06.水牢

 身体はすでに冷え切っている。


 上に行くほど狭くなる檻にもたれることもできず。


 腰まで浸っている水のため座る事もできず。


 休むことなく立ち続けている。


 着せられた貫頭衣かんとういを更に抱き寄せ、上半身だけでも暖めようと試みる。


 けれどそれも、とっくに水で湿しめりたいして暖かくはならない。


 正直なところ、私は尋問館を甘く見ていた。


 若い現王に代わる少し前に、粛清のためにと、ここが出来た。


 いくつかの家が見せしめに死刑となった後は、ただ犯罪人やたまに潜り込むスパイを捕まえているだけだと思っていた。


 間違いない。ここは、王の直轄機関だ。


 おかしいと思っていた。

 なぜただの尋問官が、予想以上に優遇されているのか。

 決して高給ではないが、地位は低くない。


 私は女だが、治世には疎くない。むしろそこらの男より優っていると思っている。


 だからこそ、尋問や死刑などを行う人間は決まって地位が低いことが当たり前だと知っていた。


 だからこそ甘く見ていた自分に腹が立った。


 見つかったところで誤魔化せると、何度も商人を通じて情報を売り買いしていた。


 別に情報の売り買いは禁じられているわけじゃない。軍事情報や国家機密にあたるもの以外は、むしろ推奨されている。

 農耕や土木、料理のレシピもそうだ。

 貴族が買い。安く売り広める。


 ……売る情報の中で、一番高いものがある。

 この国の地図がその一つ。

 兵力。

 商業。

 麦の収穫高。

 他の穀物。

 王の政治。


 機密情報でなくとも、たいていのものは売れる。

 裏付けがなければ売るのが難しいものもあるが、かまわない。


 他の情報に全て紛れ込ませて売ってしまえばいい。


 税の徴収など及びもしない大金が手に入る。





 震える身体をさすりながら、私は思考を巡らせる。


 いったいどこから漏れたのか?

 商人が通る町やルートは把握していた。

 売った情報が国内で買われていた?

 それはないだろう。情報によっては外に持ち出せば死罪は免れない。

 どれだけ危険かわかっているはずだ。


 夫が漏らしたのか?

 あの愚図ならばありうる。

 大金に目がくらみ、どこぞで話すこともありうる。


 なんにせよ、まずはどれだけの情報を握られているのかを知らねば……。





 水の中にずっとつかっているが、身体が冷える以外特に支障はないように思える。


 まさかずっとこのまま?

 食事は小さなパン一つとチーズ一欠片にワインだった。


 自然とため息がでる。







「セザリー・スペンサー婦人。貴女に聞きたいことがあります。」



 どのくらい経ったのか、立っているだけの疲労感と眠気に襲われている私に向かって、話しかける人がいる。



「正直なところ、私達は貴女がどのくらいの情報を流していたのかは把握していないのです。素直に話して下さるとは思っていませんが、何の情報をどの商人に売ったかを教えて頂けませんか。」



 その人は頭からつま先まで、真っ黒な姿をしていた。

 フードから少しだけ覗く、金髪の髪が美しい。


 あちらからだと、頭より下は床下に埋まっている私など、滑稽に見えるだろう。



「あなた、わたくしを誰だと思っておりますの?情報を流す?どこに?スペンサー家は誇り高い家系です。決してそのようなことは致しません。」



 私が発した強がりとはったりを、その人はさらりと受け流したようだ。

 肩をすくめ、小さなパン一つとコップ一杯のワインを目の前に置くと、ごゆっくり。と行ってしまった。


 水に浸かっている皮膚が、白く柔らかくなっていく。

 手で触ると、ぐにゅぐにゅと少しだけ気味が悪い。


 チーズがなくなったことで腹が立ったが、堪えて手を伸ばす。


 バターも何も塗っていないパンをかじるのはプライドが許さないし、ワインには薬が入っているかもしれなかったけれど、飢え死にはしたくない。


 再び震える身体をさする。





 しばらくもしないうちに、睡魔が襲ってきた。

 いつの間にか胸元まで濡れている。

 眠気でかがみ気味になっていたらしい。


 囲われている鉄の檻にしがみつき、足を掛けようとした。



「ぎゃあっ!」



 右脛すねが鉄に当たった時、鈍い痛みが走った。


(ぶつけるほどの勢いじゃなかったんだけど……。)


 拷問用にしては綺麗な水越しに、当たった足を見る。



「え……?」



 当たった右脛あたりに、白いレースのような物が漂っている。


 嫌な予感がして、恐る恐るそれに触る。


 まだ脛は痛い。


 白いレースはぶつけたところから繋がっていた。

 足を触ると信じられないほど水を吸い、柔らかくなっている。

 それこそ、引っ張れば皮の表面が取れてしまいそうなほど--!!



「いやぁっ!!!だれかあぁぁあ っ!!」



 しばらくパニックで叫び続けていると、私を拘束した若い男が来た。



「た、助けて!足が……私の足があ!」


「えっ、え?」



 動揺しながらも、人を呼びに行ってくれた。

 戻って来た時、あの綺麗な金髪の男も一緒だった。


 金髪の男は私の目の前に椅子を置くと、座って足を組んだ。



「セザリー・スペンサー婦人。なにか?」


「何かじゃないわ!私の……わたくしの足の皮がめくれているの!早くここから出してっ!!」


「それは困りました。まだ刑は執行途中ですので開放は出来かねます。」


「足の!皮が!めくれていると言っているの!皮膚はどこも白く膨れているし、ずっと痛いの!早く出して!」


「刑の執行途中、と言ったはずです。何の情報も話さない人を開放するわけにはいきません。」



 落ち着いたままの男に腹が立つ!



「なんでも話してやるわよ!ここから出して!」


「……檻の留め具を外せ。スペンサー婦人、これで出られるはずです。」



 男は二人の部下に命令し、四角錐になっている檻の、天辺にはまっている金具をいくつか引き抜かせた。


 男達は檻を開き、私は自由に出られるはずだった。



「い……たいっ。」



 柔らかくなった皮膚が、広がった檻や上がろうとした床の角にあたり、痛くてなかなか上がれない。


 檻に足を掛けようにも、足の裏が痛くて、力が入らない。


 腕だけで上半身を水からひきあげたが、そこから動くことができず、男二人に引っ張られ、ようやく出ることができた。



「さあ、話してもらいましょうか。」


「まずは手当をしてよ。」


「話してからです。収益も悪くはないのでしょう?何にお金を使いたかったのです?」



 ……仕方がない。また水に浸かるより、ここですべて話してしまった方が楽。



「わたくしの娘をご存知でしょうか。20を迎えたにもかかわらず、未だに良い縁談がありません。どこに当たっても断られるのです。あんなに良い子なのに不憫でたまりません。唯一、良い返事をもらったところは爵位が上で、多額の支度金を用意しろと言われてしまいました。国の情報を売れと指示を出したのもその方です。商人が多額で買い取ってくれるだろうと……。」


「なるほど。指示を出した方のお名前は?」


「それは……。」


「ではまた水牢へ--」


「待って!エルギン卿よ!あいつが言ったの!金貨1,000枚でなんでもしてやるって!だから私はわるくないわっ!!」


「エルギン卿とは、また随分お年を召した方を選ばれましたね。」


「良い縁談を紹介してくれると、そう言われたのよ。同じ爵位ではなく、もう少し上ならば見つかるはずだって。そのためにも大金が必要だったの……。」



 これで開放される。

 売った商人の名前や格好はすべて書き留め、家に保管している。

 取りに帰ると言えば、ここからは出られるはずだ。

 家に帰る間に、助かる方法を探せるはず。



「では引き続いて、売った情報を全て吐いてもらいます。」


「家に書き記した物があるわ。それを取りに帰ればいいでしょう?」



 これで帰れる。



 そう思った。



 男は、細かい傷のできた足に引っ付いている、剥がれかけた皮膚をつまみ





 ぶちっ。とちぎった。




「ぇ……は?」




 わずかにかれた皮膚の下には、桃色の皮膚があった。



「な、なんで、なんで。」



 焦りで涙声になる。



「返すわけないでしょう?今ここで吐いて下さいね。」



 皮を剥がしやすいように、男は小型のナイフを用意した。



「っ!……ベ、ベネトラズのカラナ。コロズムのグルズ--。」



 少しでも止まればナイフを入れられ、皮膚をかれた。


 血はほとんど出ず、桃色の皮膚は空気でヒリヒリと痛む。


 桃色の皮膚はどんどん増えていく。



「もういや……もういない、いないわよ……。」



 もう二人の男に身体を押さえられ、足の裏も皮を剥かれてしまった。


 太ももから足先まで、ほとんどが赤に近い色に染まるとやっとナイフを置いた。



「さて、ではをしましょう。これで尋問は終わりです。」



 二本の棒に布を張った物に、転がすように乗せられる。


 男二人が、頭と足の棒に出っ張っている棒を両手で、私と一緒に持ち上げる。


 金髪の男を先頭に、そのままどこかへ連れて行かれるようだが、なんでもいいから早くここから出たかった。


 治療をすると言っていたから、医務室でもあるのかもしれない。





 連れて行かれた先の部屋には、色々な器具が置いてあるのが見えた。

 運ばれるままに入り、鉄のベッドに寝かされたため、どういった部屋なのかはよくわからない。



「もう夕食の時間ですね……二人は行って下さい。あとは出来るので。」



 部下二人が何か言って部屋を出ていく。


 私と、金髪の男だけになった。



「ねえ、治療してくださるのでしょう?痛くてたまらないの。早くして下さるとありがたのだけど……。」


「もう少しお待ち下さい。あ。治療しやすいように足をちょっと固定しますよ。それからもう少し上に移動させますね。」



 男はガシャガシャと器具を出したり、下に敷かれた布ごとベッドの頭の方へ移動させたり、足首と腰をベルトで固定したりと動きまわった。


 準備が整い、男が私の頭の横に立った。



「では始めます。」



 治療にしては物々ものものしいなと思った。


 ガタン。と音がしたと思ったら、頭が下に落ち、首が限界まで伸びた。

 目の前が真っ赤に染まったように見えた後、黒く意識が沈んでいった。

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