男はかく生きた
白川津 中々
1
私は気付いたら四つの部屋がある建物に存在していた。
玄関を抜けるとすぐに食事室を兼ねた台所があり、そこを右手に進むと居間。真っ直ぐ行くと兄達の部屋があった。その二部屋に挟まれている最後の一室が、私と両親の寝室であった。
今にして思えば粗末な造りのアパートメントだったのだが、当時の私にしてみれば随分と手広に感じられ、一日中飛んだり跳ねたりしても飽きる事なく、よく育児休暇中の母親の手を煩わせていたのを覚えている。
私にとって、だだっ広くて季節によっては暑かったり寒かったりする外の世界より、適温かつ適度な空間に障害物が設置されていた屋内の方が遊びやすかった。この内向的な活発っぷりは、二十年以上経った今でも傾向を変えることがない。はしゃぐ事はなくなったとはいえ、私は、今でも外より内の方が気楽でいられる。
しかし、そんな天下の内弁慶に身を甘んじていられる時間は短かった。なぜなら、経済的にさほど裕福ではなかった私の家は、母親が早々に仕事へと復帰せねば食べる事もままならぬ状況だったからである。つまりは、母が働く為に、私は平日の昼間に保育園へと預けられる事となったのだった。
保育園はすこぶる居心地が悪かった。園児達は皆が皆、加減なくギャアギャアと騒ぎ立て、度が過ぎれば保母が叱りつけるのだがそれもまた耳煩わしく聞こえるのである。騒音に次ぐ騒音。私は静か過ぎる場所もうるさ過ぎる場所も苦手であった。
やんちゃな子供を叱る際、保母は時にハサミを持ち出して「おいたをするような手足はいりません」と二刀の刃をチラつかせながら脅していた。それに対して泣き散らし、また煩くする同園の人間。私は、保母にも園児にも、冷めた目を向けていた。
ハサミ程度で手足が切れるものか。よしんば切れたところで、実際に園児を達磨としたらたちまちに大事だ。やれるはずがない。自分でもませているとは思うが、そんな具合に一連の茶番を眺めていたのだ。
私は、もし自分にハサミが向けられたら、一切合切無視して保母の挙動を見届けようと内心思っていた。脅しに屈しない人間を前にして、彼女がどう対応するか見てみたかった。
しかし、終ぞ私に両刃の脅威が訪れる事はなかった。当たり前だ。そもそも私は、園内では置物のように振舞っていたのだから。
自身の宅の中では猿のように暴れていた私であったが、保育園ではだいたい大人しかった。屋内は広過ぎるし、先にも記したように外ではしゃぐのは好かない。私が通わされていた保育園では、園児は外で遊ぶよう徹底されていたのでそれが億劫で仕方がなかった。
夏場など特に最悪で、無理矢理に炎天下のグラウンドに投げ捨てられ、喉がカラカラになるまで汗を出し尽くさねば園内に入れてもらえなかった。ある種の拷問である。私は仕方なく、日光に当たらぬようドーム型の遊具の中で砂山を作ったりしていたのだが、時に無理矢理引きずり出され益体のない追いかけっこなどを強要された事もあった。
こう書いてしまうと、まるで私が分からず屋の一匹狼のように思えるだろうがそうでもない。しっかりと仲の良い人間も何人かいた。その中でも、ミレイちゃんという女の子とは特に親しかった。
彼女は私よりも一つ歳上で、たまに宅へ遊びに行っても(私達が住むアパートメントより遥かに粗悪な作りであった)彼女の母親しかおらず、不思議だなと思っていた。当時の私はまだ幼く礼節も道理も弁えていないはずだったのだが、なぜだか知らないが彼女の父親の事は聞いてはいけないと考え、まったく気付かない間抜けを演じながらゲームやままごとをして遊んでいたのであった。これは後の事であるが、案の定、彼女の家庭に、父親の茶碗は置かれていないと母に聞かされた。
そんな歳不相応な道化の化粧に塗れながらも、私は一人の友人としてミレイちゃんが好きであったのだが、一つだけ耐え難い事があった。それは保育園のお昼寝の時間に催される、儀式めいた密会であった。
昼食を食べて程なくすると、私達は各々の家庭から持ち寄った布団を敷いて午睡を強いられるのであるが、時間が経つと、ミレイちゃんは決まって私の布団に入り込み「エックスしよう」と言ってくるのである。私は、このエックスなる共同作業が、どうにも苦手であった。
彼女は「エックスしよう」と言った後、おもむろに私の唇を奪い、下半身をむき出しにして秘部を私に舐めるよう命令するのである。そうして充分に唾液が蜜の代わりとなると、私の下半身も脱がし、幼い壺に細小なる棒きれで栓をしようとするのだ。
そう……エックスとは、即ちセックスの事である。ミレイちゃんの母親は、当時の私が見ても母親となるには些か若過ぎるように思えた。肉体的なピークを迎えながらも肌を重ねる相手がいない彼女に慰めが必要だったのは疑いの余地はない。そして、そのその際に利用するレディースコミックやらアダルトビデオをミレイちゃんが発見するのもまた、十分にあり得る事であった。
子供というのは大人に憧れるもので、ミレイちゃんが背徳の魔に魅入られるのは必定であった。その相手としてのお眼鏡に叶ったのが私だったのだが、いやはやまったくありがたくない名誉であった。さすがに児童同士での行いなど真似事以下であり、実際の男女のまぐわいとは似て非なるものであった。私はいまだあの時の小水臭い花弁の味を覚えているのだが、できることなら、あの珍味の舌記憶は忘れたいものである。
そんなわけで私は寝る時間を割き便所の代わりをやっていたのだが、ミレイちゃんは急に家を変える事となり、お別れする運びとなった。私は悲しい反面、これであの妙な遊びをしなくても済む。と、胸をなでおろしながら涙をもってして彼女を送り出し、「きっと君の事は忘れないからまた会おうね」などと気障ったらしい台詞を吐いて握手を交わしながら惜別の想いを確認しあったのだった。実際のところそれから彼女とは一度も会っていないのだが、今現在の私の勘が、彼女はどこぞで、彼女の母親と同じくシングルマザーをやっているだろうとたまに言ってくる。私は今年で二十八となるのだが、丁度、あの時のミレイちゃんの母親と同じ歳位であった。未だに子はおろか伴侶すらいないのだが、いやはや、この歳で、女手一つの子育てとは随分な苦労だったろうと思うし、私の勘が正しい場合は、ミレイちゃんも同じ難事に四苦八苦しているのである。まったく、大変なものだ。そう思うと、私は未だ、子供のままのような気がしないでもない。いかに働き賃金を得ていたところで、守るべき者がいない人間は、総じて思春期までの幼児性から脱却できないまま生きていると、私は思ってしまうのだ。
ミレイちゃんがいなくなり、保育園での生活は平穏な昼寝の時間と激動の外遊びのみとなった。他にも何かあった気がするが、幼少の思い出など、水泡が如く消えるのが常。よって、保育園までの記憶は以上である。
その後、私は突然の引越しにより右も左も分からぬ新天地に連れてこられた。ボロのアパートメントから新築の持ち家に引っ越したのである。
その際に私は特別な感情を持たなかった。心の中で、あぁ違う土地で生きるのだな。と、一人納得しながら空を眺めていた。家が完成される直前に餅投げが行われた。私は、投げ入れられる菓子や小銭が我が家から出されたものだとも知らず、必死になってそれを集めるのであった。
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