♪14 素敵な女性

「せっかくだから、私のお買い物付き合ってもーらおっと」


 あきらの意思を一切無視した形で同伴ショッピングが確定する。いつもならかなり抵抗をする彼女だったが、先ほどの恩を返すつもりなのか黙って従った。


「あのねぇ、私はマザーズバッグを探しに来たの」

「……何だそれ」

「赤ちゃんのお世話道具を入れるための大きいバッグのことだよ」

「あぁ……成る程」


 晶の双子の姉であるかおるはすでに千尋の姓の小林に変わっており、現在第一子を妊娠中である。


「ここのトートがね、丈夫だし使いやすいんだって口コミで人気なんだぁ」

「へぇ」


 千尋が手にしているのはやはり例のバッグである。


「おむつでしょ、お着替えでしょ、ミルクのセットにおもちゃ、それから母子手帳とタオルと――」

「そんなに入れるのか」

「そうだよー。お母さんって大変なんだから。ほら」


 千尋は『先輩ママ』達の荷物の中身を掲載しているネット記事を晶に見せながら説明する。

 皆、チャック付きのビニール袋やら巾着袋やらを駆使しながらコンパクト&軽量化を図っているものの、その涙ぐましい努力が正しく伝わるのは恐らく同じ立場の人間くらいであろう。それがどんなに小さくまとまっていて数百グラムの軽量に成功したと言われても、晶にしてみればどうしてたかだか数十分のお出掛けに着替えが必要になるのか、おむつは2枚も3枚も使うのか、そんなにたくさんのタオルはどこで使うのかがわからない。使う『かもしれない』程度のものであればいっそ置いていけば、もっと大幅な軽量化が望めるはずである。


「確かに大変そうだ」


 記事の中の母親達は都内在住とのことで移動は専ら電車や徒歩らしく、抱っこ紐を使うこともあるが基本的にはベビーカーを使用するらしいのだが、電車内では折り畳む必要がある上、階段等ではそれも持って昇降しなければならない。その場合ももちろん鞄も持たなくてはならないし、子どもだって抱っこ紐を使っているとはいってもかなりの重さがある。


 あの華奢な郁にそんなことが出来るだろうかと晶は思った。


「だったらいっそリュックとかの方が良いんじゃないのか。トートより」


 そのような局面を考え、その方がいくらかマシだろうとそう提案してみる。千尋は晶が意見を出したことに驚いたような顔をした。いつも他人――とはいっても郁は実の姉だが――に対してまるで興味がないような態度をとっている彼女にしてはかなり珍しいことである。


「うん、私もね、そう思ってたんだけどぉ。リュックだとね、いざ! っていう時に物を出しにくいらしいんだよね。でもやっぱり、長距離の移動ならリュックなんだよ。ただ、近くの公園に行くとか、友達の家に遊びに行くとか、そういうのならトートの方が良いみたい」

「成る程。まぁ、使うのは郁だからな」

「まぁねぇ。私がいる時なら荷物でも赤ちゃんでもどんと来いなんだけどぉ~。ぐふふぅ」


 もう少しで父親になるというのに、千尋はくねくねと身をよじらせて締まりのない顔をしている。


 こいつはいつになったら女装を止めるんだ。


「名前はもう決まったのか」


 予定では女の子らしい。

 とはいえ、産まれるまではまだわからない。決定的な証拠となる『ブツ』が見えない、というだけでは性別判断の決め手としてはやや弱いらしい。逆にそれが見えてさえしまえば男児であることはほぼ100%確定らしいのだが。


 どうやら女の子らしい、という情報が千尋経由で回ってくると、一番に喜んだのはその祖父にあたる湖上だった。


「女の子の世話は任せろ!」と得意気に胸を張ったわけだが、呆れ顔の長田おさだから「お前が郁と晶あいつらの世話したのなんか5歳とかからだろ」と指摘され、そこで初めて「そういえばミルクもおむつもやった記憶ねぇ」と気付いた形である。


「ミルクは俺に任せろ。げっぷ吐かせるのも得意だ」と今度は長田が言ったが、それでも「おむつと風呂はなぁ……。ウチは男だからよぉ。結構荒い感じなんだよなぁ」と頭を掻いた。

 結局、その辺は両親がまず頑張れ、という結論に達した。


「うん、第一候補はね、はるか。しんにょうのー、『リョウ』って読む字ね」

「また中性的な字を選んだな」

「え~? そうかなぁ」


 晶という名前が嫌だと思ったことはない。

 中性的なその響きも漢字にも何の不満もない。

 けれど、もし自分が一目で女性とわかるような名前だったりしたら、いまとは違う人生だったかもしれないと思ったことはある。人は、その名前を与えられた時にすべてが決まるわけじゃない。毎日毎日周りの人間からその名を呼ばれることで『その名にふさわしい人間』になっていくのだと思う。だから――。


 でも、それなら郁はどう説明するのだ。同じ環境で、同じような中性的な名前で、それでも彼女はしっかりと『女』に成長した。どうして自分はこうなってしまったんだ。


「だって、身近に素敵な女性がいたらさ、あやかりたいって思うのが親じゃん?」

「はいはい」

「あー、晶君ってば話半分なんだから! あのね、その素敵な女性って、郁ちゃんだけじゃないからね、言っとくけど」

「はぁ?」


 千尋はそこで肩を竦め、うんと絞った声で言った。


「……晶君も含まれてるから」

「はぁ?」

「晶君は絶対反論するだろうけどね、譲らないからそこは。俺も郁ちゃんも」

「何で郁まで」


 千尋は一人称が戻っていることに気付いていないようで、きりりと真剣な顔で続ける。


「郁ちゃんって、昔っから晶君のこと大好きだし、すごい尊敬してるんだよ。絶対晶君には言わないだろうけど」

「……だったらお前がバラすな」


 嬉しいという気持ちがないわけじゃない。実の姉に認められて嬉しくないわけがない。ただひたすら恥ずかしかった。だから顔が熱くなって来たのを隠すようにすたすたと歩き、「好きなの選べ。出産祝いだ」と言った。

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