♪27 夢中

 何回目かの録り直しの後で、小出町こいでまちは漸くOKを出した。それは修正を前提としつつも何とか形になったから、ではない。単純に、英梨のスケジュール上の都合である。


 英梨は半ば強引に『COnneCTコネクト』というスマートフォン向け無料通話アプリのIDを書いたメモ用紙を章灯に押し付け、「連絡くださいね!」と言って、弾ける笑顔と共に退室していった。


 自身の手に握らされてしまったそのファンにとっては垂涎もののお宝を、章灯しょうとは困り顔で見つめる。


「俺、ガラケーなんだけど……」


 ぽつりとそう呟く。


 かといって、スマホだったら連絡をしたのかと問われれば……まぁ、事務的な挨拶と今日の礼を述べるくらいはするだろう。社会人として。だが、もちろんそれきりだ。


 しかし、そんなやり取りを目撃してしまったあきらはもう気が気ではない。

 男女の関係というのがそこからどう発展するのかはわからない。けれど、手紙らしきものを渡されて、それを受け取ったということは、もう何かが始まる前兆というやつではないのか。


 例の『call my name事件』は地味に尾を引いており、2人の関係はまだ多少ぎこちない。


 晶は晶で、章灯が悔し紛れに吐き出した「何で気付かねぇんだよ、アキの癖に」という言葉が引っ掛かり、どうして気付けなかったのだと自分を責めた。

 そしてその章灯の方はというと、もう純粋に恥ずかしさで彼女をまともに見られないといった有り様で、一頃に比べればましになったというレベルである。


 しばし呆然とマイクの前に突っ立っていた章灯は、そろそろ自分も出ないとここを閉められないということに気付き、首にかけていたヘッドホンに手をかけた。


「あー、良いよ良いよ山海やまみ君」

「えっ?」

「ごめん、急遽変更。君一人のも録っておきたいからさ、もう少し頑張ってくれない? それともこの後って詰まってる?」

「いえ、大丈夫ですけど……」

「良かったぁ、ありがとう。そしたら10分休憩して、それからやろっか」


 君ならそんなに時間かからないでしょ、と小出町は少年のように歯を見せて笑った。余りの酷さにテイクを重ねた英梨に対する嫌みだろう。まさか乗っかるわけにもいかず、章灯はハハハと力なく笑った。


「昌明君……じゃなかった飯田君、どうだい?」


 ガラス越しに歌う章灯を見つめている小出町は、隣にいる晶に視線を向けることもなく問い掛けてきた。


「何か……変な感じです」

「そうだろうね。僕も一応君達の曲は聞いてきたんだけど、やっぱり違うもんねぇ。いやぁ、彼は役者だ」

「……そうですね」

「声の演技の方もあのアイドルの子なんかよりよっぽど上手かった。確かあの子はドラマにも何本か出てたと思ったけどね。まぁ、所詮は十把一絡げのグループでちょっと顔が良いだけの子だから」

「……」


 さっきまでにこにこしながらやり取りしていた英梨に対し、なかなか辛辣ことを言う。


 確かに彼女の演技はお世辞にも上手いとは言えなかったし、本業であるはずの歌についても耳を塞ぎたくなるほどであった。しかし、晶にしてみればその『ちょっと顔が良いだけ』でも充分羨望の対象である。いや、晶だって、充分すぎるくらい顔は良い。良いのだが、いくら女顔だとはいっても、見せ方のベクトルが男の方に向いているのである。与えられた性別を偽ることなく前面に出し、それでいてトップを張れるだけの容姿というものは、仮に彼女が強く望んだところで恐らく手に入らないだろう。


「いやぁ、ほんと、聞けば聞くほど良い声だね。君が夢中になるのもわかるよ」


 その言葉にどきりとして、晶は口をつぐんだ。しかし何も『夢中になる』というのは男女の間でのみ使われる表現ではない。ましてや晶が章灯の声を相当気に入っているということは、ただの企画ユニットだと思われていたORANGE RODが未だコンスタントに新曲を出し続けていることからも容易に推察されている。


 だから別に、それまで通り適当な相づちでも打っておけば良かったのだと気付いたが、時すでに遅しである。しかし小出町の方では別段気にならなかったようで、ひたすらうんうんと頷きながら、章灯の歌声に耳を傾けていた。


 

 

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