7/10 章灯の誕生日 4
「……あの娘、一体何しに来たのかしら……」
滞在5分で奇声を発し真っ赤な顔で嵐のように去って行った
「ねぇ
さすがの千尋もドン引きだったようで、つけ睫毛に縁どられた大きな瞳は零れ落ちんばかりに見開かれている。呆気に取られたためか女装中にも拘らず一人称まで『俺』に戻ってしまっていた。
「いや、俺にも全然……」
章灯もまた同様である。
「後輩なんでしょ? てことは女子アナさんなんじゃないの?」
「いや、彼女はそういう枠で採ったわけじゃないみたいで。部長の知り合いの姪御さんらしくて、とりあえず事務、っていうか……」
「成る程、縁故採用ってことね。なーんか納得。ガチであの娘採用したんだったら、俺、もう日のテレ見ないかもだったよ」
「う、うん……」
まぁ別に君は見てくれなくても良いけどさ、とはさすがに言えなかったが。
千尋に手を引かれて居間に通された睦美は、郁と千尋を頭のてっぺんから爪先までなめるように見つめた後、2人の顔を何度も見比べ、最後に章灯をギッと睨み付けると、甲高い声でキーキーと喚き、だんだんと足を踏み鳴らして出て行ったのである。
ちなみに何と言っていたのかというと、
「何で? 何でよ! 何で私以外の女がいるのよ! この裏切り者! 浮気者! 私の気持ちを踏みにじりやがって! 地獄に落ちろ! ヤリ●ン(自主規制)!」
である。これを通常より2オクターブ上げ、5倍速で、且つ、MAXヴォリューム、ノンブレスで読み上げたと思っていただきたい。
普段の彼女とのギャップにしばらく呆気に取られていた章灯だったが、ふと彼女からのプレゼントを思い出し、もしかして、と呟いた。
「どうしたんですか、
ほとんど独り言に近いその発言を拾ったのは郁である。
「いや今日、局で矢島さん――さっきの彼女から誕生日プレゼントもらったんですけど」
「先にもらってたんだ。俺てっきりプレゼント渡しに来たんだと思ってた」
「まさか。2回も渡すわけないだろ。で、問題はその中身なんですよ。納豆じゃないです、なんて言ってたんで、俺、すっげぇ嬉しかったんですけど――」
そう言いながらソファの脇に置いてあった紙袋を2人の前に置き、その中からメッセージカード付きの小洒落た紙袋を取り出した。封をしていたハートのシールは丁寧に剥がされ、中が見えるようになっている。
爆発物でも取り出すかの如く、袋から慎重に引っ張り出すと、郁と千尋は揃って首を傾げた。
「カリカリ……梅?」
「……よね?」
なぜ誕生日プレゼントでこのチョイスなのだろう、とも思ったが、そもそも、これ以外といえば毎年納豆かそれ関連のものなのである。そう考えればカリカリ梅もカテゴリー的、値段的に見れば妥当なプレゼントと言えるだろう。それよりも、なぜ章灯がそんなにも嫌そうな顔をしているのかが解せない。
「俺が唯一食べられないもの、それが梅干し関係なんです……」
「あぁ――……らら……」
「それは大変でしたね」
「局内では結構知られてるんで、もしかして、わざとだったりして。嫌がらせなのかなぁ」
「えぇ~?」
「俺なんか嫌われるようなことしたんだろうか」
「違うと思うけどなぁ、俺ぇ。何か高そうだしさぁ」
確かにスーパーやコンビニでは見かけないような高価そうなパッケージである。それでもなぜかそう高そうに見えないのはこれがカリカリ梅だからだろう。
色々な意味でぐったりとしている章灯、今後のことを想像して可哀想にと憐れみの視線を向ける郁、それから、「美味しそ~う! 食べて良い?」とのん気な千尋。
――と、
「あの、いまの奇声は……?」
晶が恐る恐るキッチンから顔を出した。
「いたのか? アキ!」
「はい、一応……」
聞けば、どうやら仕事が終了したので章灯を呼びに行こうと階段を上り、ドアを開けようとした正にその時、第一の客――郁と千尋の来訪により、出るに出られなくなったのだという。なかなか玄関から動かないようだったので、案外このまま長居などせずに帰るのかもしれないととりあえずキッチンに移動したところで第二の客が現れた、というわけだった。
「――で、いよいよもって出られなくなり、うずくまって隠れていた、と」
「はい……。あの、女の恰好……でしたし……すみません……」
別に責めているわけでもないのに、晶は背中をほんの少し丸めてしょげている。それを見て千尋は笑いをこらえるのに必死だ。
大方、「晶ちゃん、章灯さんの前だと可愛い!」とか思っているに違いない。
ちなみに、女の恰好とはいっても特別にめかし込んでいるというわけではなく、白のブラウスにネイビーのスキニーパンツ姿である。ただ、デザインはレディースだし、当然下着も女物だった。
「いや、アキは謝らなくて良い。むしろ、良い判断だ。俺も正直何が何だかさっぱりだったけど、何か危険な感じだけはしたし」
丸まった背中をさすりながらそう言うと、郁もうんうんと深く頷いている。
「なら良いんですけど……。でも、あの……」
「……? 何だ?」
「裏切者とか、浮気者、というのは、一体どういう……」
眉間に深いしわを刻み顎に手を当ててそう尋ねると、章灯、郁はもちろん、高級カリカリ梅の袋を開けようとしていた千尋までもが「え?」とほぼ同時に声を上げて晶を見た。
「な……何だよ……」
特に顔を近付けてきた千尋をうざったそうに払い、章灯に視線でSOSを送る。それを受け取った章灯は千尋の首根っこを掴んで強制的に晶から離した。郁の方でも特にそれを咎めたりはしない。
「聞きとれたのか、アキ?」
「一応……だいたいは……」
「相変わらず耳良いなぁ、お前。で? 矢島さんは一体何て言ってたんだ?」
「えっと、確か……、何で私以外の女がいるのか、とか、その、裏切者、浮気者、それから……地獄に……落ちろっていうのと、あと……ヤリチ」
「ストーップ、晶ちゃん!」
章灯の拘束を振りほどき、千尋は両手で晶の口を塞いだ。
「ごめん晶ちゃん。俺、そこだけは聞こえてたから。あのね、それ、晶ちゃんが口にして良いような言葉じゃないからね」
咄嗟の行動に虚を衝かれたものの、章灯の前で好ましくない言葉を発しかけたのを止めてくれたらしいことがわかると、晶は、一発殴ってやろうかと握りしめていた拳を下げた。
「あらあら、結構な罵声を浴びせられてたみたいね。山海さん、何か心当たり無いんですか?」
「心当たりと……言われても……。矢島さんとのやり取りって、向こうから資料コピらせてとか、ペン貸してとか、仕事手伝って下さいって言ってくるくらいで、俺から話しかけたりとかは……正直あんまり……」
ここ数ヶ月の彼女とのやり取りを思い返してみるも、特段、親しげな会話をしたような覚えは無い。
「でも、裏切者とか浮気者って言葉が出るってことは、だよ? 章灯さんってば、無意識的に彼女をその気にさせてたってことだよねぇ~? これだから鈍感色男はさぁ~」
ニヤニヤと笑いながら千尋は章灯の脇腹を突く。郁は呆れ顔で「止しなさいよ」とだけ言った。
「――どっ、鈍感っ? 俺がぁっ?」
「あっれー? 自覚無し? まぁ、そんなところも『鈍感』たる所以だよねぇ」
千尋はそう言ってケラケラと笑い、いつの間にか開封していたカリカリ梅を1つ口に入れた。
「美味しい! 章灯さんも食べない?」
「いや、それは一応俺がもらったやつ……。ていうか、いらない。食べられないんだって、俺」
「騙されたと思って食べてみなよぉ~。全然酸っぱくないから、大丈夫だって」
「違うんだよ。俺、別に酸っぱいから食べられないわけじゃ……」
ぐいぐいと押し付けられるカリカリ梅を千尋の方へと押し戻し、視線を逸らす。まるで虫を怖がるか弱き乙女である。晶は無言でそれをひょいと奪い取り、ピリリ、と個包装のビニールを開けて自身の口の中へと放り込んだ。
「章灯さんが嫌がってるだろ。止めろ、千尋」
ポリポリと小気味良い音を立てて咀嚼した後でピシャリと言う。ティッシュペーパーで口元を隠しながら種を出した。
「何だよう。どうしてカリ梅食べるだけでこんなに恰好良いの? 『晶君』は!」
さっきまで『晶ちゃん』だったくせにぃ、と千尋が情けない声を出すと、郁がクスクスと笑った。
「酸っぱくなければ食べられるなら、とっくの昔に克服させてる」
悔しそうにそう言って、晶はカリカリ梅の袋の中に手を突っ込んだ。どうやら美味しかったらしい。
「そうなんだよなぁ。味もまぁそうなんだけど、これはほら、もう、生理的に無理ってやつだから。それよりも――」
そう、それよりも、なのである。問題は。
あの厄介な爆弾娘と、今後、どう付き合っていくべきか、という。
それに何かしら手を回しておかないと、局内での章灯の立場が危うくなる――ということは彼の普段の行いや築き上げてきた信頼関係から考えても無いのだろうが、それでも気まずいものは気まずい。
困った、と頭を抱えていた章灯は「あ」と小さく呟いた。ふと思い出したのである。
もちろんそんな呟きを晶が逃す訳もない。
「どうしたんですか、章灯さん」
「いや、そういえば、こんなやり取りしたなぁって、矢島さんと」
「矢島さん……さっきの方とですか?」
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