♪15 いっそのこと
ただの伊達眼鏡だというのに、何だか世界が開けたような、そんな感じがした。
さて次はどこへ行こうかと歩きながら、ショーウインドーに映る自分の姿を見る。コートとパンツ、スニーカーは男物だが中に着たカットソーや、下着は女物である。そのことに気付いた時、慌ててコートのボタンを留めたのだが、胸のふくらみは誤魔化しきれない。かといって、そこを手で押さえながら歩くというのも不審である。それに何より――、
赤縁の眼鏡をかけた自分は、何だかしっかり女に見えてしまうのだった。
それが何だが気恥ずかしく、
――待てよ。もういっそのこと。
頭の片隅に『ある考え』が浮かぶ。いままでの自分なら絶対に思い付かなかったであろう、その『考え』は徐々に晶の全身に行き渡り、彼女の足を動かす。確か、確かこの近くに――。
欝々とした気分を吹き飛ばしてくれるような明花とのデートは楽しかったが、そう感じてしまう度にとてつもない罪悪感に囚われるのだった。
浮気みてぇなもんじゃねぇか。
章灯がそう感じていたのを察したのか、明花はしきりに『特訓』や『練習』、それから『勉強になります』という言葉を口にしていた。少しでも『仕事感』を出して彼の疚しさを薄めてくれようとしていたのだろう。
「本当に優秀な後輩だ」
独り言のように呟いて、当てもなく歩く。スーツ姿ではあるが、オフということで裸眼である。新宿駅前を歩いているというのに誰にも気付かれなかったのは、その組み合わせのせいかもしれなかった。
幸せそうに手を絡ませるカップルを見て、
晶と手を繋いで歩くことなんてほとんど無い。外を歩く時の彼女は『男』で、自分の相方なのだから、それは仕方がない。ライブ中ならば肩を抱いたり、握手をしたり、何なら抱き付いたりということだって何度もあるのに。最後に外で『女』の晶と手を繋いで歩いたのは4年前だ。それも、付き合う前。手を繋いで歩くなんて、恋人同士という間柄であれば、ほとんど労することも無く出来るはずなのに。
あそこのデパートに行って、アキに化粧をしてもらったんだっけ。
章灯は高くそびえるファッションビルを見上げた。
それから楽器屋さんに行って。あいつ本気で弾くんだもんなぁ。
そんで、あそこのコーヒーショップで……。アキの野郎、俺がいんのにナンパなんてされてさぁ。
思い出を振り返るように4年前のデートコースをなぞり、締めくくりに、とコーヒーを買った。あの時のアキと同じようにガードパイプに腰掛けて、湯気の上がる紙コップに口を付ける。
――ねぇ、いま一人?
――これから飲みに行かない?
――俺らもちょうど2人いるしさ。
――良いじゃん、行こうよ。
お洒落なカフェも並ぶこの通りは小奇麗な女性達が多く通る。そのためか絶好のナンパスポットになっているらしい。BGMのように聞こえてくる野郎共のギラギラした声が何とも不快である。
コーヒーはまだまだ残っていたが、歩きながら飲んでも良いだろうと、腰を上げた。その時、章灯の視界に飛び込んで来たのは、すらりとした長身女性に果敢にも突撃している小柄な中年男性2名である。どちらも彼女より5~10㎝程は低いだろう。しかし、多勢に無勢とでも言わんばかりの猛プッシュであった。女性の方は背中をややのけ反らせ、完全に『引き』の姿勢である。
アキの影響か、最近はどうしてもああいうすらっとした背の高い女性に目が行っちゃうんだよなぁ。
特に、そう、あんなロングコートに細身のパンツで――……って、おい!
「――アキ!」
人目も気にせずその名を呼ぶ。
数人は彼の声に一瞬足を止めたが、章灯が男達に絡まれている晶の元へ駆け寄ると、喧嘩でも始まるとでも思ったのだろうか、そそくさとその場から去って行く。
男達はずんずんとこちらに向かって来る章灯の姿に早くも後退りしている。
「連れに何か?」
落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせ、出来るだけ穏やかにそう尋ねた。一応、知り合いの線も捨てきれない。――まぁ、晶のことだから万に一つも無いとは思ったが。
「いえ、あの、お一人かなぁって思って……。その……すいませんっしたぁ!」
男達の方では章灯のその穏やかさが逆に恐ろしかったようで、勢いよく揃って頭を下げるとくるりとUターンをし、なぜかお互いを小突きながらビルの影へと入って行った。
ふぅ、という安堵の息が隣から漏れたことに気付き、章灯は彼女の方を見る。
章灯と目が合った晶は大きく瞬きをし、驚いた顔をした。それは自分のピンチに白馬の王子様が颯爽と現れたからなのか、それとも――。
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