9月第3月曜日 敬老の日 1

「――ねぇ、おじいちゃん」

「何だ?」


 『おじいちゃん』と呼ばれ、さも当たり前のように返事をする。そう呼ばれ始めてもう何年か経った。


 良いか、子どもが出来たってなぁ、絶対にこの俺様をじいちゃんなんて呼ばせるんじゃねぇぞ! 


 そんな風に息巻いていた頃が懐かしい。

 『じー』『じじ』『じいじ』を経て、『じーちゃ』、そして『おじいちゃん』。そんな変遷をたどり、気付けばそう呼ばれても普通に返事をするようになっていたのである。


 いやいや、だってせっかくしゃべり始めたのをそれはダメだなんて言えるわけねぇし。


 さすがに『マンマ』には勝てなかったものの、『パッパ』より先に『じー』が出て来た時、彼は、勝ち誇った笑みを浮かべた後、結構本気で項垂れている『パパ』の姿を見て、ひっそりと『パッパ』の練習に付き合ったものである。


「ちょっと、おじいちゃん?」

「――お? おう、すまんすまん」

「もう! すまんじゃなくて、ちゃんとごめんなさいでしょ? 全く、良い年した大人のくせにさぁ!」

「むぅ。誰に似たんだか口が達者になりやがって」

「少なくとも、おじいちゃんではないかな。私そんな乱暴な言葉使わないし」

「ふん。だーれも俺に似やしねぇのな。お前のママだって俺が育てたはずなのによぉ」


 別に悔しくなんかない。


 そう言い聞かせる。


 だってこいつらと俺は血なんか繋がってねぇんだから。

 だけど、俺だって一応『育ての親』なんだぜ?


「でも、私が男の子だったら、パパよりもおじいちゃんに似たいと思うけど」


 口を尖らせていた湖上こがみは、世界一可愛い孫――はるかのそんな一言で少しだけ頬を緩ませた。いやいやイカンそんなことで、と自分を奮い立たせ、でも横目でちらりとその可愛らしい唇を見つめる。


「パパは優しいし大好きだけど、ちょっと弱いんだよ。男はやっぱりワイルドじゃないとさ」


 いっちょまえに腕を組み、母親に良く似た顔でそんなことを言う。


「――ワイルド?」

「そ。まぁ、パパってほら、可愛い系じゃん? 私、男の子になるんだったら、ワイルドな恰好良い系が良い。パパみたいのは似合わないから」

「似合わねぇって……。お前の大好きな『章灯しょうと君』だってそんなにワイルドじゃねぇだろうに」

「章灯君? うーん、まぁ章灯君はね。でも、良いんだ。ステージの上では別人だから!」

「ま、まぁ……あいつにゃそれがあったな……」


 ステージの上では別人。

 良くもまぁこれだけ長い間、二足のわらじを履き続けられるものだと感心する。

 彼はまだまだ真面目なアナウンサーであり、そして多くのファンを魅了するロックヴォーカリストなのである。



 ツアー明けの休日である。


「ちょっと出掛けてくるから、遼のことお願いね」


 そう愛娘のかおるに頼まれたのだった。


「私、おじいちゃんのベースが聞きたい!」


 そう駄々をこねられた結果、たまたまオフだったあきらに断って三軒茶屋の山海やまみ家にお邪魔しているという状況だ。そしてその晶も急な仕事の電話が入り、出てしまっている。


 だからいま、地下室に祖父と孫の2人きりである。さんざんにベースソロを披露し、共に冷たい飲み物で喉を潤したところだった。


「お前も物好きに育ったなぁ。8歳のガキが『ベース聞きたい』ってよぉ。百歩譲ってもギターとかピアノなんじゃねぇのか」

「物好きにもなるって。こんな身近にロックスターがいるんだよ? こんな環境でならない方がどうかしてるって」

「いや、ロックスターってよぉ……。アキもいるし、章灯も、オッさんだってよぉ……」


 そりゃあな? そりゃあ俺だって負ける気はしねぇよ? しねぇけどよぉ。でも、わかりやすいのはヴォーカルとギターだろ?


「もう、つべこべうるさいなぁ。私が恰好良いと思ったんだから仕方ないでしょ!」


 遼の口調は少しだけ女の子らしくなった。


 けれどもまだまだ恰好は『晶2号』と揶揄されるほど、男児コーディネートである。ピンクのシャツやひらひらのスカートよりも、ネイビーのポロシャツにデニム素材のハーフパンツの方が好きなのだという。

 髪も真似ているつもりなのか、まんま晶と同じショートカットにしている。かつての晶と大きく違うのは、遼の両膝にはいつも擦り傷があることくらいだろう。誰に似たのか、遼はかなりの活発な少女に成長していた。


「まぁ、仕方ねぇよな」


 そんなことを言いつつも、彼はもちろんまんざらではない。ロックスターという有難い評価を可愛い孫からいただいたことも、仕方ないとまで言われたことも。それはつまり恐らくは損得とかそういうのを抜きにして『そうなってしまった』という状況を指すと思われたからだ。


「晶君、何時に帰ってくると思う?」


 それが恐らく最初の呼びかけの続きだったのだろう、遼は両足をばたつかせながら湖上を見上げた。


「そうだなぁ。何つっても仕事だからなぁ。内容にはよるけどな。どうせアキのことだから、作曲の依頼とか打ち合わせだろうし……」

「晶君、大人の人と打ち合わせとか出来るの?」

「おいおい、8歳のガキに心配されてんぞ、アキ……。いや、遼。さすがにな、アキだってこの道で結構長いことやってんだからな? まぁ、つい最近まで間に俺とか章灯を挟んではいたけどよぉ。まぁ、どうしてもって時には連絡来ることになってっから心配すんな」

「うん……」

「何だよ、やっぱりアキのが良いんじゃねぇのか」

「違うもん、そういうんじゃないの。ただ、たまにギター教えてもらってるから」

「――はぁ? いつの間にお前! っつーかやっぱりギターじゃねぇか」


 呆れたような声を発すると、遼は慌てて頭を振った。


「だから違うんだって! 最初はベースにしようと思ってたんだけど、晶君言ってたんだもん、『ベースじゃ勇人はやと君と組めないけど良いのか?』って!」

「――はあぁぁっ? おっ、お前ら、そ、そそそういう……? いっ、いくつ離れてると……!」

「おじいちゃん、どうしたの?」


 長田おさだ家の一人息子の勇人は今年20歳である。


 親父に似た体躯と、母親譲りの人懐こさで、大学でもそこそこモテるらしい。というのは長田の妻である咲からの情報だ。11歳から始めたベースの腕はまぁそこそこと言えるくらいではあるものの、いまだ親父からのOKをもらうことは出来ないようである。プロになりたい気持ちもあるらしいのだが、まずは親父をうならせてから、と譲らない。


「12も下のガキに手ェ出してんじゃねぇぞ」と言いかけてから、そういえばその『親父』の方こそ12ことを思い出す。


「何だよ、血は争えねぇのかよ。いや、でも、さすがにアイツも手を出したのは咲ちゃんが19だか20の時だしなぁ。っていうか、勇人アイツ彼女いたはずじゃんか」

「ねぇ、何さっきからブツブツ言ってんの?」

「何でもねぇ、こっちの話だ。んで、何だ。お前はどう思ってんだ、勇人のこと」

「勇人君のこと? お兄ちゃんだけど。一番好きな」

「お兄ちゃんかぁ……。まぁ妥当なところか。でも、そういうのが一番厄介だったりするんだよなぁ……参ったな、くそ」


 顎を擦りながら声を潜めて呟く。

 あの2人の子だけあって、勇人は好青年だし将来性もある。とはいえ、親父の方は照れくさくてOKを出せないでいるようだが。


 しかし、だからといって可愛い孫に12歳も上の男にゴーサインを出すというのも……。


「もう! さっきからブツブツ何だってんだよ!? 男ならでっけぇ声ではっきり言いやがれぇっ!」


 勢いよく立ち上がり、眉間に皺を寄せた遼が湖上をぎろりと睨んだ。そうしてから彼女は「やばっ」と可愛らしく呟いて両手で口を隠す。


「は、遼……?」


 いまのはどう考えても郁や千尋の口調ではない。

 どちらかといえば――俺だ。


「俺みてぇな乱暴な言葉は使わないんじゃなかったのかよぉ~」


 ニヤニヤと笑いながら脇腹を突くと、真っ赤な顔でくすぐったそうに身をよじる。


「仕方ないでしょ。おじいちゃんと一緒にいると似てきちゃうの! いつもは気を付けてるから大丈夫!」

「へいへい、せいぜい猫被っていやがれ」

 

 ――こりゃ、やっぱり俺の孫だわ。すまんな、郁。


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