♪26 独占欲

「えぇ――……っと……、出来れば、『山海やまみさん』でお願いしたい、かなぁ――……」


 申し訳なさそうに、それはもう至極申し訳なさそうに、章灯しょうとは言った。


「えぇ~~~~っ、残念ん~~~~」


 英梨は章灯の返事に対しておどけたような声を上げるが、恐らく、心の中ではそれ以上にショックを受けているだろう。あきらは何となくそう思った。と同時にホッと安堵の息を吐く。


「ごめんね。やっぱり仕事の時はさ、どこかできちっと線を引かなくちゃだから」


 本当に真面目な人だ。

 ともすれば面白味の無い堅物とも思われてしまいそうなほど。


 家の中での彼は、そのパリッとしたスーツを脱ぎ、ややくたびれた部屋着姿であぐらをかきながらビールを飲む。ごく稀にではあるが、酔った勢いに任せて仕事の愚痴をこぼすこともあるし、リモコンの操作ミスでうっかりホラー映画にチャンネルを合わせてしまった時には可愛らしい悲鳴を上げて彼女に抱きつく。


 そんな一面があるだなんて公表されていないはずなのに、彼の評価が『面白味の無い堅物アナウンサー』とならないのは、時折見せる天然気味のリアクションのためだろうか。

 それとも、普段の彼とは180度違う、ロックスターという一面があるからだろうか。


「いやぁお待たせ~」


 さして急いでもいないような声を発しながら、それでも一応駆け足めいた動きで小出町こいでまちが戻って来た。晶は何となくホッとしたような気持ちになる。


 彼は3人と合流すると、レコーディングルームの鍵を開け、さぁどうぞとあたかも自分がその部屋の主でもあるかのように振る舞った。促されるまま英梨が一番先に入り、章灯と晶はその後につく。


 いよいよ章灯さんの歌が聞ける。

 ORANGE RODの『SHOW』ではなく、アナウンサー『山海章灯』の歌が。

 それも、カラオケのように誰かの曲を歌うのではない。

 自分が一切関わっていない『彼の曲』を歌うのだ。

 

 ――あぁ確かに。


 確かにこれはちょっと、いや、かなり悔しい、というか。


 小出町さんは確かに大ベテランだ。自分なんかよりもずっとずっとキャリアがあって、子どもからお年寄りまで長く長く愛されるようなヒット曲もたくさん作っている。だからこの映画の曲だってきっと名曲なのだろうし、章灯さんが気持ちよく歌えるような作品になっているだろう。

 だけど、だからといってあっさりと「はい、行ってらっしゃい」等と送り出せるわけではない。

 章灯さんは、私が育てたんだ。

 もちろん元々才能はあった。素質もあった。けれど、彼を『SHOW』にしたのは私だ。


 もう絶対に他の人には渡すものか。


 沸々と沸き上がるどす黒い独占欲に驚く。自分がこれほどまで一人の人間に執着する質だとは思わなかった。


 ガラス板の向こう側でヘッドホンを装着する章灯をじっと見つめる。晶の視線に気付いた章灯は、彼女に向かって親指を立て、ウィンクをして見せた。それを『準備完了』の意味と受け取った小出町が「はい、じゃあまずは一度発声練習も兼ねて通しで行ってみようか」と言った。


 優しい声だった。

 自分達のバラードの時とはまた違った、柔らかく、語りかけるような、とても優しい声だった。


 これに重なるのが自分の声ではないということに、晶はまたしてもたまらないもどかしさと悔しさを感じる。『ふじ色ガールズエース』の、というか、千石英梨の歌は聞いたことがある。お世辞にも上手いとは言えないし、それを補って余りあるほど良い声なのかと問われれば、それもNOと答えざるを得ないだろう。

 しかし、彼女の売りはその容姿と溌剌としたキャラクターなのだから何も問題はないのだが。


 この『CHANGE FOR YOU』のキャスティングは単に映画のゲストをそのまま起用しただけである。メインは当然だが映画であって、歌はおまけのようなものだ。だから、その与えられた環境の中で精一杯のベストを尽くせばクリアなのである。例え2人の間に歌唱力の大きな差があろうとも、これもまた、とりあえずは問題ない。


 しかし、そのちぐはぐさはまるで、高さの違う竹馬に無理矢理乗せられているかのようで、何とも言えない不快感に包まれた。そう感じていたのは小出町も、そして章灯の方でも同様だったようで、2人共困ったような顔をしている。


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