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 新しい住処の近くには祖父母と従兄弟が住んでいた。幼い私は他に親類を知らなかったのだが、祖母はしきりに「今度ゴトウのおばさんのところ行か」と言ってきた。


「その人、知らない」


「親戚のおばさんよ。いつもあんたとこにお米をくれる人やに」


 当時の私は米が嫌いだった為あまり関心はなかったのだが、そのゴトウのおばさんは破格の値段で我が家に米を提供してくれていたのだった。しかし、それを知ったのはおばさんが亡くなった後であった。今日まで難なく成長してきた私の五体は、ゴトウのおばさんの好意によってできあがったといっても過言ではない。その礼もできぬまま今生での縁が切れてしまった事には、些かの無常を感じる。


 そんなゴトウのおばさんの家に一度だけ、遊びに行く機会が訪れた。暇な日曜日、祖母に手を引かれバスに乗って、山道を登り、ガタガタと揺られながら到着したのは丸い看板だけしかないバス停で、そこからさらに二十分ほど歩いて、私はヘトヘトになりながらもようやっと目的地へと辿り着いたのだった。ゴトウのおばさんの家は、畑と田んぼに囲まれた大きな木造建築で、幼い私は、ここに火が着いたらさぞかし盛大に燃えるだろうなと、喉が渇いているのに体を震わせたのだった。


「あれ。ヒロ君やに。よう来たねぇ」


 私達が来るタイミングを見計らったように、どこからともなく一人の老婆が現れ私の名を呼んだ。彼女がゴトウのおばさんであるのは明白だったのだが、彼女がなぜ私の顔と名前を知っているのかは分からなかった。しかし私はそういうものだと考え、初対面の老婆に向かって「喉乾いた」と自身の欲望を余す事なく伝えて飲み物を所望し祖母に咎められた。ゴトウのおばさんは笑って「上がり」と私達を家に入れてくれて、コップ一杯の麦茶を出してくれたのだが、あいにくと私は麦茶が嫌いだった。渇きに苦しんでいた私は文句を押し留めて不快な香ばしさを持つ茶色い液体を嫌々に飲みはしたが、二杯目をすすめられたときは断った。


 不味い茶と年寄りの思い出話に早速来た事を後悔し、一人手持ち無沙汰に退屈を覚えて足をバタバタとさせていると、ゴトウのおばさんはニコリと皺を弛わせ、「隣の姉さん達と遊んできやあ」と言ったのだった。

 他に人間がいると思わなかった私はドキリとした。しかも、姉さん達と言うからには、その先客の正体が女であるのは疑いようがない。先の記したミレイちゃんの手により(真似事ではあったが)淫奔たる女の魔性を知ってしまった私は、この頃から性に対して並々ならぬ関心を持っていた。歳を重ね、まるで興味がなかったあの密会の意味を知ったと同時に、私には熱きエロスのリビドーが湧き上がったのだった。年頃の兄達がいたのもまた、内に秘めたる好奇心と欲望を増大させるのを手伝った。彼らの部屋には、当然のようにポルノ雑誌が置かれていたからだ。


 ゴトウのおばさんの言葉に頷いた私は立ち上がり、二体の喋るしかばねから離れて廊下に出ると、胸を弾ませつつそっと、隣の部屋を覗いてみた。すると中には、私より僅かに歳上だろう女児が二人いて、紙に何やら書きなぐっていた。

 その時、私は彼女達の歳の頃が自分とあまり変わらぬという失望と、えも知れない恐怖を同時に味わった。いったい何が、我が身の背に怖気を走らせたのかは分からなかったし今でも不明なままなのであるが、女二人が、何を話すでもなくひたすらに真っ白な半紙をクレヨンで染めていく様が異様に恐ろしかったのだ。しかし、目が離せなかった。私はじっと彼女達のお絵かきを、恥知らずにも出歯亀よろしく眺め続けた。すると、ふいに一方の女の顔が持ち上がり、私と目が合った途端、真っ赤な口を切られた西瓜のようにして笑ったのであった。

 瞬間的に私は逃げた。ドタバタと掛け、嫌っていた野外へと靴を履いて飛び出していった。後ろからは「男の子だよ」と誰のか分からぬ声が聞こえてきて、それも私の恐怖心を煽ったのだった。

 結局、私は彼女達と交流する事なく、暇な時間を実がなりかけたトウモロコシや茄子に囲まれて過ごしたのであったが、その日から女に対して幾許かの苦手心を持つようにった。それでも女体への興味を失わなかったのは、私の雄としての血が濃いものだからだと思う。一つ、それを象徴する出来事があった。それは、私が小学生に成り立ての時に起こったものである(私は引越して幼稚園に通っていたのだがそこでは特筆すべき事は何もなかった)。

 近所にジジババしか居ない新居での暮らしは、私に色への欲求を募らせていた。同年代の女はいたが、発育の伴わない胸部には劣情が湧かなかった。彼女達と事を成す想像をすると、どうしても、ミレイちゃんの塩味がかった不衛生な滑りを思い出してしまうのだった。

 ではなぜ女に性的興味を抱いていたかというと、私は兄が隠し持っていた雑誌を読み、大人の女の秘部は甘く美味であると思っていたからである。実際の魚の腐ったような粘膜を舐めるまでにはそこから更に十四年の歳月を要したのだが、純粋な私はすっかりと破廉恥なる虚偽を信じ、大人になると女は甘くなるのだとしばらく勘違いをしていた。


 その体液が甘いだろうという女が現れたのがこの頃である。齢六つとなり学校に通うようになった私はクラス分けをされて、一年二組という、無機質な番号で振られた教室に入れられたわけだが、そのクラスの担任が、見た目二十代後半の女であったのだ。


 抑えられぬ衝動。


 私は成熟された女体から湧き出る甘美なる分泌液を飲みたくて飲みたくて仕方がなかった。そして一計を講じた。兄の部屋にあった雑誌により、女は胸や尻や恥部を触ると頬を染め、しばらくすると素っ裸になり股座から体液を噴出するという誤った知識を仕入れていた私は、かの女担任のプライベートなゾーンを無遠慮に弄る決意を固めたのだった。夢にまで見た女の蜜の味。それを想像する度に生唾を飲み続けていた私は、辛抱堪らず、躊躇うことなく決行に移したのである。


 結果はもちろん大失敗。私は放課後に呼び出され厳重注意を受けた後、二年に渡る虐待を受ける事とと相成った。つねる引っ掻くは日常茶飯事で、酷い時など鉄拳を浴びた。また言葉による暴力も絶える事なく、「お前には生きている価値がない」などという、教育者にあるまじき暴言をイギリス人が皮肉を言うみたく自然に口から発してくるのだから私の涙は枯れることがなかった。

 確かに私も悪かったとは思うのであるが、子供のちょっとした悪戯に全霊をかけて報復をするのはどうなのだろうか。いやはや女というのは恐ろしいものである。おかげで三年生に上がる頃にはすっかり伏し目がちで消極的な子供となってしまい、周りに合わせて明るく振る舞うのに難儀した。なにせ自殺まで考えたのだ。心に生じた闇はきっと並みの濃度ではなく、光届かぬ暗黒宇宙の一角を取り出して凝縮したようなものであるに違いなかった。その反動により、小学五、六年生の時はすっかりとやさぐれてしまい、学級を崩壊させた主犯格の一人となってしまったのも無理からぬことだろう。その時のクラス担任は涙ながらに胃痛と不眠を私達に語ったのであったが、それも宿命である。だいぶ経ってから詫びの手紙を送ったので、それで清算したという事にしたい。


 しかし中学に上がると、私はまた無口で大人しい子供に戻っていた。いわゆる、思春期の到来である。ニキビや体毛に頭を悩ませ、悶々とした毎日を送る時期を、私もまた経験したのであった。

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