5月第2日曜日 母の日・後編
「いや、ちょっといまちっちぇ子預かっててよぉ」
「ちっちゃい子? どういうこと? ああああなたまさか……! ゆ、ゆ……」
「ちーがーうって! 誘拐とかじゃねぇよ! 俺の子でもねぇし! 知り合いの子! たまに面倒見てんだって!」
『たまに』の部分は嘘だ。
毎日見てる。これからも、未来永劫ずーっと。
食の進まない2人を見て、まず最初に思い出したのがイヤイヤ期の弟妹達だった。さすがに今年8歳になる2人にイヤイヤ期も無いだろうとは思ったのだが、いかんせん、
イヤイヤ期をどう乗り越えたのか皐月に聞きたいが、彼女はもういないのだ。ならば、子育ての経験者である紫歩を――母を頼るしかない。
「たまに、ねぇ。ええと、それで?」
違うと否定しただけですとんと納得してくれるのは、それだけ自分を信頼してくれているからだろう。
「んで、そいつら、今年8歳の女の子なんだけどよ」
「結構大きい子なのね。それに、『ら』ってのはどういうこと? 何人預かってるの?」
「2人。双子の姉妹」
「まぁ」
「まぁ、そいつらがさ、全然飯食わなくなっちまったんだよなぁ」
「それで経験者の知恵、なわけね」
そこで紫歩は、ほぅ、と小さなため息をついた。全く、という呟きまで聞こえてくる。
「とは言っても、何が正解ってわけじゃないけどねぇ」
そう前置きしてから、紫歩は語りだした。
まず――、
自分のアパートで見ているのなら、その子の家で使っていた食器を持ってくること。
それなら既にそうしている。一緒に暮らしているわけだから。とまでは言えなかったが、その食器を使っているとだけ返した。
だったら、逆に大人の食器を使ってみなさい。今日は特別とか、そういう言葉を混ぜて。それくらいの女の子なら『お姉さん』というものに憧れを持ち始める頃よ。
それから、彩。まさか茶色いものばっかり出してるわけじゃないわよね? 好物だからってコロッケやハンバーグ、唐揚げばかりなんてこと、無いでしょうね? 食事はね、舌だけで味わうものじゃないのよ? 味付け? 余程塩辛いか脂っこくなければ大人と同じでも大丈夫。どうせ勇助のことだから、その辺はわきまえてるんでしょ?
それから、一番は――、
「あなたが先陣を切って、もりもり美味しそうにたくさん食べなさい」
「はぁ?」
「まさかとは思うけど、食べないからってべったり隣に付いて『はい、あーん』なんて過保護なことやってないでしょうね」
「いや、そこまでは……」
そこまでではないが、それに近いかもしれない。
2人の真正面にどんと構え、それ用のスプーンを両手に持ち、彼女らの口の前にスタンバイくらいはしている。
「そんな食事が楽しいわけないでしょ? こんなに美味しいもん食わねぇなんてもったいねぇ、残すんならおっちゃんがぜーんぶ食っちまうからなぁ! あっはっは! とか言いながら楽しく食べてなさい。8歳の子なんて一人で食べられるんだから」
言われてみれば、ほんの数週間前はそうだったのだ。だけど、2人が風邪を引いて、最初は熱も高かったしたまに戻したりもしていた。だからだいぶ良くなったいまでも心配で心配で――。
「それと、これは全部勇助が梗子達にしてくれたことよ?」
「――はぁ?」
紫歩がさらりと落としたその言葉に、思わず素頓狂な声が出た。
「俺ぇ?」
「そうよ。だってねぇ、私だって一から子どもを育てるのは梗子が初だったから、そりゃあ食べ物に関しては苦労したのよ? 勇助は
「お、おう」
育ての母から産みの母の名が出、気にすることではないと思いつつも何となく嫌な汗をかいた。
「あれもイヤこれもイヤってスプーン投げ出す梗子に、あなたがそうやってくれたの。よぉーし、特別に兄ちゃんのお皿貸してやるぞ~、とか、トマトとピーマンと玉子焼きで信号機作ってくれたりとか、で、それでもダメな時はものすごく芝居がかった口調で『だったらぜぇ~んぶ兄ちゃんが食べちゃうぞ。あぁ~美味しいなぁ~』なんて言って。おっかしかったぁ、もう」
「……それで梗子は食ったのか?」
「だいたいはね。一番聞いたのがやっぱり最後のやつね。子どもはね、周りが楽しそう美味しそうにしてると欲しくなるもんなのよ」
「成る程なぁ……」
――それを自然にやっちまうなんて、俺って育児の天才なんじゃね? っつっても、子どもの頃の俺だけど。
そんなことを考え、ニヤリと頬を緩ませていた時だった。
「――勇助」
ぴんと張りつめたような、低く落ち着いた声で名を呼ばれた。
「何だ?」
「その子達、どれくらいの間預かるのかわからないけどね」
そんな前置きをした後で。
「人様の宝物を預かっているってことだけは、絶対に忘れないでちょうだい。甘やかせってことじゃないのよ。子どもっていうのは賢いから、一度でも自分の都合の良いことを経験すると、どこまでもそれを求めるようになるの。たった数時間でも数日でも、その家庭の躾の枠から外れた『例外』を作ってしまうことは、その親御さんにとっても、子ども達にとっても悪い影響を与えるから。だから、子ども達と向き合う時は、常に冷静な目を持つこと。自分の姿を俯瞰で見ることよ」
「……わかった」
人様の宝物を預かる。
彼女はきっとそう思いながら俺を育ててくれたのだ。
母が手放さざるを得なかった俺を。
「――母さん」
「なぁに?」
紫歩は既にいつもののんびりおっとりの紫歩に戻っている。さっきの彼女はまるで別人のようだったというのに。
「ありがとうな。その、いままでいろいろと」
「何よ急に」
「だって今日、母の日だろ。俺がこういうこと言ったらダメなのかよ」
「ダメじゃないわよ」
「花束も送ってある」
「ありがと」
「そんじゃ……」
「ちょっと待って、勇助!」
「何だ?」
「あなた、父の日もそれくらいマメにやってちょうだいね」
その言葉で彼は気付くのである。
やっべぇ、父の日なんてすっかり忘れてた、と。
「ほぉ~らぁ、良いのかぁ?
シートの上にあるのは、色とりどりの花畑のような手毬寿しに、ハムで作った小さなリボンをちょこんと乗せたぶたの一口おにぎり、それからカレー粉で着色しひよこに似せたうずらの玉子、その他諸々が詰め込まれた豪華三段重である。
あいにくの天候且つ、一応病み上がりということで室内ではあったのだが、いつものようにテーブルではなく、お気に入りのレジャーシートを敷き、そこにちょこんと3人座っているのである。
子ども達はこれから一体何が始まるのかと最初こそ警戒していたものの、重箱の蓋を開けた途端にその小さな口をぽかんと開け、大きな瞳を真ん丸くしていた。そのおもちゃ箱のような重箱と、それの制作者である湖上とを何度も見比べ、姉妹は顔を見合わせた。
「良いか? 今日は特別だからな? 毎回毎回こんなに手の込んだモノはさすがの俺も作れねぇぞ?」
呆然としている姉妹にそう声をかけるも、2人はうんともすんとも反応しない。
「さっさと食おうぜ。腹減ったなぁ、俺」
そう言って、上の台詞に繋がるわけである。
そして、その1時間後――……。
「コガさん……。私、お腹いっぱいで動けない」
「私も……」
「奇遇だな、俺もだ……」
ほぼ空になった重箱を囲むようにしてごろりと寝転ぶ3人の姿があった。
「おい、仰向けは危ねぇからな、寝るなら横向きにしとけ」
「はぁい」
「わかったぁ」
郁と晶は揃ってころりと転がり、勇助の方を向いた。
「コガさん、とってもおいしかった」
「ぶたさんかわいかった」
「そっか、良かったな」
「コガさんって、何でも作れるの?」
「何でもは無理だけど、まぁ、お前らが食いたいっつーんなら、大体はな」
「本当?」
姉妹は揃って瞳を輝かせる。
「――ただし! 特別な時だけだぞ」
びしっと釘を刺すと、2人は幸せそうに目を細めてにこりと笑った。
皐月、お前の宝物は俺に任せろ。
この2人を産んでくれて、ありがとうな。
勇助はパンパンに膨らんだ腹をさする。
身体のどこにももう針なんか刺さっちゃいねぇ。
そして、思うのだ。
俺は湖上勇助だ。それだけで充分じゃねぇか、と。
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