7/10 章灯の誕生日 5

矢島やしまさん、いつもそれ食べてるね」

「――え? あ、あぁ、はい。あの、実家から送られて来るんです」

「へぇー、そうなんだ。ウチもさ、しょっちゅう色々送ってくれるよ。東京こっちって何でもあるようで、案外故郷の『これ!』ってものはなかったりするからね」

「そ、そうですね……。あ、あの、先輩の御実家って……?」

「ウチ? ウチはね、秋田。恥ずかしながら、いまだに米も送ってもらってるんだ。戸塚さんもいるからあんまり大きな声じゃ言えないけど、やっぱり米はあきたこまちが一番なんだよなぁ、俺」

「戸塚さん……?」

「ほら、向こうの島の。戸塚さん、新潟の人だから。あんまり秋田の米を褒めると怒るんだよ」

「そうなんですね……」

「矢島さんって実家はどこなの?」

「あの……和歌山です」

「和歌山!? 和歌山なのかぁ! そっかそっか。梅、有名だもんね」

「あっ、あのっ! 差し上げます! おひとつ!」

「……え? い、いや、良いよ。最後の一個みたいだし」

「良いんです、良いんです! ウチにまだたくさんありますから! どうぞ!」

「そ……それじゃ、遠慮なく……」



「……てね」


 記憶を手繰り寄せながらゆっくりと話す。会話が終盤に差し掛かるにつれ、章灯しょうとの顔から血の気が引いていった。


「受け取っちゃってるじゃん、章灯さん!」


 晶が淹れた麦茶を飲み干した後で、千尋が呆れたような声を出す。


「それは結局どうしたんですか? 山海やまみさんが食べるわけないですよね」


 かおるもまた似たような顔で頬杖をついている。


「それってもしかして、いつだったか後輩さんからもらったって、私にくれたやつですか」

「……そう、それ」


 章灯は力なく笑い、あきらを指差す。


「え――――っ!! 他の女の子からもらったもんを本命に渡したの~!? 章灯さん、デリカシーなくなーいっ?!」

「千尋はお口にチャック」

「だっ、だって郁ちゃん……!」


 俺だったら……、と尚も食い下がる千尋に、郁は眉一つ動かさずに「チャック」と言った。まるで飼い主に叱られた犬の如く、千尋は背中を丸めて「はぁい」と返す。


 そんな2人のやり取りを見て晶は「食べちゃいけないやつでしたか」と章灯に尋ねる。ほら見たことか、と郁は千尋を睨みつけ、彼は決まり悪そうに「えへへ」と笑った。


「いや、ダメとか、そういうわけじゃ……無いと思う……けど……。単に俺が考えなしだったってだけ」


 章灯がそう返したタイミングで、郁を除く3名はほぼ同時に大きなため息をついた。

 そんな3名をぐるりと見渡した後で、郁がぽつりと言う。


「つまり、彼女――矢島さんは、山海さんが受け取ったことで梅が好きだと思ってしまったわけね」

「……恐らく」

「あとさぁ、和歌山に反応しまくったのも良くなかったと思うなぁ、俺」



 お口にチャックの言いつけを破り、つい口を開いてしまった千尋は、やべぇ! といった顔でちらりと郁を見た。しかし彼女はさらりとそれを交わして涼しい顔をしている。


「いやぁ、アキを連想しちゃって、つい。今度2人でゆっくり行きたいなぁとか思ってたし」

「つい、じゃないよ。あの手のタイプはさ、そういうのでも充分運命感じちゃうもんなんだって」


 この鈍感色男、と調子に乗る千尋を晶はぎろりと睨みつける。

 章灯さんは鈍感色男なんかじゃない、と訂正しようとして、それでは『色男』の部分まで打ち消してしまうということに気付き、止めた。色男であることは間違いないのだ。


「とりあえずさ、局長さん辺りに報告しといた方が良いと思うなぁ、俺。あと、なるべく口が軽めの同期さんとか後輩君辺りに愚痴るのがお勧め! こういうのは先手必勝、だからさぁ」

 

 それくらい、俺だって考えてたさ。


 そうだね、と素直に返しながらも心の中ではそう呟く。

 少なくとも、局長には相談しておいた方が良いかもしれない。けれど、口の軽い同期や後輩――と考えると木崎辺りが適任だろうとは思う――の部分はまだためらいがある。


 社歴の長い自分と、入社間もなくまだまだ周囲と溶け込めていないように感じる睦美とでは、何をどうしたって彼女に分が悪い。もし仮に、自分の方に非があったとしても、だ。あの時話しかけたのだって、いつも一人でいる彼女を慮ってのことだったのだ。


 何とも形容しがたい微妙な空気に包まれたところで、郁は千尋の襟元を掴んで立ち上がった。


「そろそろお暇しましょう、千尋」

「――ぅえっ? ちょっ、ちょっと郁ちゃんっ?」

「山海さんは明日も早いんだから。ごめんなさいね、ついつい長居してしまって。それと、これ。すっかり渡すの忘れちゃってて」


 そう言いながら、持参していた小さな紙袋を章灯に渡す。


「誕生日、おめでとうございます」

「あ、ありがとうございます……。あ、蜂蜜だ」

「喉を使うお仕事ですから」


 紙袋の中の金色の瓶を覗き込む晶に視線を送ってから章灯を見つめ、にこりと笑う。


「晶が惚れ込んだ美声、大事になさってくださいね」


 そう付け加えると、晶は背中を丸めた不自然な恰好のまま固まってしまった。


「ハハ……どうも……はい……」

 

 2人が帰った後で、章灯と晶は並んでソファに深く座り、ほぼ同じタイミングでため息をついた。


「何かどっと疲れた……」

「ですね」


 毎年、誕生日は大量の納豆攻撃にうんざりするところから始まるのだ。

 そして、帰宅すればあの2人――湖上こがみ長田おさだが、これまた奇抜なプレゼントを抱えて(各自の飲料も持ち込みで)やって来る。救いなのは、晶がそばにいてくれることだけである。


「アキがいてくれて良かった……」


 ついほろりと零れた言葉に、晶はびくりと肩を震わせた。


「なっ、何ですか、いきなり……!」


 彼女のそんな反応で、自分の発言に気付く。心の声だとばかり思っていたのに、どうやら声帯を通過してしまったらしい。


「いや、そろそろ俺も誕生日なんてものがあんまり有難く感じられないようになってきてさ。毎年毎年納豆攻めだし。アキがこうやって隣にいてくれることだけが救いだなぁって思ってさ」

「そんな……。私は別に何も……」

「してるんだって、俺には。ありがとうな、毎年毎年嫌な顔もしないで料理作ってくれて。大変だろ、あれだけあるとさ」

「まぁ、確かに大変ではありますが……。でも、あんなにいろんな種類の納豆にお目にかかれることなんて、そうそう無いですよ。貴重な体験をさせてもらってます」

「意外とポジティブだな、アキ」

「それに、章灯さんがいろんな人からものすごく好かれてるってことがわかって、何だか嬉しいです」

「……? そうかな?」

「そうですよ。皆さん、わざわざ章灯さんのために珍しいの探したりとか、スーパーとかで買えるものでも何かしら工夫したりとかしてるじゃないですか」

「いや、これはもうネタというか……」

「ネタだとしても、です。嫌いな人やどうでも良いような人に、普通は時間もお金も割きませんよ」

「そう……かな……」

「そうです」


 晶はきっぱりとそう言い放ち、すっくと立ち上がった。どうしたのかとこちらを見上げる章灯に向かって手を差し伸べる。


「どうした?」

「今年は、プレゼントがもう1つあるんです。少しだけ章灯さんの時間を下さい」


 下さいなんてかしこまらなくたって、いつでもくれてやらぁ、とは、何となく言い出せない雰囲気だった。


「おう」とだけ返してその手を取り、それでも彼女の負担にならないように立ち上がる。

 そしてそのまま、彼女に手を引かれ、地下室へと続く階段を下りた。

 

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