Extra chapter Ⅵ Your Weak Points (2016)

♪1 声を聞かせて

「……声、出しても良いんですよ?」


 固く握った拳を口元に当て、懸命に声を殺している章灯しょうとに向かって、あきらは余裕たっぷりに言ってみせた。表情も彼女にしては実に晴れやかである。いつも何かと主導権を握られてしまう彼女だったが、今日は珍しく『上』の立場なのだ。


 章灯は彼女の言葉に抵抗するようにふるふると首を振る。しかし、そんな強がりを言っていられるほどの余裕なんてないことは、彼の表情を見れば明白だ。


「……私にはいつも『声を聞かせろ』って言うくせに」


 不満気にぽつりと呟いて、弄ぶように彼の背中を、つつつ、と指でなぞる。晶の思惑通り、彼はびくんと身体を震わせ、恨めしそうな顔で彼女を睨んだ。


「――なっ、何だよぉ……」


 やっと出たのは何とも情けない声である。これ以上言葉を重ねれば、もっと情けない声を出してしまいそうで、章灯は再び固く口を閉じた。晶はそんな章灯を見て至極楽しそうにクックッと喉を鳴らす。彼女にそんな嗜虐性があったのかと章灯は怯んだが、もしかしたら先程一緒に飲んだウィスキーのせいかもしれない。軽い気持ちで勧めてしまった自分を呪う。


「もっと強く握りましょうか?」

「い――いや、それは――――ぁぁああっ!」


 章灯の返事を待たず――いや、待ったとしても恐らく無視していただろうが――晶が先刻から握っている『それ』に力を込めた。プロのギタリストの本気の握力というのは、たとえ彼女が女性であっても想像以上の強さで、『NO』と答えようとしていた彼の口から、堪えていたはずの声が漏れてしまう。それは堪え続けていたせいか、解放された時の音量もまたなかなかのものである。まして彼はアナウンサーであり、ヴォーカリストでもある。つまり、『声』を生業としているのだ。良く通る彼の絶叫はリビングに響き、当然、彼自身の耳にも届く。我慢の甲斐無く吐き出されてしまった己の声に、恥ずかしさで身体中が熱くなった。


「声、出るじゃないですか。我慢しなくて良いんですよ」


 章灯は赤くなっている顔を必死にクッションで隠すが、晶の手によって、ぎゅむ、と目元のみ露出させられてしまう。優しく微笑むその瞳も、穏やかにゆっくりと語りかけられるその声も、全てが自分を辱しめているようだった。


「ここからが良いところなんですからね」


 うっとりしたような、それでいてものすごく楽しそうな顔で笑う彼女を見て、恍惚とはまさにこういった表情を指すのだと、章灯は震えた。そして――、


「今夜は寝かせませんからね」


 滅多に見られない極上の笑みと共に紡がれたその言葉で、章灯は己の敗北を悟った。


 もう無理だ。これ以上は耐えられない。


「……アキ。俺……もう、限界……」


 強張っていた身体の緊張を解き、一気に弛緩する。それと共に大きく息を吐いて晶の太股にクッションを置き、その上にぱふりと顔を埋めた。


「終わったら教えてくれ……」


 さっきよりも数段弱い声を発し、晶の腰に右手を回す。先程から強めに握られている左手はそのままだ。


「章灯さん、こんな途中で止めたら、ストーリーわからなくなっちゃいますよ?」


 御丁寧に『一時停止』ボタンを押し、彼女曰く『ここからが良いところ』の部分を静止させる。青ざめた表情のヒロインが事件解決の鍵を握る洋館に、果敢にも単身で乗り込もうとしているシーンである。


「良い良い。わからなくても。後でアキに教えてもらうから」

「もう、そんなこと言って……。それでは特訓にならないじゃないですか」

「うぅ……」


 今年の夏休みに放送する心霊特番のMCになってしまったと、まさにこの世の終わりのような顔で晶に泣きついたのが数日前。

 番組内容に近いジャパニーズ・ホラー作品をたくさん見て特訓したらどうかという彼女の提案に乗った結果がこれである。


 もしもの時のことを考えて、翌日にオフを控えた金曜日に開催されたこの『ホラー上映会』で、彼は辛くも1本目は耐えきった。――とは言っても、それは声を発さなかったというだけで、傍目には十分『アウト』だったが。そして少しでも怖さを和らげようと導入されたアルコールの力によって、恐らく晶のスイッチが入ったのだ。何せ彼女は大のホラー好きなのである。


「……良いよ、『アナウンサー山海やまみ章灯』はいっそもうこういうキャラで行く」

「しょうがないですね」


 こんな姿をお茶の間に届けるのだろうかと思い、一応彼に気を遣って、晶は声を出さずに笑った。


 しかし……、山海章灯が。

 あの真面目を絵に描いたような、大体のトラブルも冷静に対処出来るベテランアナウンサーの山海章灯が、だ。


 時に天然な不器用さを見せるとはいえ、こんな姿を本当にさらけ出して良いのだろうか。


 そう思って、晶は小さくため息をついた。


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