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「私としては……死。んでくれた方が、いいですが、他の家族とも連絡を取りたいと思います」


 医者の問いに対し、死という言葉を畏れながら私はそう答えた。「なるべく早くお願いします」と急かされたので、治療室から出てから母の友人達にはお引き取りいただき、共に住んでいて仕事中の長男と、東京に暮らす次男。それと祖母と、不本意ではあるが、母の恋人にも連絡を入れて意見を求めたところ、ともかくそちらに着くまで待てと言われたのだった。


 電話を終えると、私は一人で治療室の近くにあるベンチに腰掛けていた。その日は朝から雨が降っていて、靴も靴下も雨水で濡れていた。本来であれば、早々に帰宅してシャワーを浴び、ビールでも飲みながらまたウダウダとくだらぬネガティヴを泳がせ眠りに付いていただろう。それが、まるで予想もできないような不幸が突如として訪れ、私を悲劇の檻に囲っている。平々凡々とした生活が、なんとも得難く、尊いもののように思えた。

 夜の病院は存外騒がしく様々な音が響いていた。医者や看護師の足音や喋り声。物を動かしたり叩いたり、引いたりする音。それが、脳に響き、思考を中断させる。いや、もしかしたら、はなから何も考えたくなかったのかもしれない。結局のところ、私は決断を他人に押し付け、自らの責を放棄しようとしていたのではないかと今では思う。


 数多の雑音と同化しながら二十分ほど経った。一番早く病院に現れたのは、母の恋人だった。私は彼に医者から聞いた話を今一度話し、自らの意思を、母を殺してもらいたいという旨を伝えた。すると、恋人は激怒し、「ここで終わらす気か」と声を荒げたのであった。安いヒロイズムだと思った。

 生きていればそれでいい。そんな考えは、本当の苦しみを知らぬ人間の戯言ではないか。死を無条件で忌諱すべき事象とするのは、まさしく、窮地を知らない人間のエゴである。彼は確かに母を愛しているようだったが、愛など、期限付きの儚い感情に過ぎない。そんなものに絆され、母を、私達家族を無間地獄へ堕とさんとする男に殺意さえ覚えた。

 しかし、しかしである。私は、彼の激情に反する事できなかった。自らの意思で母を殺すという選択を言葉に出し、押し切る勇気が、気概がなかったのだ。

 私の一存で、果たして母の命を、これまで築いてきた人生を無に帰してしまっていいのだろうか。また、その十字架を背負い、これから先、私自身が何の後ろめたさもなく生きていけるのだろうか。そう思うと、私の舌はまるで化石のように固まり言葉に詰まってしまった。

 暫くの間、私達は黙ったまま距離を保ち、お互いの目を見ていたのだが、次第に冷静になってゆく男の姿を見て、ようやく私は彼に「兄の意見も聞いてくれ」と、発言することができた。その言葉に、男は静かに頷いて携帯電話を取り出し兄達に連絡を取る。すると、随分と冷静に、慈愛に満ちたような綺麗事を受話器越しに語り聞かせ電話を切り「二人共存命してほしいそうや」と、言うだけ言って、医者に延命処置を頼もうと治療室へと入って行った。私はそれを止めようとしたが足が動かず、男の背中を見ながら、これで本当によかったのかと自問する事しかできなかった。


 それから先は、長男、祖母、次男の順で到着し、何やら小さな部屋に集められて、再度、医者から母の容態と、今後予想される事柄の説明を受けた。母はこの後集中治療室へと移されるそうであった。皆一様に黙りこくってしまい、息をするのさえ辛かった。

 一通り話が終わると医者が事務的に「残るなら待合室を用意します」と言ったので、私はお願いすることにしたが、他の四人は帰って行った。


 待合室は薄汚く、椅子と、段の上に畳が貼られていてそこに布団が敷けるようになっていた。布団は有料で借りられたが眠気はなかったので借りずに私は椅子に座った。そうして安い蛍光灯の光に照らされながら時計の音に耳を傾けていると、規則正しく刻まれる秒針がいよいよと私に現実味を与え、胸に潜めた悲しみが無限に絶えぬ雫となって溢れだしたのであった。情けないほどに嗚咽し、漏れる声を抑えることもできず、ひたすらに悲涙が手の甲や太股に落ちていく。私はそれを見て、母の半生を考えずにはいられなかった。


 母は、兄二人を産んだ後に離婚し、そこから父と出会うまではずっとシングルマザーとして生きてきた。ゴルフ場でキャディーとして働きながら、幼い兄達の育児をしていたそうだ。父と同居するようになっても、仕事は辞めなかった。


「いつか家を建てたい」


 そう言って汗を流し、ようやく今私達が住んでいる一軒家を建てたのだ。

 精神的にタフな母であったが、これまでにそれなりの苦労もしただろうし、辛酸も舐めてきただろう。齢は六十手前。兄達は当然の事ながら、私も成人し、父とは別れたが恋人もできた。母はやっと自分の時間を取り戻す事ができ、これから第二の人生をスタートさせるつもりに違いなかった。


 その矢先にこれだ。酒の席で倒れ危篤。一命を取り留めても、母は明確な意識を持ちながら、自立呼吸すらままならない人形のような身体で生きていかなければならないのである。

 これを生き地獄と言わずなんと言おうか。これまでの母の人生はいったい何のためにあったのだろうか。あまりに醜悪。あまりに残酷。生きるとは、苦しみしかないというのか!


 私はこの時、涙にまみれながら、一つの呪文めいた言葉が頭に浮かんだ。


 生は苦しみ世は地獄。


 この世の中は決して報われることのない、三界無安の果てである。地獄に住まう仏はなく、弱者はただ、無常という名の鬼に蹂躙され苦しむ他ない。憐れみは得られず、哀願が聞き届けられることはなく、悲哀の層は人類の歴史の分だけ厚く積り、私達家族に降りかかったような類の不幸は、よくある話だと人々に鼻で笑われるのである。しかし、その笑っている人間達もいつしか、私達と同じく不幸が訪れるのだ。それが、この世の理なのだから。


 生は苦しみ世は地獄。


 繰り返される一節は、現世うつしよに広まる四苦八苦を受け入れよというメッセージに聞こえた。

 私は震えた。このような悲運を、自身の矮小な器に注ぎ、飲み干す度量を求められている気がしたのだ。そんなことは到底できない。きっと私は、いつまで経ってもこの日を忘れられず、事ある毎に涙を流して苦しみ悩むのだから。

 何百、何千の喜びを得たとしても、それはたった一粒の涙に霞んでしまうだろう。人は悲しみに対してあまりに無力である。ただ波に呑まれ、その激流に身を任せながら時間の経過を待つ以外に手を持たない。唯一残された救済は……


 



 時間の進みは早かった。気付けば窓に光が差し、鳥の囀りが聞こえる。寝たか寝ていないかも分からぬ状態であったが、私は身体を起こして外に出て、母が入っている集中治療室の前へとやってきた。入室は許されていない。私は、響く機械の音に心臓を圧迫され、堪らずトイレに行き胃液を吐いた。


 待合室に戻ると母の恋人がいた。「眠れたか」などと気安く声を掛けてきたのが煩わしかったが、家まで送ってくれるとの事だったので私は好意に甘え、一時帰宅してようやくシャワーを浴びる事ができたのであった。

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