♪30 Be A Hero (終)

「あ、あの、雁固がんこさん……? 安心した、というのは一体……?」


 もう嫌な予感しかしない。この後の展開について、まったく予想はつかないものの、とにかくもうひたすらに嫌な予感だけはする。


「いやぁ、ウフフ。あちらのジャーマネさんにもう依頼はしましたからね、後は、OKの返事をいただくだけなんですけれども」

「OKの返事って……」


 NOのパターンもあるはずだが、どうやら断られるとは露ほども思っていないらしい。


「いやいや断るわけないですよ。僕が言うのもアレですけど、この番組結構評判良いですしね? それに、その人、出たいって言ってくれてたみたいですし」

「あの、ちなみにそれは一体どなた……?」


 恐る恐る尋ねると、澤田石さわたいしはやはり「ぐふ」と笑った後で、ほんの少し間をあけてからこう言った。


「伝説の元タカラジェンヌ、京極芙蓉ふよう様ですよ!」


「――ええぇ??! きょ、京極……!!?」

「いまでもおきれいですよねぇ。いまはミュージカルの方で御活躍なさってるじゃないですか。それ、僕、良く行くんです。顔覚えてもらっちゃって、結構仲良くさせてもらってるんですよ」

「そ……そうなんですね……」


 京極芙蓉といえば、確か御年76くらいのおばあちゃんだったと思うのだが、いまも現役バリバリのミュージカル女優である。

 

 ミュージカル……。嫌な予感はこれだ。絶対にもうこれだったんだ。


「それでですね、ミュージカルといえばやっぱり帝國劇場じゃないですか。だから最終的なゴールをそこにして、千代田区を歌いながら散歩するってのはどうかなぁって。――あ、やばっ! 教えちゃった! 完全にアドリブでやってもらおうと思ってたのに!」

「いや、もうこの際知ってても知らなくてもあまり変わりません」

「んふふ。思った通りの反応ですね。いや、さっきですね、大学時代の後輩にこれどうかなって聞いてみたんですけど、まぁー、反対されましてね。『山海やまみアナが可哀相です、この人でなし!』なんて罵倒されちゃって。アハハ」

「あぁ……もう……」

 

 止めてくれ、もうこれ以上は。

 ていうか頑固さん、あなたわざとやってませんか? 罵倒されるために人選んでませんか?


 まさかそんなことを言う訳にもいかず、章灯しょうとは適当な相槌を打って電話を切った。無言でハンドルを握る晶はちらちらと章灯を心配そうに見つめている。


「……章灯さん、大丈夫ですか?」


 自宅に到着した晶は、車のエンジンを切る前にそう尋ねた。章灯はというと、映画を見終わった後よりもぐったりとしている。


「……駄目」

「駄目ですか」

「……駄目。完全に」

「か、完全に。……あの、何か美味しいもの作ります」

「ありがとう、アキ。でも、正直食欲ない」

「そんな……」


 電話の相手が何をしゃべっていたのかはわからないし、かといって章灯の言葉からもその内容を読み取ることは出来ない。それでもとにかく彼にとってまた不都合な仕事が舞い込んで来たのだろう、ということくらいはわかる。

 

 一体自分に何が出来る。


 晶は焦った。

 

 きっと章灯さんのことだから、そうはいっても週明けには仕事モードに切り変えられるんだろう。いつものように朝早くに起きて局へ行き、伊達眼鏡をかけてニュースを読むのだ。それが終われば眼鏡を外して自分の作った歌を歌うだろう。

 だけど。


「章灯さん、家出しましょう」

「――は?」

「家出です。私がしたみたいに」

「え? ていうかやっぱりあれ家出だったのかよ!」

「そうです」


 さらりと認めた晶は再びアクセルを踏み込んだ。


「――え? ちょ? どこ行くんだ?」

「とりあえずは、郊外へ」

「そ、その後は?」

「わかりません。適当なビジネスホテルに泊まってだらだらします」

「だらだらしますって。俺、着替えも何も持って来てねぇし」

「現地調達です。問題ありません」


 きっぱりと言い切るその横顔を見つめる。晶は案外思い立ったら即行動の気がある。


 あの時もきっと、こんな感じだったのだろう。


「……アキも来るのか?」

「章灯さんが必要だというなら」

「でも、仕事とか」

「どうにでもなります、私のは」

「ギター取りに戻らなくて良いのか?」

「この車には常に積んでありますから」

「さ、さすが……」


 一体どこを目指しているのか、晶は一切の迷いもなく車を走らせていた。郊外、ということしかわからないが、方面としては埼玉の方に向かっているらしい。きりりとしたその横顔をじっと見つめていると、視線に気付いたらしい晶が「何か」と言った。


「そういやあの時は何してたんだ? だらだらしてただけか?」

「……だらだらして、それから――、かおるの出産祝いを買って来ました」

「え? まだ産まれてないのに?! ていうか、だったら俺にも出させてくれよ。まぁ別々でも良いけどさ」

「いえ、本当はその予定はなかったんです。現金を渡すのが一番かなと思ってましたし」

「それは……ちょっと味気ないというか」


 そんでたぶんお前のことだから、とんでもない額を包んじまうんだろうな。コガさんとオッさんが「さすがにもうちょい減らせ!」って焦る姿が目に浮かぶぜ。


「いえ、元々は自分に買うつもりだったんです。理由はわからないんですけど、なぜか欲しいような気がして」


 ――え? 出産祝いを自分用に? 一体何を買ったのか大いに気になるところだが、いまは我慢だ。


「でも、実物を見たら、やっぱり違うんですよね。そんなに大きいものは使わないし、そもそも、普段からそういうの使わないですし」

「――んん? うん……」


 何だ? 大きいものは使わない? そもそも普段から使わない? そんな出産祝い品ってあるのか? おむつ? おむつか? そりゃ使うわけないけど。


「そこに運悪く、というのか、運良く、というのか千尋と会って、それを出産祝いにすることにして。で、お金を払ったら何かすっきりしちゃったんですよね。買いたかっただけなのか、もやもやしてた気持ちをお金と一緒に吐き出しただけなのかわかりませんけど。とにかく『買った』というだけで満足したみたいです」

「ま、まぁ、アキがそれで良かったんなら、良いけど」

「……だから章灯さんも何かそういうので発散出来ないかなと思いまして」

「成る程、それで家出しませんか、に繋がるわけだ」

 

 まぁ、やり方は多少強引だし、新たに大きな謎も加わってしまったが――。


 それでもさっきまでの欝々とした気持ちは軽減されている。

 

 そうだ。俺はどんな仕事だってこなして来たじゃないか。収録丸々ミュージカル調がなんぼのモンだ。歌は俺の得意分野だろ。俺はプロだぞ。プロの歌手である以前にテレビのプロだ。テレビのプロが企画に乗れないなんて、ナシだ。


「――よし、アキ。戻ろう」

「良いんですか?」

「大丈夫。何かすっきりした」

「はい? まぁ章灯さんが良いなら」

「そんでさ、一番最初に見つけたカラオケに入ろうぜ。何か歌いたい」

「カラオケですか……。わかりました」


 それがきっと章灯の発散方法だと思ったのだろう。晶は車をUターンさせて来た道を戻った。


「アキ、お前もだな」

「――何がですか?」


 晶は辺りをきょろきょろと見渡しながら車を走らせている。大方カラオケボックスを探しているのだ。そんなに注意深く探さずとも、カラオケボックスというのはだいたいが派手な作りをしているし、大きな看板も出ているというのに。


「アキもヒーローだわって。いま俺のこと助けてくれたろ」

「……そうですか? まったく実感がありませんが」

「助けてくれたんだよ」

「……そういうことにしておきます。でも――」


 そこで車は減速した。カチカチ、とウィンカーの音が聞こえる。右に曲がるらしい。

 見れば、かなり年季の入ったカラオケボックスだ。チェーン店ではなく、恐らくは個人経営のものであろう。目立つ看板もないのに良く見つけたものである。


 駐車スペースに車を滑り込ませ、ブレーキを踏む。エンジンを切ったところで晶は章灯の方を向いた。


「章灯さんしか助けませんから、私は」


 助けられない、じゃなくて、助けない、なのか、と。

 そこがまた晶らしいと思い、章灯は笑った。



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