The Event 6(19××~20××)

6/20 湖上の誕生日 A面

 私はその人をじっと見つめる。

 きれいに脱色されたその髪を。

 そして透き通るような白い肌を。

 目が合うと、「どうした?」と首を傾げ、「俺の顔に何か付いてるか?」と言って、決まって左頬を擦るその仕草を。


 よく考えてみれば、この人は全くの他人なのだ。このどうしようもない事実に、どうしていままで何の疑問も抱かずにこれたのだろう。


 母の恋人だからよ、と随分前にかおるは訳知り顔で言った。

 確かにそういう関係なのかもしれないが、恋人というのは、その付属品である私達の面倒まで見るのが普通なのだろうか。


 それが例え、その『恋人』がいなくなってしまった後でも。


 彼と一緒にいると、実の父のように感じながらも、自分達の存在が彼の枷になっているのではないかと思い、首の後ろがぞくりと冷えたりする。


 一度だけ、郁も同じように感じているのかと聞いたことがある。私達は双子だから。顔も良く似ているから、もしかしたら考え方も同じかもしれないと思ったのだ。

 

「そういうことは考えないようにしてるの」


 郁はそう答えた。

 もしかしたらいつか、彼自身が自分達を疎ましく思ってここを去る時が来るのかもしれない。それはもしかしたら明日――いや、もうこの数秒後なのかもしれない。だけどもしかしたら、そんな日は来ないのかもしれない。それは少なくとも私にはわからない。


「だから、考えるのは早々に止めたの。時間の無駄だし、神経をすり減らしたくないから。私達は子どもよ。なるようにしかならないわ」

 

 私と郁が似ているのなんて顔だけだ。こいつは存外に強かだ。


 だけどね、と郁は言った。


「だけど、どこかで覚悟はしているつもり。いつか本当にあきらと2人だけになるかもしれないって」

「何で郁と2人だけで過ごさなきゃなんないんだ。その時は意地でも一人で住む」

「そういうことじゃないわよ。『家族』の話。いまは湖上こがみさんも数に入ってるけど、ってこと」

「あぁ、そう」


 別に、血の繋がった人間が郁以外にいないわけじゃない。母の実家がある和歌山県には、母の弟である冬樹叔父さんもいるし、祖母の弟妹も御存命らしい。それに、この世のどこかには『父親』も存在しているはずなのだ。一応、死んだとは聞いていない。


 自分は郁ほど器用に生きられない。郁の考えも一理あると思い、考えるのを止めよう、と決めたところで、すぐに切り替えられる質じゃなかった。

 だから一人でぐだぐだと悩み、そして――、



「……ごめんなさい」


 晶は自分の顔を覗き込んでいる湖上に向かってそう言った。自身の左頬を擦っていた湖上は、晶の凝視の理由に気付き、なぁんだよ、と小さく呟く。


「謝るこたぁねぇだろ、別に」


 湖上は、眉を寄せ歯を見せてニヒヒと笑った。


「誰でもチョーシ悪い時ぐれぇあるじゃねぇか」


 そう言いながら 晶の頭を撫でる。子どもの時のように――というか、まだまだ彼女は『子ども』の年齢ではあるのだが。


「しかし久し振りだな、アキが熱出すの」


 額に貼った冷却用ジェルシートをぷにゅ、と押す。彼女の体温で温まったそれの感触を楽しむかのように何度も軽く押し、湖上は再びヒヒヒと笑った。


「しかも風邪じゃねぇと来たもんだ」


 彼女はその言葉にどきりとする。どうやら晶はそういう体質らしいのだ。機械のように、頭を使いすぎるとオーバーヒートする。郁は華奢で繊細なように見えて、あれで案外丈夫に出来ているというのに。


「何か悩んでんのか? 郁にも言えねぇことか?」


 声を落とし、表情がきりりと引き締まる。普段はおちゃらけている湖上も、郁と晶を心配する時はそういう顔になるのだ。しかし大体は「大丈夫、大したことねぇよ」とすぐにガハハと笑うのだが――、


 今回はずっと真剣な表情のままだった。


「俺で良ければ言ってみろ。助けられるかはわかんねぇけど」


 助けられるかはわかんねぇ。晶が彼の口からよく聞く言葉だ。

 彼は、相手が子どもだとしても、無責任な虚勢を張らない。出来ない約束もしない。


「だって大人っつったってよぉ、ただの人間だぜ? 空を飛べるわけでもねぇし、海の上を歩けるわけでもねぇ。出来ねぇもんを『出来る』って吹いて夢見させんのは簡単だけどよ、出来ねぇってバレちまったら、がっかりも倍だろ? だから、出来ねぇもんは出来ねぇ。その代わり、俺が出来る方法で何とかする」


 晶が大人になってからその理由を聞いた時の湖上の弁である。


 当時も特に疑問には思わなかったが、理由を聞いてより納得した。


 きっとコガさんは誠実なのだ。


 彼女は湖上をそう評価している。けれど恐らく、彼と表面的な付き合いしかしていない者は、それとは真逆の評価を下すだろう。


「なぁ、アキ。郁にも俺にも言えねぇことがあったって別に構わねぇけどよ。犯罪以外ならどんなんでも良いから、アキなりの発散方法は探しとけな」

「発散方法……」

「そ。何事もよ、溜めこむっつーのは良くねぇからな。貯まって良いのは金ぐれぇなもんだ」

「ベースは発散方法になり得ますか?」

「そりゃもちろんよ。そうか、アキには楽器それがあったな」


 湖上からベースの手ほどきを受け始めたのは真新しい制服に袖を通した4月のこと。彼がそれで日々の糧を得ていることは、小さい頃から知っていた。ただしミュージシャンといっても、テレビに出るわけでは無く、ライブ活動が主なロックバンドのサポートを中心にしているのだが。初めて晶がミュージシャンとしての彼を見たのは、何度もせがんでやっと解禁されたライブDVDの中であった。


 ――恰好良い、と素直に思った。


 こんなにも真剣で、楽しそうな姿は見たことが無い。


 真剣な顔をする時というのは決まって、何か大真面目な話をする時で、楽しそうにしている時というのは決まって、自分達と遊んでいる時だった。

 つまり、その2つが共存していることなどいままでにはなかったのである。


 隣に座っている郁も「すごいね」と呟いたきりだった。画面から目を離さずに呟かれたその言葉は果たして自分に向けられたものなのか、それとも照れたような顔をしてそっぽを向いている彼に対してなのか、はたまた心の声が漏れただけなのか。郁の言葉に相槌くらいは打ったような気もするのだが、定かではない。とにかく彼女達は口をぽっかりと開けて、自分達の『保護者』の仕事風景を凝視していた。


 それ以前にも人並みに流行りの曲は聞いていた。郁がCMで流れた曲をレンタルCDショップでちょくちょく借りてくるのである。個人の部屋なんか無かったから、必然的にそれは晶の耳にも入ることとなる。


 しっとりとしたバラードよりは、腹の底にズンと響くようなロックの方が好きだった。


 CMやドラマ、映画のタイアップを数多く手掛けるような大衆向けロックバンドの中には、晶のお眼鏡に叶うような歌の上手いヴォーカリストもいた。しかしそれでも「どうしてこの人が?」と首を傾げざるを得ないような者もいた。一番顔が良かったからかもしれないし、その中では彼が一番マシだったのかもしれないし、ただ単に楽器が弾けないのかもしれない。だったらいっそのこと外せば良いのにと思いながらも、曲自体は嫌いじゃなかったりもした。

 我ながら一体何様だと思いつつも、でもそれが消費者というものじゃないかと正当化しながら郁が垂れ流す流行りの曲を聞く。


 そんな中、ふと耳についたのがとあるロックバンドのベースだった。


 激しく己の音を主張するギターの裏で、ドラムと共にひっそりとリズムを刻むものとばかり思っていたベースが、負けじとやけに印象的なフレーズを奏でている。しかし、それでもやはりギターの影に隠れてしまっており、郁に至っては「言われてみれば確かに聞こえる……かな」程度であった。どうしてこの良さがわからないんだと、理不尽な怒りを覚えたものである。


「……最近、恰好良いって思うバンドがあって」


 勧められるがままにスポーツドリンクを一口飲んだ後で、そう切り出した。郁とはどうやら音楽の趣味が合わないらしいし、そもそも必要最低限の会話しかしない。晶にとって郁は、間に湖上を挟むことでやっとコミュニケーションが成り立つという相手なのである。決して仲が悪い訳では無いのだが。


「ほぉ。何てやつらだ?」

「すみません、ちょっと名前までは……。何とかっていう映画の主題歌を担当していたんですけど……」

「アキがタイトルを覚えてない映画っつーことは、ホラーやサスペンスじゃねぇな? 大方、郁が借りてきたやつだろ。あいつは新作しか借りねぇし、最近は恋愛かコメディだからな。……あーわかった、『HAPPY☆LIFE』だ。シェアハウスのやつだろ」

「そうだったかもしれません」

「さすがアキ、内容の方もさっぱりかよ。んで、それの主題歌っつったら、アレだろ、『BBBスリー・ビー』の『Fake Lover』だろ?」

「……そうだったかもしれません」

「マジかよ」


 湖上は苦笑しつつも、まぁアキらしいっちゃーアキらしいか、と言った後で、『Fake Lover』のサビを口ずさんだ。


「それ! それです」

 

 身体のだるさと看病への申し訳なさで暗かった表情が明るくなり、湖上はニヤリと笑う。


「こんだけの情報でバシッと伝わる俺に感謝しろよ」


 その言葉に、晶は素直に頷いた。


「しかし、『BBB』ねぇ。アキは相変わらずああいうの好きな」

「コガさんは映画見ましたか?」

「うんにゃ、見てねぇ。まぁ、CMくらいは見たけどよ。恋瀬こいせ美鈴ちゃん主演だからどうしようか悩んだんだがなぁ。でも、ヤローの方がタケウチだかキクチだかっていうおっさんだろ? あんな可愛い子がおっさんと一つ屋根の下だなんてよぉ」 


 主演の恋瀬美鈴は最近人気の女優である。ヒット作にも恵まれ、いまや押しも押されもせぬトップ女優に成長した。そしてその相手、武知たけち正直まさなおといえば、いわゆる『個性派』に位置する俳優で、お世辞にもイケメンとはいえないルックスの持ち主である。とはいえ、舞台で鍛えられた高い演技力が評価されており、ドラマやCMにも引っ張りだこの人気俳優だ。


「そんなにオジサンでしたっけ」


 ちらりと見た感じではそこまで『おっさん』ではなかった。むしろコガさんと同じくらいだったような……、と晶は考えて首を傾げる。


「いーや、おっさんだね。だってあいつ、30くらいだろ。美鈴ちゃんなんてまだハタチにもなってねぇんだから」

「詳しいんですね、コガさん。ていうか30なんであれば、コガさんと……」


 そう、やはり湖上と変わらないのである。


「んあ? だから、おっさんだろ。俺だってもう立派なおっさんなんだからな」

「そう……なんですか」

「まぁ、そんなこたぁ良いだろ、どうでも」


 自分のイメージする『おっさん』とはちょっと違うと晶は思ったが、当の本人がそう言うのだからそうなのだろう。


「んで? その『BBB』がどうしたってよ」


 その言葉で脱線しかけた会話が戻る。そう、映画の話なんかではなく、自分はその『BBB』とかいうバンドの話をしたかったのだ。とはいえ、映画の主題歌である『Fake Lover』以外の曲など知らないのである。だから話したいことというのは『BBB』についてというよりは――、


「ベースがすごく恰好良いんです」

「……ほう? 詳しく聞かせろ」


 ベースという単語に案の定湖上は身を乗り出してきた。彼はいつもよりやや饒舌な晶に目を細める。気に入ったという割に彼らの名前も、何ならその曲名すらも覚えていないということは、確実に彼らのヴィジュアルも知らないだろう。だからこの『ベースがすごく恰好良いんです』という言葉は、ベーシスト自身に向けられたものではなく、彼の奏でるメロディのみを指しているのだ。


「歌っているみたいに滑らかで」

「でも心地よい激しさもあって」

「目立ってるのにそれが邪魔になってなくて」

「耳にすごく残るんです」


 熱っぽく語り、さらには、覚えたからいますぐ弾いてみせます、と興奮気味に身体を起こしかける晶を「熱が下がったらな」となだめる。余程気に入ったのだろうと、湖上は彼女がベースというものにそこまで執着してくれたことを嬉しく思った。


 それから、晶が眠気に負けて瞼を閉じるまで、その限界ギリギリまで、湖上は彼女の話に付き合った。喋りながら寝落ちするだなんて、お前は幼児か、という言葉はぐっと飲み込む。


 これくらいの年ならば、流行りのアイドルが好きだという方が多数派だろう。まぁそろそろ洋楽ってやつがとりあえず恰好良く思える時期もやって来るのだろうが、それもほとんどが男子だったりする。こんな趣味嗜好の晶が異質な存在として、クラスの中で浮かないことを祈った。


 ――ちなみにこの数年後、そこがクールで恰好良いと、密かにクラスや学年の垣根を飛び越えた非公式ファンクラブが発足されるのだが、この時の湖上には知る由もない。


 歌うように滑らかで、耳に残るベースか。


 すぅすぅと寝息を立て始めた晶を見下ろす。

 そんなにベースを好きになってくれてありがとうな。


「ハッピーバースデー、俺」


 そう呟いて、湖上は立ち上がった。


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