♪16 MISSION COMPLETE

 ミッション1、クリア。


 心の中でそう呟いて私は小さくガッツポーズを決めた。


「送っていただけるのはありがたいんですけど、家を知られてしまうのはちょっと」


 口元を隠しながら伏し目がちにそう言うと、助手席からこちらを見つめている山海やまみ章灯しょうとさんは、そこに思い至らなかったことについて何度も頭を下げた。


「そうですよね、言われてみれば。最寄り駅で下ろしても良いけど、でもそこから家までの道中が心配だなぁ」


 山海さんは顎をさすりながらううんと唸る。見込んだ通りの真面目な人だ。


 さぁ、ここからがミッション2。


「あの、実は私、山海さんにちょっとご相談したいこともありまして。もし、お嫌じゃなければ、どこかでお話を出来れば、と思うんですけど。その、私の迎えが来るまで、でも」


 いまきっと私の瞳は潤んでいるはずである。黒目を強調させるカラコンの瞳はコンビニの光をたっぷりと反射させているはずだ。


 ちらりと運転席のAKIさんを見る。何を考えているのかわからない、表情に乏しい顔だ。確かに整ってはいる。同性だったら勝ち目なんてなかったかもと背中がぞくりと冷えるような美男である。でもこんな意志疎通出来るのかも怪しい宇宙人のような美形よりは、優しくて気も利く山海さんの方がずっと魅力的だ。顔だけのイケメンなんて3日で飽きるんだから。


 ルームミラー越しにAKIさんと目が合った。

 それでもこれだけのイケメンに見つめられれば、やはりどきりとする。


「章灯さん、家に帰ります」


 AKIさんはそうぽつりと言った。エアコンの音に掻き消されてしまいそうなほどに小さな声である。でもね、ちゃんと聞こえてます。私だってプロなんですから。


「――お。そうだな」

 

 そうそう、そうよ。お邪魔虫は気を利かせて帰りなさい。私は山海さんとちょっとお食事でもしながら……。


蒼空そらさん、苦手なものありますか? アレルギーとか」

「なっ、ないです! ――あっ、えっと、その、梅干し以外なら大丈夫です!」


 山海さんに聞かれ、私は慌てて返答した。計画は、怖いくらいに順調である。


「へぇ。梅干し。奇遇ですね、僕も苦手で」

「そうなんですね、すごい偶然!」


 ――嘘だ。知ってた。

 梅干しが駄目となれば、恐らくは洋食を選択することになるだろう。この辺りに美味しいイタリアンが合ったはずだ。


 そんなことを考えながら窓の外を見る。少々予定とは違う部分もあるが、まぁ、仕方がない。

 AKIさんはそれから一言もしゃべらずにハンドルを握っている。急発進も急ブレーキもなく非常に穏やかな運転である。見たままの男だと思った。意外性も何もない。草食動物のようだ。つまらない。


 ――あれ?


 確かあのイタリアンはここを曲がるはずだけど。

 そんな私の思いを余所に、車は住宅街へと入っていく。成る程、さっき家に帰ると言っていたからだ。山海さんの車に乗り換えて行くのだろう。どこかで下ろしてくれれば良いのにと思っていたが、まぁそれも悪くない。どんな車に乗っているのだろう。どんな運転をするのだろう。やっぱり私は助手席じゃないとね。


「蒼空さん、着きました。どうぞ」


 山海さんのその言葉で顔を上げる。到着したのは平屋の一戸建てである。成る程、ここで同棲してるってわけね。そう思って睨み付けてやる。はい、わかりました。もうわかりました。じゃ、行きましょうか。


「――え?」


 AKIさんが家に入ったのは良い。そういう話だった。でも、どうして山海さんまで? 1人で取り残されかけ、私は慌ててその後を追う。私が遅れていることに気付いた山海さんはくるりと振り返り「どうぞ、遠慮なさらず」と言った。


 ――え? いや、えぇ?



***


 これは一体何なのかしら、と首を傾げる彼女の目の前にはほわほわと湯気の上がるパスタとスープ、それからサラダが置かれている。


「あり合わせのものですみません」


 そんな言葉と共に用意されたそれらに蒼空はなかなか手を出せずにいた。


「すぐ作りますから」


 と言った晶は、その言葉通りに普段の姿からは想像もつかない手際の良さであっという間に3人分の食事を用意した。


 ま、まぁ知ってたけどね。AKIさんが料理上手だって。山海さんが良く雑誌のインタビューで言ってるし。


 などと心を落ち着かせながらフォークを手に取ると、章灯は蒼空のその様子を見て晶と視線を合わせ、微笑んだ。


 おずおずとパスタをフォークに絡め、口へと運ぶ。そこでぴたりと動きが止まるところまでは想定内である。


「美味しいでしょう?」


 大きな瞳をぱちぱちさせている蒼空に向かって章灯が問い掛けると、彼女は口元を押さえてパスタを咀嚼しながら何度も頷いた。


「――だって、アキ。良かったな」


 そして今度は晶に振る。黙々と自分の分を食べていた晶は「どうも」とだけ呟いて頭を下げた。

 

 悔しいし、何かやっぱりムカつくわ、この男。

 涼しい顔して何でも出来ちゃって、何よ!


「何か」


 射抜くような視線に辟易し、問い掛ける。責めるでもない、何気ないトーンだったが、蒼空はびくりと肩を奮わせ「べっ、別に」と声を上ずらせた。


 そう返されれば晶としてはそれ以上突っ込む理由もない。というか、彼女の方でさしたる用がないのなら、晶の方には話を膨らませるような義理もないのである。


 結局それからはどんなに見つめられても晶がそれに反応することはなくなった。黙々と食べ、食器を片付けると「ではごゆっくり」と言って、さっさと地下室へ引っ込んでしまったのである。


「あの、いつもああなんですか?」

「え?」

「AKIさんです。何て言うか、家でもほとんどしゃべらないというか……」

「あ――……、はい。アキは割といつもあんな感じですよ」

「山海さんといる時もですか? 私がいるから、とかじゃなくて」

「うーん。自分といる時もそうですね。あぁでも、やっぱり蒼空さんがいるからいつもよりはちょっと口数が少ないかもです。人見知りするやつなんで」

「人見知り……。でも、息が詰まりませんか? そんな寡黙な人との共同生活って」


 てっきり彼が寡黙なのはテレビ向けのキャラクターなのかと思っていたけど、そうじゃないのね、と蒼空は思った。


 まぁテレビで見る時よりは全然しゃべってたけど、とも。


「息が詰まる、かぁ。いえ、正直、全然。そういえばそんな風に思ったことないですね、いままで」

「そうなんですか?」

「はい。いつもああやってさっさと部屋にこもっちゃうんで。あんまり他人に干渉しないっていうか……、自分は自分、みたいな。大学生の頃、めちゃくちゃ仲の良い友人と期間限定で同棲してたこともあるんですけど、そん時の方が何か面倒でしたね。外でも仲良し、家でも仲良しっていうのは、逆にきついんですよ」

「そういうものなんですか?」

「まぁ、僕の場合は、ですけど。プライベートの境目がなくなっちゃうっていうか。その点、アキは一緒に住んでてもその辺が明確なんですよ。必要以上に踏み込んで来ませんし、僕が踏み込むと怒ります」

「な、成る程……」

 

 何か思っていたのと違う。


 蒼空はそう思った。


 もっと章灯にべったりと依存していると思っていたのである。もちろんテレビとは真逆のキャラになってしまうが。


 いや、だからといって!


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