9月第3月曜日 敬老の日 2

「そろそろ良いんじゃないかしら」


 いきなりそんな切り出しで始まる電話が来たのは、今日の10時のことだった。


「何だ。そろそろ何が良いんだよ」


 電話の相手――姉のかおるは「あぁ」と小さく呟いてから「ごめんなさいね」と大して重さのない詫びを入れて来た。恐らく、いまさら相手が『察しの悪すぎる妹』であることを思い出したのだろう。いや確かに、自分の察しが悪いのは事実だが、かといって、例えこれが章灯しょうとさんだったとしてもさすがに訳がわからないのではないだろうか。


 それが当たり前になってしまうほど、普段一緒にいる『奴』とはツーカーなのだろう。


湖上こがみさんよ」

「コガさんがどうしたっていうんだ。いちいち区切るな。一度に全部言え。千尋と違って郁の頭の中なんて全然わからないんだからな」

「あら、私の頭の中なんて、千尋だってわからないはずよ」

「どうだか。ていうか、こっちだって暇じゃないんだ。さっさと言わないなら切る」

「もう、せっかちなんだから、全く。――いまそっちにはるかと湖上さん向かってるでしょ」

「さっき電話来た。地下室を借りたいって。お前からお守りを頼まれたって言ってたけど」

「そうなの。お守りっていうか……、逆に見張ってもらうために預けたのよね」

「逆に?」

「そう。ねぇ、いまからこっち来れないかしら」

「何なんだよ。だから、全部言えよ。その上で行くか行かないか判断する」


 どうしてこいつはいつももったいぶった物言いをするのだろう。続きを急かすと、「はぁ」と呆れたような声が聞こえた。続きを待たずに切ってやろうかと思った時――、


「あなたは今日が何の日なのかなんて覚えてないんでしょうね」


 そんな言葉が聞こえ、慌ててリビングへと移動する。壁には章灯しょうとさんが買って来てくれた風景カメラマン・櫻井祥太朗さんのカレンダーが貼られているのだ。


「敬老の日……」

「そ」

「ちょっと待て。もしかして、お前……」

「そ」

「そ、じゃないだろ。コガさんだぞ? 年寄り扱いするなって怒られるに決まってるだろ」

「どうかしら。遼からは普通に『おじいちゃん』って呼ばれてるし」

「それは……そうかもしれないけど」

「遼と遊んでる時もたまに、『じいちゃんに任せろ』って聞こえてくるのよ?」

「まさか……」

「まぁ、信じる信じないは任せるけど。あの人、誕生日だってずっと教えてくれなかったじゃない? あの人ばっかり祝う側で癪なのよね。たまにはガツンと有無を言わさないくらい祝ってあげたくない?」

「それは……まぁ……」


 悪くない提案だと思う。こいつにしては。


 だけど正直、良いね、と言って乗っかることこそ癪なのだ。かといって、自分ではこんな発想は出て来ない。


「大丈夫よ。『逃げ道』も作ってあるから。でね、山海やまみさんと長田おさださんにはもう話してあるから。2人はOKですって。だから、悪いんだけど、本当のこと言うと、あきらに拒否権はほとんどないのよね」

「な……っ!」


 私が絶句すると、まるでそうなることを見越していたように、郁は高らかに笑った。

 でもどうしてか、ホッとしている自分がいる。周りを固められてしまえばYESと言わざるを得ないからだ。そうすれば私は渋々といった体で「仕方ない」なんてことを呟いて、いそいそと準備をし、車に乗り込むだろう。コガさんには「急な仕事の電話が入って」なんてつきたくもない嘘をついて。



 ***


「でも、敬老の日のお祝いって何するんですか? 赤いちゃんちゃんこ――は還暦ですし」

「ばぁっか章灯! コガの野郎にそんなん着せてみろ。その服が赤いちゃんちゃんこになるぞ」

「俺の血でっ?! 俺の血でってことですかぁっ?!」


 晶の双子の姉である郁から、「湖上さんも『おじいちゃん』が板について来たのでそろそろ敬老の日のお祝いをしましょう」というお誘いの電話が来たのは昨日のことだった。


 夫婦・公私共々いつも世話になりっぱなしの彼を祝うという話であれば、断るなんて発想に至るわけも無く、章灯は二つ返事で了承したのである。

 そして、年齢だけなら彼より『おじいちゃん』であるはずの長田と共にプレゼント係に任命され、高松屋デパートへと足を運んだというわけであった。


「ていうか――、いくら『祖父』って肩書があるっていっても、52歳で敬老の日ってどうなんでしょうか」

「それいま気付くのか、お前は。即答した癖に」

「そりゃしますよ。コガさんを祝うって言われたら、そりゃ一も二もなく即答しますって。俺にとってもお義父さんですし。でも、世間一般で考えたら、いまどき52のおじいちゃんって若すぎるような……」

「そりゃあな。だって考えてもみろ、コガと郁は17しか離れてねぇんだぞ? まぁ、アイツが産んだわけじゃねぇけど」

「そうなんですよねぇ。ていうか、ほんとつくづくコガさんってすげぇなぁって。2人を引き取った時だって確か23ですよね」

「おぉ、そうだな」

「俺、23なんて仕事で手一杯でしたし、とてもじゃないけど子ども育てるとか無理ですよ。しかも双子!」

「まぁ、さすがに5歳だったからな。言葉も通じるし、おむつも取れてたし。それにほら、俺もいたし」

「オッさんは戦力になり得たんですか?」

「言ったな、コラ。なったに決まってんだろ。アイツが全部1人でやってたらいまごろ野生児だぞ」


 そう言いながら、長田は「これなんかどうだ」と真っ赤なシャツを手に取った。


「オッさんも還暦から離れましょうよ。ていうか、いま長年の謎が解明されました」

「んあ? 何が謎だったんだ?」

「いや、コガさんの『娘』の割に、2人共なんかこう……お淑やかというか、どことなく品があるというか。皐月さんの遺伝子ってすげぇってばっかり思ってたんですけど」

「そりゃあ皐月さんの要素も多分にあるけどな。でも、あいつらのレディ教育は俺がしたんだ」

「なのに、アキがああなるのは防げなかった、と」

「うーん、そこはなぁ。アキは出会った時から既にアキだったんだよなぁ。でも、コガには似てねぇだろ、物腰っつーか」

「それは確かに」


 とはいえ、『ああなった』晶に惹かれたわけだから、それは決して悪いことではないのだが。


「でもなぁ、たまーにあいつらはそっくりだなぁって思う時はある」

「えっ?」

「つっても、3人がそっくりってことじゃねぇんだ。コガと郁、コガとアキ、別々にな」

「マジすか」

「何だよ、お前旦那の癖に」


 呆れたようにそう言って、長田は真っ赤なニットベストを持ち上げた。


「もう絶対これじゃねぇ?」

「オッさん、それも限りなく還暦祝い寄りです。離れましょう、赤から。それに俺、コガさんがそんなベスト着てんの一回も見たことないです」

「だろうな、俺もねぇ」

「ないんすか!」

「ねぇよ。参観日だっていつもの恰好だったんだぞ? 担任から『もう少し考えてください』って注意受けたくらいだからな」

「何やってんだあの人……」


 いつもの恰好というと、原色だったり蛍光色だったりのどぎつい色で教育上あまり好ましくない類のメッセージが踊っているぴったりしたロンTに、革パンかダメージジーンズ、ごついベルトにアクセもじゃらじゃらという、あの恰好のことだろうか。


 いやいやさすがにアクセ類は外しているだろうが。ていうか、銀髪という時点で、どんな恰好でもアウトのような気もしたが。


「――で、翌年からは俺の監修が入った。アイツの趣味を尊重しつつもギリ怒られない程度に調整したんだ」

「そういう意味でもオッさんの功績は大きいわけですね」


 納得したようにそう言うと、長田は満足げに頷いて、「じゃ、もうこれしかねぇ」と真っ赤なボクサーブリーフを章灯に手渡した。


「――オッさん、もうめんどくさくなってきたんですね?」


 彼はそれに対しても大きく頷いて見せた。

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