♪12 ピエロの笑み

「え――……っと、牧田君、こちらの方って……?」


 わずかなドアの隙間からぬるりと――まさしくぬるりと、としか形容の出来ない動きで入室して来たひょろりとした男に視線を固定しつつ、章灯しょうとは牧田に尋ねた。


 聞かなくても、何となく想像はついていたのだが――。


「ウチの相方っす」

「初めまして、山海やまみさん。『踊る道化師』の踊れる方こと伝田でんだでんのすけでございますぅ」


 そう言って、伝田はステージ上のバレエダンサーのようなしなやかな動きで、優雅に一礼をしてみせる。


 恐らく身長は190近くあるだろう。188ある長田おさだとそう変わらないだろうと思えた。しかし、体重はその半分なのではないかと思うほどに痩せている。牧田の方も痩せ型ではあるものの、隣に並べばまだ標準体型に見えてしまうほどである。


 整髪料で固めているのだろうか、長めの前髪を斜めに流して額にぺたりと貼りつけ、もみ上げの位置でくるんとカールさせている。線も細く、全体的に大人しい印象を受ける彼だが、目だけはギョロギョロとしていて、魚のようだと思った。もう少し背筋をしゃんと伸ばせば様になるくらいにスタイルは良いのに、何だか自信なさげに身体を丸め、絶えずふらふらくねくねとしている。


 魚というよりは、タコとかそういう生き物かもしれない……。


「すんません、山海さん。やっぱり俺一人じゃ厳しくて。んで、相方にこれ全部書き起こしてもらったんす」

「相方から、他言無用とお聞きしておりますんで。御心配なく」

「こいつ、身体はこんな柔らかいっすけど、口が固いのは俺が保証します! そもそも、俺くらいしかしゃべるやついないんすよ、伝田は」

「やめろよぉ……」


 声もまた語尾が特に弱く、コントか何かのいかにもな病人のようである。


 踊れる方とはいうものの、本当に踊れるのだろうか。


 章灯のそんな考えを読み取ったのか、伝田は、にやり、と笑みを浮かべた。表情や所作がいちいちぬるりとした不気味な男である。


「踊るとは言っても、ヒップホップとかじゃありませんから。僕は、バレエダンサーなんですぅ」


 すっ、と背筋を伸ばし、爪先立ちになると、その場でくるりとターンをする。まるで身体に一本の太い芯が刺さったように、全くブレのない回転だった。その動きだけは力強くも見え、先程のしなやかさも相まって見惚れるほどに美しい。


「すげぇ……」


 思わずそう漏らすと、伝田ではなく、牧田の方が得意気に「でしょっ?」と言った。


「こいつ、危うくバレエで大学行くとこだったんすよ。何か結構有名なコンクールでも入賞しまくりで」

「え? 良いじゃないか。危うくって、そんな……」

「いやいや、こいつ自身はね、そんな型にはまったことしたくないって言ってて。俺ら、お笑いに『駆け落ち』したんす。こいつの親に、俺、すっげぇ恨まれてんすよ」


 何が面白いのか牧田はカカカと笑い、伝田もまた、照れたように頭を掻いた。ぴんと伸びていた背中は既に丸まっている。


「さて、そんなことより――」


 さんざん笑った後で牧田はテーブルの上のクリアファイルを伝田に手渡し着席を促した。


「ミーティングしましょうか」


 その言葉で章灯も座り直し、手元の書類に視線を落とす。


「まぁ、そんな難しい話じゃないんすけど。見てわかると思うんですが、これは例のVの大まかな流れです。んで、太字になってるところ、これが伝田が言うには『盛り上がるところ』らしいんすね」

「つまり、怖がるところ、と言いますかぁ」

「成る程」

「いつワイプで抜かれるかわからないわけじゃないですか。もしこのポイントでばっちり抜かれたとして、山海さんが無表情だったらさすがにおかしいってなるわけですよ」

「確かに」

「怖いのが平気だっていうスタンスを貫くのにしても、人並みにビビるとか、顔をしかめるとか、そういうのはあった方が自然だと思うんすよね。それと、もちろん大まかな内容は頭に入ってないとってのもありますし」

「助かります……」


 まさかここまでやってくれるとは、という思いで文字通り『頭が下がる』。


「そこで、ですねぇ」


 次に口を開いたのは伝田だった。本当に芸人としてやっていけるのだろうかと心配になるほどの声量である。ごそごそとポケットをまさぐり、かなり使い込まれたストップウォッチを取り出すと、何の意味があるのか無駄にカチカチとボタンを押した。


「きっちりとこの時間通りに、それなりのリアクションをしてもらいますぅ」

「それなりのリアクションっていうと……」

「まぁ、肩を竦めたり、眉間にしわを寄せたり、身体を引いたり、逆に前かがみになってみたり、とかですねぇ。山海さんが自分で考えても良いですし、一応、伝田が参考例として指示も書いてます」


 ほら、これです――、と星のマークを指差した。確かに『眉間にしわ』だの『腕を組んで固く目を瞑る』などという指示が太字で書かれている。


「こういうのって案外ワンパターンになりがちなんで、参考にしてくださいねぇ」

「ありがとう」


 随分と仕事が細かい。さすがはネタ担当。


「ただ、問題はですね。さすがにミュージシャンだっていっても、こんな細かい時間を正確に刻めるかってところでして」

「あぁ――……確かに。ライブでもドラムの人に頼りっぱなしだからなぁ、俺」


 章灯は腕を組み、ううん、と唸った。

 せっかくリアクションまで細かく指示されているのに、ずっと時計と睨めっこしているわけにもいかないだろう。


「そーこーで、ですねぇ」


 伝田は、一際不気味に、ゆっくりと、ゆっくりと言った。その声色にぎょっとして彼を見ると、見たことを後悔しそうになるほど、気味の悪い笑みを浮かべている。


 道化師ピエロ道化師ピエロでも、これは夢に出る方のやつだ。


 目の前にいるのはお笑い芸人のはずなのに、章灯はいつか(ついうっかり)見たホラー映画のピエロを思い出し、ぶるりと身震いをした。



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