♪10 仕事

「先輩、どうしてスーツなんですか?」


 呆れたような、困ったような、それでもなぜか嬉しそうな顔のみぎわ明花さやかは、オンの日と変わらぬスーツ姿の章灯しょうとを見て、そう言った。


「どうしてって……」

「仕事じゃないんですから、私服で良いじゃないですか」


 そう言う彼女も仕事着と大差ないようなきれいめの恰好であった。ロイヤルブルーのアンサンブルにツイード素材の白いフレアスカート、足元はタッセルのついたスエードのブーツである。


「汀だってオンの時と変わらないじゃないか」

「まさかまさか! オンの時はもっとカチッとしますよ!」


 とすると、これはカチッとしていない……のか? 第一『カチッと』って何だ?


 女のファッションってわかんねぇな、と章灯は呟いた。


「でも俺だって一応、これはオフ用のスーツだからな」

「オフ用? どこがですか?」

「えぇ? わかんない? だってほらジャケット、チェック柄だぞ?」

「でも、グレーですし。重田さんならいつもこんな感じですよ?」

「あの人はそういうキャラだから!」

「まぁ、スーツの先輩も恰好良いから良しとします。私服も見たかったですけど」

「かっ……!? い、いや、何でそんな上からなんだよ」


 彼女は本当に気持ちを隠さなくなった。しかしいまは、あっけらかんと笑うその明るさに救われているのも事実である。


「しかし、昨日の今日だぞ?」


 日のテレ本社ビルである。5階にある小会議室の鍵を握りしめた明花は、「だって」と笑いながらそれを鍵穴に差し込んだ。


「夢だったんですよ。『ニンジャ? ナンジャ?』に出るの!」

「夢か……。まぁ、確かに一度は憧れるよな、忍者って」

「ですよね!」

 

『早速ですけど、明日、台本の読み合わせしませんか?』


 昨日の帰り際、明花からそんな風に誘われたのである。


 早速過ぎるだろ、と笑い飛ばしたが、仕事の延長のようなものだからとOKしたのだった。そういえば明日はあきらもオフのはずだということに気付き、早まったかな、と思った。彼の方ではまだ、どうにかしていまのこのギクシャクした関係を修復出来ないかと模索中だったのである。彼女の好きなホラー映画のDVDをダシにすれば、もしかしたら出て来てくれるんじゃないか等と、浅はかな期待もしていたのだ。しかしいまは昨日の自分を「よくぞOKした」と誉めてやりたい。


 だって昨夜の記憶はしっかり残っている。あんなにみっともない嫉妬心を剥き出しにしてしまったのだ、さすがに顔を会わせづらい。……っつってもどうせ部屋から出て来ねぇんだろうけど。


「でも、汀の役ってそんなに台詞あるのか?」


 Oの形をした会議用テーブルに腰掛け、鞄の中から台本を取り出す。オフとはいえそれなりの恰好をしたのは場所がここだからである。


「まぁ、付き人ですからね。そんなに多くは無いみたいです」

「それじゃ読み合わせしなくても……」

「でも、先輩のは多いんじゃないですか?」

「いや、俺の方もそうでもないよ。最初と最後くらい。メインはあの3人と英梨ちゃんだし。……ていうか、読んでないのか?」


 人のこと誘っておいて、と意地悪く睨み付けると、明花はあははと白い歯を見せた。


「だって先輩とデートしたかったんですもん」


 ――これだよ。開き直りやがった。



「どうせオフっていっても、先輩のことだから部屋の掃除して終わり! とかじゃないんですか?」

「そりゃ掃除はするけど。でも俺だって出掛けたりはするよ」

「へぇー。例えば?」

「例えば? そうだなぁ、買い物にも行くし、映画も見たりするし、それにいま櫻井祥太朗さんの写真展がどこかのデパートで――」

「高松屋ですよ」

「ん?」

「櫻井祥太朗さんの写真展。高松屋デパートです」

「よく知ってるな」

「先輩のデスクトップの雪景色、きれいだなーって見てたら木崎君が教えてくれたんですよ」

「木崎君が?」

「それ、先輩の好きな写真家さんのだよって。いま高松屋で写真展やってるから誘ってみたらって」


 木崎君め……!


 明花は悪びれる様子もなく「とりあえず読み合わせしたら、私とデートしましょう!」と言うと、極上の笑顔を見せた。

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