6/20 湖上の誕生日 B面

 俺はいつまでここにいて良いんだろう。


 誕生日を迎え、一つ年を取る度に思うのがそれだ。


 俺とあいつらが血の繋がらない赤の他人だってことは、隠すことでもねぇからちゃんと伝えてある。

 でもこの事実が現実味を帯びてあいつらの肩に重くのし掛かってくるのには、まだもう少し猶予があるはずだ。


 もう少し、まだ大丈夫。

 まだあいつらは子どもだから。

 まだまだ俺が守ってやんなくちゃ何も出来ねぇ子どもだから。


 俺を頼ってくれ。

 どんなに小さいことでも良いから。


 そうすれば、まだここにいる理由が出来る。

 こんな赤の他人のおっさんが、一緒に暮らすという奇妙な関係を継続するだけの理由が。


 かおるあきらは皐月に良く似てすらりとしている。身長もクラスの中では高い方らしく、まぁいわゆるモデル体型ってやつだ。ただ、どんなに食わせても肥えねぇ。つっても出るとこは出て……って、俺がこんなこと言うのはさすがにキモいか。

 とりあえず痩せ型にカテゴライズされる体型の割に、郁は案外丈夫で、あまり風邪を引いたりってこともない。だが、その双子の妹である晶はというと、これがなかなか繊細で病弱なのである。

 小学生の頃は季節の変わり目毎に風邪を引き、その後1ヶ月は良くなったり悪くなったりを繰り返していた。とはいえ、さすがに高学年になる頃には多少その回数も減った。だからまぁ、少しずつ丈夫にはなってきているのだろうが。


 ――で、だ。

 いよいよあいつらも中学生よ。スカートなんてまともに履いたことのない晶も制服ならば仕方なしと渋々それを身に付け、悪くねぇじゃんと鼻の下を伸ばしていた時のことだ。


 何の偶然なんだか、その日は6月20日。俺の誕生日だった。


 朝飯の準備をしながら、今年もまたぼんやりと身の振り方ってやつを考え、まだ大丈夫だろ、と言い聞かせていた時、すっかり身仕度を済ませた郁がいつものませた表情でこう言ったのだ。


「晶、熱があるみたい」と。


 なぜか昔から誕生日には絶対にオフをくれる社長に心の中で何度も手を合わせ、子ども部屋に飛び込んでみれば、晶は真っ赤な顔をしてぐったりとしていた。



 そして現在、「私は大丈夫だから、晶の看病してあげてね」という郁の言葉に甘えさせてもらう形となっている。


 どうやら風邪などではなく、いつもの『発熱』らしいとわかると、ひとまず胸を撫で下ろす。これについては、掛かり付けの医者からも特に心配はないと言われているのだ。ただ、水分はしっかりとらせることと、食欲があるようなら念のため消化に良いものを食べさせるようにとだけは言われたが。


 学習机とセットになっている椅子を拝借し、それをベッドの脇に置いて腰掛ける。晶は肌掛けを鼻の上の方まで引き上げ、眉を八の字に下げていた。そしてぽつりと言うのだ。

「……ごめんなさい」と。


 何で謝るんだ。

 俺がお前の看病を迷惑だと思っているとでも言うのか。


 まさか。逆だ。


 血が繋がっていたって、子どもっつーのは、遅かれ早かれ親の元から巣立っていく。血が繋がっていないなら尚更、その日はもっと早くにやって来るのかもしれない。

 ――ダメだな、俺は。『その日』を想像するだけで涙腺がイカれちまうみてぇだ。


 だけど、お前らが助けを求めてくれている間は、それをれっきとした大義名分に出来る。だからいまは、不謹慎にもこんな時間すらちょっとだけ嬉しく思っちまったりもしてる。


 そういえばここ最近は仕事が立て込んでて、こうやってゆっくり話す時間も無かったなんて思っていると、晶がぽつりと言うわけだ。


「……最近、恰好良いって思うバンドがあって」と。


 しかも何だ、聞きゃあ良いっつーのはベースだって言うじゃねぇか。

 その割にそいつらの名前やら曲名やらを全く覚えてねぇってのは晶らしいが。

 普段は口数も少なく語彙の乏しい晶が、熱で真っ赤になった顔でさらに熱っぽく語るわけよ。


 やれ、

「歌っているみたいに滑らかで」だの、

「でも心地よい激しさもあって」だの、

「目立ってるのにそれが邪魔になってなくて」だの、

「耳にすごく残るんです」ってな。


 さすがに覚えたから弾きますってベッドから出ようとしたのは止めたが。まぁ晶のことだから完璧に耳コピしてやがるんだろ。結構な時間をかけて攻めた感じで作ったってのに、晶にかかればコピられんのなんてもう一瞬よ。畜生。


 そう、晶が気に入っていると言った『BBBスリー・ビー』というのは俺がサポートを務めている、ヴォーカル・ギター・ドラムの3ピースバンドだ。何年か前にベースが脱退したらしく、バンド名も『4Bフォー・ビー』から変えたのだという。


 つい最近、他のバンドの方のライブDVDは解禁した。その他にもこの『BBB』を含めてあともう3つ、ちょいちょいと頼まれているやつはある。だけど解禁したのは一つだけだ。


 ――出し惜しみ?


 まぁそうだな。そういうことだ。だって飽きられたくねぇもん。出し惜しむさ、そりゃ。ちょっとずつ小出しにしていきゃ、その内にまた別の仕事が入ってくるかもしんねぇしな。


 とにかく俺はあの手この手で必死よ。

 あいつらに飽きられないように、捨てられないように、ってな。

 

 ……しかし、やっぱり親子なんだな。



「勇助ともっと早く出会いたかったわ」


 皐月がそんなことを言ってくれたのは、たった一回だけ。


 保育園のお泊まり会ってやつで、初めて2人きりの夜を過ごした時のことだった。

 だからといってもちろん襲い掛かったりなんざしねぇよ。約束したもんな。2人で並んで借りてきた映画のDVDを見ながら、軽く飲んだくらいだった。それでも俺達にとっちゃあ贅沢な時間よ。


 その時、皐月が珍しく「勇助の弾いてるところが見たい」なんて言うんだ。そんなこたぁ滅多に言わねぇからな、ありゃたぶん酔ってたんだろう。大先輩に見てもらうわけだから俺は正直かなり緊張したんだが、皐月はそんなことお構いなしに呑気なもんだ。そして何曲か見終わったあとで言うんだな。やけに真剣な顔でよ。


「このベースは誰が作ったの?」って。


 やべぇ、と思った。

 当時、俺がサポートしてるのはそのバンドだけだったんだが、曲作りの方にも結構深いところまで携わっていた。ベースもかなり自由に作らせてもらってたし、サポートだからって後ろの方でひっそり弾いてろなんて言わねぇやつらだった。もう解散しちまったけど。


 そんなわけで、その曲のベースも俺が作ったものだった。メンバーからは「今回もまた攻めてくれたな」と嫌味なのか何なのかわからん評価をいただいたりもしたものだ。


「……俺だけど」


 背を丸め、恐る恐るそう答える。すると、皐月はそのぴんと張りつめたような真剣な眼差しをふにゃりと緩めて笑った。


「やっぱり」

「……は?」

「何かそんな気がしたのよ。勇助らしいなって」

「俺らしい?」

「そう。扱いが最高に難しい暴れ馬みたい」

「……何だよそれ」

「でもね、最高に恰好良いの。馬の側からすれば、人間の言うことを聞くことが必ずしも優秀ってわけじゃないんだもの。速く走れるか、スタミナがあるか、骨は丈夫か、毛並みが美しいか、目が濁ってないか、とか」

「まぁ、そうだけど」

「だから、最高に恰好良い暴れ馬。でもこのお馬さんのお利口なところはね、それでも調和を考えてるってところ。悪目立ちしてないの。我が道を行きながらも他のメンバーとのバランスはちゃんと取ってる。きれいな歌のようで、でも力強く支えてて、耳に残る」

「……どうも」


 馬扱いされたのは正直微妙だったが、これはもしやかなり褒められてるんじゃないか、と俺の心は躍った。


 でもその時はまだ若かったからかな、素直に嬉しさを表現出来なかった。いや、若さは関係ねぇな。きっと俺は皐月の前で恰好つけたかったんだ。そんなことでいちいち飛び上がったりしねぇ大人の男ってやつを演じてた。

 だけど、つい口が滑ったんだろう、ぽつりと愚痴が零れた。


「でも、こういうのを作るとやいやい文句言ってくるやつもいるんだぜ。サポートの癖にでしゃばんなってよ」

「へぇ。それってつまり、俺達はベースが前に出たら霞む程度の実力しかないんですって白状してるってこと?」

「皐月、言うじゃねぇか……」


 何だかその日の皐月の言葉はかなり棘があった。


「少なくとも私はそう思ってた。ウチもギターとヴォーカルの2人組だったから。お前らなんて油断してたら食っちまうからな、ってくらいの気概が無いようなサポートならいない方がマシよ」

「そう言ってくれるやつばかりならこっちも面白れぇんだけどな。……なぁ、いつか皐月ももう一回ギターやろうぜ」


 思わずつるりと口をついて出た言葉に俺自身も驚いた。一体どんな思いでギターを手放してしまったのか、面と向かって聞いたことは無かったが、触れるべきではないことだということだけは察していたからだ。

 けれど、勤め先でチューニング程度に弾くだけになってしまったのを悔しく思っているのは、きっと俺だけじゃないはずだということも知っていた。だからつい言ってしまったのだ。皐月は一瞬面食らったような顔をしたが、すぐにいつものちょっと困ったような笑顔を俺に向けてくれた。


「そうね。あの子達が成人したらね。だいぶ腕は落ちちゃってると思うけど」

「構わねぇ」

「あー、でも、その前に勇助が私に愛想尽かすのが先かしらね」


 そう言ってあははと笑う。


「それだけは絶対に有り得ねぇ! 未来永劫、それだけは絶対に有り得ねぇから!」


 もう何度目かわからないプロポーズのつもりで強く言うと、皐月は再び笑ったが、その目は少しだけ潤んでた。酒のせいかな。きっと違うだろう。


「勇助ともっと早く出会いたかったわ」


 皐月は、涙混じりの声でそう言ってくれた。


 俺もだ。

 そう返した。


 俺はお前と、お前達と本当の家族になりたかった。


 とは言えなかったが。


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