♪15 かまくらカヌレ
結局
「すみませんでした」
「いや、そんなに頭下げなくても良いって」
額が膝につきそうな程に腰を曲げているその様につい苦笑する。謝罪の気持ちは充分すぎるほど伝わってきている。
「コガさんとオッさんには連絡したのか?」
「はい、さっき」
「怒られたか?」
「オッさんには、少し。コガさんは……何のことだって言われました」
「まぁあの人は家出か旅行だろって言ってたからなぁ」
せっかくだから、とコーヒーを淹れ、ソファに座って菓子の包装紙を剥がす。『かまくらカヌレ』という名のその焼き菓子は、地名の方の鎌倉ではなく、雪洞をイメージして作られており、かまくらの入り口部分を除いて、全体にフロストシュガーがたっぷりと振りかけられている。
「おぉ! 正にかまくら!」
カヌレを手に取り、それを様々な角度から眺めつつ章灯は感嘆の声を上げた。
「作ったことありますか?」
そう尋ねる晶の唇は既に真っ白くなっている。
「アキ、口の回りすごいことになってんぞ。ていうか、ここまできれいには作れないけどな。作りが甘いと崩落するんだ」
「崩落……。かなり危険な遊びですね」
「まぁな」
懐かしいなぁと呟きながらカヌレにかぶり付く。大きさ的に一口では食べられないため、章灯の唇も砂糖まみれである。
「章灯さんの口もすごいことになってますよ」
そう言って首を傾げながら箱ティッシュを渡してくる。仕草や表情はすっかり女性のそれだが、恰好は完全に男性である。晶は帰宅してからまだ着替えていないのだった。
黒のテーラードジャケットに襟ぐりが広めのカットソー、下は肌が露出しない程度にダメージのあるジーンズである。カットソーも黒だが、重ね着風のデザインになっており、切りっぱなしのように加工された襟元と袖、裾から濃いめのピンクが顔を出している。
ほんのアクセント程度でもピンクとは珍しい、と章灯は思った。特に男の恰好をしている時の晶は徹底的に『女性らしいもの』を避ける傾向にあるからだ。濃い薄いに関わらずピンクはご法度なのである。
とはいえ、ピンクは何も女性だけの色とは限らない。メインにしても差し色にしても、それがよく似合う男性もいるし、正直、このコーディネートも悪くないと思う。
華奢な鎖骨の上には武骨なデザインのネックレスが光っている。太めのチェーンの先には自身のイニシャル『A』をどこから見てもそうとは読めないほどに加工したトップがぶら下がっている。
ちなみにこのイニシャルモチーフは発売と同時に即『A』が完売したという『turn off the love』2012年のヒット商品である。次点は『K』で、SHOWの『S』じゃないのかと章灯が肩を落とすと共に、それが湖上の『K』なのか、健次郎の『K』なのかでかなり白熱したバトルが展開されたのは良い思い出だ。
それがどうやら『AKI』の『K』らしいというのは、後にファンのSpreadDERで知ることとなる。
章灯はこの度の失踪――もとい家出あるいは小旅行の理由を聞くべきかと思った。自分からは突っ込んで聞かないとは言ったものの、何も聞かれないというのも逆に辛いかもしれないと思ったのである。衝動的に家を飛び出してしまうほどの気がかりがあるのであれば、いっそ吐き出した方が楽になるかもしれないし、その原因がもし自分にあるのだとすれば謝罪なり誤解を解くなりということも必要になるだろう。
「なぁ、アキ――」
そう思って口を開いた時、テーブルの上に置いてあった章灯の携帯電話が振動した。サブディスプレイに光が灯る。それはどうやら着信のようで、その小さな画面に相手の名前が表示されている。
その相手とは――……
「……出ないんですか?」
2人の視線はテーブルの上で震えっぱなしの携帯に注がれている。章灯の背中には嫌な汗が流れ始めている。しかしもちろん晶の方ではそんなことに気付く素振りもない。
「いや……うん、まぁ、出る、けど」
この状況なら出ない方がかえってやましいことがあるように見えるかもしれない。そう思って携帯を手に取る。タイミングよく切れてくれたりしないかな、なんて応答するその瞬間まで祈ってみるものの、結局そんな幸運も訪れる気配はなかった。
「――すみません、お待たせしました。
「すっ、すみません! 急にっ!」
スピーカーから聞こえてきた
「どうしたんですか?」
並々ならぬ雰囲気に章灯の腰が浮いた。聞き耳を立てていたわけではないものの、晶にもその声は届き、彼女もまた何事かと顔をしかめて彼を見つめている。
「あっ、あのっ! いま、私、三軒茶屋のっ、『NISHINO』ってカレー屋さん過ぎた辺り、なんですけどっ」
「『NISHINO』? あ――……、ああ!」
そのキーワードで晶がこくりと頷く。それならここのすぐ近くだ。
「何かっ! 誰か! ついて来てる気が! してっ!」
「はぁっ?! ちょっ……!」
思わず叫んで立ち上がる。晶もそれにつられて腰を上げた。テーブルの上に置きっぱなしになっていた車のキーをつかむ。
「『NISHINO』の近くなら確か側にコンビニか古本屋が」
「そ、そうだ! 蒼空さん、近くに
「えっ? あっ、はい! いま、コンビニ見えて! そこに!」
「わかった! とりあえずいまそっち行きますから!」
蒼空の返答を待たずに電話を切り、それをポケットにねじ込む。晶は既に準備万端――といっても彼女は財布と車のキーを持つだけですぐに出られる状態だったのだが、問題は章灯の方である。急いで着替えを済ませ、玄関を出ると車にエンジンをかけた晶が待機していた。
「行きましょう」
章灯が助手席に乗り込み、ベルトを締めたのを確認すると、車は動き出した。
蒼空がいるはずの24マートまでは5分もかからない。さして飛ばしたわけでもないのに、車はあっという間に黄色とオレンジを基調としたその店へと到着した。車もまばらなその駐車場に車を滑り込ませる。蒼空は雑誌コーナーの奥の方にいた。入り口の近くよりは奥の方が安心なのだろうが、その辺りは成人向け雑誌コーナーのはずである。
「ここで待ってます」
とりあえず蒼空の無事が確認出来たところでエンジンを止め、晶は前髪を掻き上げた。
「おう、とりあえず行って来るな」
章灯が車から降りたのが見えたのか、蒼空はホッとしたような顔をして入り口に向かって走ってきた。
「山海さん!」
「あぁ、どうも。えっと……大丈夫ですか?」
「はい。とりあえずここに入ったら諦めてくれたみたいで」
「良かった。家はこの近くですか? アキに車出してもらったから、送りますよ」
そう言って駐車場に停まっている赤いレンジローバーを指差す。晶はハンドルを握った手の上に額を乗せて俯いていた。黒髪のせいで暗い車内と溶け込んでしまっている。蒼空はまさか晶が乗っていると思っていなかったようで、目を細めて車内を凝視した。
「あぁ……。……チッ」
「ん? 何か?」
「いいえ、何にも! あの、山海さん、出来れば、なんですけど」
とりあえずと人目を避けるように車に乗り込むと、蒼空は運転席の晶に向かって「こんばんは」と頭を下げた。晶の方は「どうも」といつもの態度である。晶にしてみれば蒼空が一体誰の娘だろうと態度を変える義理などないのである。
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