9月第3月曜日 敬老の日 3

 午後15時である。


 不本意ながらかおると共に室内の飾りつけを終えたあきらは、大きな荷物を抱えてやって来た章灯しょうと長田おさだを出迎えた。


「お疲れさまでした、章灯さん。随分大きなもの買ってきたんですね。それ、何ですか?」

「ん――……? うん、まぁ……、色々、かな」


 自分には滅多に隠しごとをしない章灯が答えを濁したことに、何となく居心地の悪さを感じたものの、それは遅かれ早かれわかることだろう。隠すにはそれなりの理由というものがあるのだ。そう思って「そうですか」とだけ返す。

 章灯はそそくさとその荷物を持って居間へと行ってしまった。


 やや遅れてやって来た長田は小さな紙袋を持っていた。いや、彼が持っているから小さく見えるだけで、実際はそう大して小さいわけでもない。


「オッさんもお疲れさまでした」

「おう。難しいのな、野郎へのプレゼントって」

「そういうものなんですか」

「おうよ。最近じゃ勇人はやとのも難しくなって来たし」

「そういうものなんですね」


 自分は大して難しいと思ったことはない。というか、あげる相手といえば章灯くらいしかいない上、彼は何を贈ってもいつも飛び上がらんばかりに喜んでくれるのだ。


「何だよ、アキは章灯へのプレゼントで悩んだりしねぇのか」

「はい、あまり」

「おうおう、そいつは幸せなこって。そんだけ章灯の好みやら欲しいもんやらを熟知してるってことだな」


 そう言い当てられて、赤面する。


「いえ、だって章灯さんは、わかりやすい、というか。見てればわかりますし」


 そんなことを言うと、長田は背中を丸めて晶の顔を覗き込み、ニヤリと笑った。


「――ほほぉ?」

「なっ、何ですか?」

「いや? 成る程なぁって思ってよぅ」

「何が成る程なんですか」

「んー? 俺はやっぱり見ててもわかんねぇから。やっぱり長年連れ添った『妻』にゃわかるんだなぁってよぉ」


 茶化すようにそう言うと、そうでなくても赤かった晶の顔は茹でダコのようになってしまった。目に見えないだけで湯気も上がっているように感じる。


「ぐはは。お前は相変わらずだなぁ。いい加減慣れろよ、その肩書によぉ」


 子どもにそうするようにぽんぽんと頭を叩くと、彼女はそれに合わせてどんどんと背中を丸めていった。


「ほら、最後の仕上げが残ってんだから、いつまでも茹であがったタコみたいな顔してんじゃねぇぞ」


 こうしたのは誰だ、と言い返したくなるような言葉をかけられ、晶は涙目で長田を睨んだ。



「――おじいちゃん、美味しい!」


 湖上こがみ勇助渾身のプリンである。


 そりゃそうよ。これまでにこれを食わせえて「美味い!」と言わなかったやつなんざいねぇんだ。


 そう言いたくなるのを「だろ?」という言葉に凝縮させ、親指を立てる。


 晶には台所を借りる許可ももちろん取ってある。材料を仲良く買いに行き、手伝う! と騒ぐはるかの欲を満たせるような、それでいて味には影響が出ないような部分を少しだけ手伝わせて、それは作られたのであった。


「それに遼が手伝ってくれたからなぁ」


 そんなリップサービスをすれば、遼の方でもまんざらでもないのか「やっぱり?」などと照れている。


 晶はもちろんのこと、郁もまぁまぁ料理は得意な方だ。けれども別にみっちりとイロハを叩きこんだわけではない。彼女達が小学生になり、自分達も手伝うと言い始めてから、やはりこうやってごく簡単なことからやらせた結果である。


 それでも別に、顆粒出汁やらめんつゆなんかも使えば良いし、最近の惣菜の素だってなかなか侮れねぇんだぞ、とは言い続けて来た。けれど2人は頑なにそれらを使わない。もちっと適当でも良いんだけどなぁ、と2人の作ったしっかり出汁のきいた味噌汁を啜る度に思ったものだ。


「ねぇ、おじいちゃん」


 食べ終わった後の食器は自分で洗う! と遼が言うので、それに甘えてコーヒーを飲んでいる時に呼びかけられた。

 見ると、作業は終わったらしい。踏み台からぴょこんと降り、とことこと歩いて来る。ところどころ飛沫で濡れてしまっているのを見て、遼用のエプロンを置いてやった方が良いかもしれないなどと思いながら「何だ」と返す。


「赤って、男の子の色? それとも女の子の色?」

「――はぁ? 何だいきなり」

「学校でね、そういう話になったの」

「ほぉ。遼はどっちだと思ったんだよ」

「それがわかんないから聞いてるんじゃん!」

「いや、合ってる間違ってるは一旦置いといてよ。遼はどっちだと思うんだってこと」

「うーんとねぇ、私はね、最初男の子の色かなって思ったの。だって、晶君の好きな色でしょう?」

「成る程なぁ」


 遼はいまだに晶を『叔父さん』だと思っている。周囲が特にそう吹き込んだわけでは無い。遼が勝手にそう思い込んだだけで、それをあえて訂正していないだけだ。


「でもね、パパが女の子になる時、真っ赤なワンピースを着る時もあるんだよね。それもすごく似合うんだ」

「あンの野郎……!」

「晶君を見れば赤は男の子の色にも見えるし、パパを見れば女の子の色にも見えるんだよ。難しくない?」

「難しく考えんなよ。色なんてもんはな、本当は男も女もねぇんだ。ピンクを着る男だっているし、ネイビーを着る女もいる」

「そうだけど……」

「でもアレだな、俺のイメージだけど、赤っつーのはよぉ」

「何?」


 ずずいと顔を近付けた遼は限界まで目を見開きその続きを待っている。その刺さるような視線をたっぷりと受け止めた後で、湖上は、すぅ、と息を吸った。


「正義の味方の色だな。あとは主役」


「正義の味方と……主役?」

「おうよ。正義の味方はよぉ、ヒーローでもヒロインでも大抵は赤を着てるわな。そんで、主役もまた然り」

「何それ」

「だから、つまり、赤っつーのは、そういう色だってことよ」

「何かよくわかんない。でも、おじいちゃんって赤着ないよね。それって正義の味方でもないし、主役でもないってこと?」

「ぐぅ……っ! やっぱりそこ突くか。突くよなぁ。いやぁ、俺的には結構人を助けてると思うし、主役を張れるだけの器だとも思ってるんだけどよぉ」

「ふーん」

「あっ、いま適当に流しただろ! 畜生っ!」

「別に適当に流してなんかないよ。もったいないなぁって思っただけ」

「何がだよ」

「似合いそうなのに、赤」

「……ふん。まぁ、追々な」


 赤は苦手なんだよ。

 皐月の一番好きな色だったから。

 皐月が一番似合う色だったから。 


 だから、赤が主体になっているような服は一枚も持っていない。

 

 思い出したくないわけじゃない。

 郁とアキを見てりゃアイツの顔なんていつでも思い出しちまう。


 いまでもアイツが一番なんだ、俺は。

 もしアイツにもう一度会えるってんなら、俺は、何のためらいもなく何もかも投げ出しちまうだろう。


 なぁ、皐月、お前今年60だってマジかよ。還暦じゃねぇかよ。


 生きてたら縁側で茶でも啜ってたのかな、俺達。

 約束したからな、きっとお前は湖上皐月になってるんだろうな。


 そしたら郁とアキも湖上なんだよな。

 そしたら、俺、本当にあいつらの親父になってたんだな。


 いや、いまだって俺は完全に親父のつもりだけどよ。


「そろそろ着ても良いかなぁ、俺も」


 などとぽつりと漏らしてみる。

 遼は既に興味を無くしていたのか、いつの間にかつけていたTVに集中している。それでも彼の声はかすかに聞こえていたらしく、気の抜けた声で「なぁんか言ったぁ?」と言った。


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