♪29 一安心、からの……?

「あの、章灯しょうとさん、終わりましたが……?」


 映画館である。

 『特命ソルジャー THE MOVIE』一般試写会の関係者席で、章灯は、控えめなあきらのその指摘に恐る恐る顔を覆っていた両手を下ろした。


「うぅ……。恥ずかしかった……」


 ゆっくりと現れたその顔は真っ赤になっている。


 前回もだが、どうして顔を隠すのだろう、と晶は思った。


 本人が登場しているわけではないのだから、この場合覆うのは耳であるべきではないのか。


 しかし、それを指摘することは何となく止めておいた。


 そしてその真っ赤な顔のまま、各方面に挨拶をして回り、有りもしない仕事を理由にしてサッサと車に乗り込む。


「俺、もう絶対この手の仕事は受けない……」


 助手席に座った章灯が弱弱しい声でそう漏らすが、恐らくそれは無理だろう。晶がそう思うほど、今回の役もしっかりとハマっていたのだった。


「とても良かったですよ」

「褒められると悪い気はしないけどさ。さすがにもう心臓に悪いんだって」

「そういうものですか……」


 早く眼鏡かけてニュース原稿読む日常に戻りたいよ、と嘆いて章灯は大きなため息をついた。

 眼鏡をかけずに歌を歌う日常の方もあるはずだがと思いつつも、いまはこれ以上かける言葉もないと判断し、晶は黙ってハンドルを握る。珍しく、今日は彼女の方が精神的な余裕があるのだった。


 ぐったりとシートに身を預けていた章灯が、突然、びくりと身体を震わせて「うぉっ?」と小さく叫んだ。


「どうしたんですか」


 タイミングよく赤信号で停まり、心配そうに彼の顔を覗き込む。章灯はややばつの悪そうな顔をして、「ごめん、携帯。尻のポケットに入れてたからびっくりして」と笑った。


 一体誰だ、こんなタイミングで……、と忌々しげに携帯を開いてみれば、そこに表示されているのは、『メール1件』の文字である。

 メールならばそう焦って確認する必要はないだろうと思いつつも、ついいつもの癖でうっかりメールボックスを開いてしまう。そしてその最上段に見えた未読メールの宛先が『澤田石雁固』とくればもうアウト。これはきっと仕事――彼と絡んでいるのは例の『もてなし散歩』のみなので、それだろう。


 やれやれと思いながら内容を確認する。


『件名:お疲れ様です

 本文:散歩、評判上々です。さすが僕。じゃなかった山海やまみさん。』


 あまりに気の抜けた文面に思わず笑みがこぼれる。


 ネット配信番組の『割に』、という前置きが、ついこの間、ネット配信番組の『癖に』変わったらしいことは局長から聞いていた。まだまだ『若い人のもの』というイメージが強いネット配信番組にも拘らず、その辺の深夜番組より、いや、何なら惰性で続いているような長寿番組よりも視聴率が取れているのだという。


「まったく恐ろしいやつだ、お前は」


 局長からため息混じりにそう言われ、どう返せばよいのかわからず「はぁ」とだけ答えた。そんな章灯を見て榊はガハハと笑い、「お前絶対フリーになんかなるなよ。絶対敵に回したくないからな」と冗談めかして言った。ただ、その目は笑っていなかったが。


 俳優界の強面三人衆と揶揄される小松沢清吉、芦屋小五郎、鱧谷はもたに源吾を招き、澤田石の思惑通りにアワアワと(とはいえそれも半分は演技だが)もてなし、スポーツの分野からは柔道界の鬼軍曹山田博道と男子バレーの生ける伝説小島太一にしごかれた。


 さて、次は一体誰だ、と目下密かに怯えているところである。収録はこれからだが、最近親方になったばかりの元横綱や元政治家のタレントというのも控えているらしい。


 てっきり次のゲストのお知らせかと思ったんだけど。


「ここらでそろそろ女性ゲスト挟みたいですね」


 2日ほど前、たまたま局の廊下ですれ違った際にそんなことを言われ、そういえばまだ女性を招いていなかったと思った。


「山海さんは誰をもてなしたいですか?」


 と尋ねられたが、自分が指名するのは違うだろうと思い、「雁固さんにお任せします」と返す。やはりただのリップサービスだったのか、澤田石はあっさりと「わかりました~」と言い、章灯に例の一口せんべいを手渡して去っていったのである。


 何にせよ、彼の脚本通りにやった結果がこの反響なのだ。下手に注文をつけるべきではない。


 しかし内容はそれのみで、続きがあるわけでも、追撃メールが来るわけでもない。単なる報告か、と安堵の息を吐き、携帯をダッシュボードの上に置いて目を瞑った。


 とりあえず一山越えたな、と思う。


 例のゴタゴタ以降、さすがに蒼空そらが絡んで来ることはなくなった。現在公演中の舞台が終了次第、演技修行として海外へ行くことが決まっている。

 もちろん、演技修行なんていうのは表向きの理由で、実際のところは謹慎ということらしいが。それだけ清吉の怒りは凄まじかったということである。親といえど、熱心なファンを敵に回してはならないということだ。

 とはいえ、蒼空は留学経験もあって日常会話については問題もない。さすがに経済面での援助は多少なりとも受けられるだろうから、それほど不自由なこともないだろう。ただ、晶から確実に遠ざけられる手段としての海外留学に過ぎない。


 清吉からそれを告げられた時、晶は何もそこまでと眉をしかめた。彼女にしてみれば「もう悪いことはしません」の口約束だけで充分なのである。


 しかし、大人の世界というのはそんな口約束だけですべてが丸く収まるほどきれいなものではない。と言ったのは、その『大人の世界』とやらにどっぷりと漬かっている清吉だった。

 自分の娘を信じないわけではないが、だからといって、何もかも妄信してしまうことほど危険なものはない。それが身内であればあるほど。


 章灯にはそれがわかったので、何も言わなかった。ここまで来ればあとは家族の問題だ。

 

 そんなことを考え、少々まどろむ。


 映画自体は面白かった。今作からテレビの方でも登場するAtoZフォームチェンジの入りもごく自然だった。もちろんこの映画を見ていない視聴者には多少なりとも説明する必要は出て来るのだろうが。とりあえず、章灯の『SINGERフォーム』はこの映画のみの登場だという監督からの言質もとったし、まずは一安心である。


 ――と、思っていたのだが。


「章灯さん、電話鳴ってますよ」


 肩を揺すられ、眠りから覚める。完全に寝入ってしまっていたらしく、「ほぁ?」と気の抜けた声を発した。ダッシュボードの上に置いていた携帯が振動し続けている。章灯は「サンキュ」と短く礼を述べ、それを手に取った。


 誰からだろう、と画面を見てみれば、『澤田石雁固』である。何だ、追撃はメールではなく電話の方だったか、と思い、軽く咳払いしてから通話ボタンを押す。


「すみません、お待たせしまして」

「――あぁ、すみません、お休みでしたかね」


 こんな時間にお休みしているわけがないだろうとは思うが、何せ現に自分は『お休み中』だったのだ。しかし「実はそうです」なんて言えるわけもない。


「いいえ、大丈夫です。それで――」

「あぁそうそう、そうなんですよ。ええと、あれ、例の散歩の件なんですけれども」

「はい」


 まぁ、そうだろうな、と思う。自分と彼との接点はいまのところこれくらいなのだ。


「いやぁ、山海さん、やるじゃないですか!」

「――はい?」


 この人も晶ほどではないが会話の組み立て方というのか、そういうものが独特過ぎる。

 それでもまだ晶ならばある程度の理解はあるので伝わる部分もあるし、何より許せる。しかし、彼とはそこまでの関係を築けているとは思えない。


「実はね、僕も見に行ってたんですよ、ウフフ……」

「は? え? み、見に……?」


 もう『何を?』なんて聞くまでもないことは嫌になるくらい伝わってきた。


「本当にやんなるくらい器用な人ですよね、山海さん。いやもう本当に人柄に助けられてると思いますよ。フツー、こんな完璧超人って全方位に敵作りまくって潰されるのがオチなんですから」

「え? い、いや自分は……」

「でもね、そーっと客席見たらですね、山海さんてば、どういうわけだかずーっと顔隠してましたよね。もしかして、恥ずかしい? ですよね? あの感じ」

「えぇ……、まぁ……正直なところ……」


 正直にそう白状してしまう。そうしてから、もしかしてこれは失言だったかもしれないと背中に嫌な汗が流れたのは、電話の奥で「ぐふ」という笑い声が聞こえたからである。そういえばその問い掛けもやけに弾んだ声ではなかったか。


「それを聞いて安心しました!」


 やはり弾んだ声で澤田石はそう言った。





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