここで尋問されるのか?



「ま、待ってくれ!俺はほんとうにやってないんだって!」


「わーかったって。やってるやつもそう言うんだから。死ぬわけじゃないんだしビービー言うなって。」


「し、--!?勘弁してくれ!」



 教会の地下はカビ臭く、空いた牢屋が一つだけあった。



「な、なぁ……。」


「エド。すまんな。俺じゃなくてこいつがやるんだ。まぁ、がんばれ。」



 牢屋の扉を開け、奥に押し込まれ、神官とエイブが俺の身体を壁に革のベルトで固定していく。



「ひゅー!縛られてるエドもいいねぇ。」


「こんなときにふざけたこと言うな!」



 神官とエイブの後ろにいたもう一人が、つかつかと歩み寄ってきた。

 片腕で、両端の先が分かれた棒を取り出し、もう片腕で俺の口を塞いだと同時に、何かを押し込んだ。そのままあごを持ち上げ、先の分かれた棒の先端を顎と鎖骨の間に押し付けると、首にベルトか何かで固定される。

 俺は上を向いたまま、うっすらを歯を開けることしかできなくなってしまった。

 口に押し込まれた物は意外と大きく、噛むことも飲み込むこともできない。息はできるが、訳のわからないものを押し込まれているのは気持ちが悪い。



「明日まで耐えろ。必ず助ける。」



 小さい声だったが、そいつは確かにそう言った。

 フードからかすかに見えた、意思の強い、青い瞳を、俺はどこかで見たことがある……?



「この罪人めが。明日の審判を楽しみにしているのだな。」



 まるで勝ち誇ったかのようなことを神官が言っている。



「……せっかくですし、同じ体験でもしてみますか?」


「い、いや、遠慮しておきます。」



 少し離れたところから聴こえていた会話も、段々遠ざかっていく。

 最後にバタンと扉が閉まる音がして、何も聴こえなくなった。


 牢屋にともっている小さい電球を見つめさせられたまま、口や姿勢をなんとか変えようとした。

 だがどう足掻いても、尖った棒の先端が胸や顎をに食い込み、痛みで動かすことができない。


 一日が、こんなに長いとは知らなかった。

 窓もない地下からでは、陽がどの辺りまで登っているのか、沈んでいるのかもわからない。

 上を向いていると口の中や目が渇いていく気がする。

 目をじっと閉じ、わずかに出てくる唾液を飲み込む。


 あの嫌味ったらしい神官が降りてくる気配はない。

 延々と説教をしそうなタイプだと思ったが違うようだ。


 それにしても、暇だ。


 今頃ならば、新しく開港される港で働いていただろうとか、アビー手作りのサンドウィッチをお昼に食べたりしているだろうとか、仕事が終われば仲間の誘いにも乗らず家に帰っていただろうとか、一日を何回もリピートさせた。

 三十回は間違いなく繰り返した。うん。

 それでも次の日は来ない。


 長い。


 牢屋に燈る裸の小さい電球を見つめる。

 目が渇く。

 瞬きをする。

 電球の周りを飛ぶ虫を見つけた。

 小さい虫を何度か見失いながらも、何となく目で追い続ける。


 だんだんと眠たくなってくる。

 陽が沈んだのだろうか?さっきより少しだけ空気が冷たい気がする。

 一日何も食べていないので、腹の虫が泣き止まない。

 空腹と眠気の緩やかだが重いパンチにさらされ続けている。

 顎と胸元に食い込んでいる棒のせいで、頭を前に倒して眠ることができない。

 仕方がないので後ろに倒そうとしても、壁に頭が当たる。



 顎と胸元に尖った棒が食い込む痛みを何度か味わった後、エイブ達がやってきた。

 寝不足の俺は解放されるのをまだかまだかと待っている。



「おはようございます。では行きましょうか。」



 どこに?

 冷たい壁から解放された後も、手には縄が、顎と胸元には相変わらずそれがある。

 前も向けないまま、立ちっぱなしでふらつく足を引きずりながら両脇を抱えて歩かされる。

 ざわざわと聴こえる声で、人が集まっているのだとわかった。



「さあ!愚かな男よ。人々の前で言ってみるがいい!『私は神を裏切っていない』と!」



 マジでこの神官ぶん殴りてえ。

 って、それどころじゃない。口を開こうにもつっかえ棒になって声を出すのも難しいってのに、どうすんだよ。



「ぐっ、ふふんむむむふぅー……!」



 意味のわからない、言葉?しか出て来ない。

 というかどうやってしゃべれってんだ!



「おい、まて神父!あんた、昨日こいつにもう一度会ったか!?」



 エイブが唐突に、大声を出した。



「……意味がわかりません。何が言いたいのですか?」


「こいつのにナニ突っ込んだってきいてんだよ。」


「不躾な人ですね!この男にあなた達が帰った後にもう一度会ったか!?会うわけないでしょう!」


「じゃあ、あいつの口に入ってるモノはいったいなんだ?」



 エイブが乱暴に首に巻かれているベルトとつっかえ棒を取る。

 俺は勢いでむせ、口の中に入っていた物を吐き出した。



「こりゃあおかしいじゃねぇか。なあ?なんでに、パンが入っているんだ?」



 エイブの一言で、教会に集まっていた人達が一層ざわめきだした。

 その人混みの前、俺の目の前に妻が、アビーがいた。



「アビー!俺はお前以外愛してないんだっ!」



 アビーは怯えていた。悪いことをした、子供のように。



「じ、尋問官!あなた達がやったのか!?塞がっている男の口にパンを詰め込むなど、あなた達しか出来ないでしょう!」


「ほぉ〜?んじゃ聞くけど、あんた、見たのか?俺たちが!こいつの口に!なにか突っ込んでるとこをよ!!」


「そ、それは……。」



 言い淀んだ神官を見て、人のざわめきは大きくなる。


 奇跡だ--

 神が--

 しゅがあの男を--


 わあっ!と沸き起こった歓声と、人の雪崩が俺を襲った。

 揉みくちゃにされ、手に結ばれていた縄はほどかれ、外に押し流された。






 後から聞いたところ、俺を知っている人達が間違いだと訴えるためにあそこにいたのだという。

 妻の表情はまだ暗いが、いつか笑ってくれるだろう。

 そして、俺にかかった「神の奇跡」という嘘も、その内消えるはずだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る