7/7 七夕

「――ねぇ、あたしと結婚しようって、いつから考えてたの?」


 彼女がそう聞いて来たのは、昨日のことだった。

 昨日、7月6日。

 今日は、七夕だ。


 いつからか、というのは正直曖昧だ。

 だって彼女が家族になることなんて、随分昔から決まっていたから。


 それでも年齢的な問題というか、とりあえず、プロポーズは大学を出てからにしようとは思っていた。

 いまは晩婚だっていう話だし、そんな新卒のペーペー如きが嫁さん養えんのかよだなんて、友人からも、先輩からも、茶化されたけど。

 

 でも、でもさぁ、ペーペーの新卒だからこそ、腹ん中にドカンと一個、何を差し置いても守りたい物を持ってても良いんじゃないか、なんて思ったわけだ、俺は。

 それに、まぁ、養うっつーか、彼女もバリバリ働くんだけどさ。


 成人もして、大学を卒業したって、俺はまだまだケツの青いガキだ。

 失敗もたくさんするだろうし、彼女を泣かせてしまうこともあるだろう。

 だけど、それ以上に彼女をたくさん笑わせたい。

 

「……言ったんだよな。織姫と彦星は良いよねって」

「織姫と彦星?」

「あの2人は会える日が決まってるし、ていうか、そもそも夫婦だからね、あの2人は、って」

「そんなこと言ったっけ、あたし」

「まぁ、こういうのって大抵は言った側って覚えてないもんだよ」

「何よそれ……。何か悔しいなぁ」

「そうは言っても、年イチじゃん? いくら会える日が決まってたって、寂しいには変わらないじゃないか。ましてや夫婦だろ? それでも、『良いよね』って言ったんだよ」


 2人掛けのソファに並んで座り、翌日――つまり、今日の式のことを考えて淹れたカフェインレスのコーヒーを啜った。

 隣に座る彼女は何だかまだ納得がいかないといった顔で、そんなこと言ったかなぁ、と首を傾げている。


「でもさ、確かに俺達、会えない時期が長かったしさ。って、まぁ、何つーの? 『親友』だったからな、一応」

「そうだね、あたし達、『親友』だったもんね」

「な。いま思えばとっととくっついちまえよって感じだったけど」

「あたしはいつになったら仕掛けて来るのかなって思ってた」

「何だよ、俺待ちかよ」

「そうだよー。待った甲斐があったわー」


 彼女はそう言ってケラケラと笑う。

 笑いの沸点が低すぎるんじゃないかと心配になるほど、彼女は良く笑うのだ。


「寂しかったな。特にカナがアメリカに行っちまった時は」

「なぁ~にぃ~? 電話口ではさんざん恰好つけてたくせに、寂しかったんだ、ミナってば」


 つい口が滑ってしまい、顔が熱くなる。でも、もう明日には夫婦になるのである。何を恥ずかしいことがあろうか。


「織姫と彦星を羨むやつに言われたかないね」

「――なっ! べっ、別に羨ましくなんか」

「だって、それを言ったのって、カナがアメリカにいた時だからな。あの時は、年イチでも会えなかったし。ネット電話はしてたけど、時差もあったしな」


 そりゃ年イチの逢瀬でも羨ましくなっちまうよなぁ、とわざと嫌味たらしく言うと、カナ――湖上こがみかなめは頬を、ぷぅ、と膨らませて黙り込んだ。


「でも、その言葉を聞いて、年イチを羨ましがるようなことをさせたらダメだって思ったんだよな、俺。だから、一刻も早くプロポーズしないとって。それでもだいぶ待たせちゃったけど」

「……待ったよ。結構」

「いつから待ってたんだ?」


 そう問い掛けると、カナはだんだん収拾がつかなくなってきたのか、とうとう膝を抱え込んでしまった。


「教えない」


 真っ赤な顔でその言葉だけを吐き出し、泣き笑いのような表情で「べぇっ」と舌を出す。


 その後は、「何だか落ち着かなくてよう」と、義母の梗子さんよりも緊張しているらしい彼女の伯父さん――勇助さんからの着信が有り、何だか微妙になってしまった空気はいつの間にかなくなっていた。

 もしかしたら俺達のこのやりとりをどこかで見ていて(本当だったらガチで怖いけど)、和ませるためにかけてくれたんじゃないだろうか、なんて思ってしまう。そう思ってしまうほど、電話口の彼はいつもと変わらずにだらりと――これは一応『褒め言葉』だったりする――していて、ちっとも「落ち着かない」ようには聞こえなかったのである。何度か会ったことはあるけど、つかみどころの無い、それでいて、めっちゃくちゃ恰好良い人だ。



 そして、いよいよ、今日。


 彼女のウェディングドレス姿は、ぶっちゃけ試着で何度も見た。

 いまと同じ恰好で前撮りもしたし、リハーサルだってした。

 それなのに、どうしてだろう。

 

 小学生の時から既に『家族』のように慣れ親しんできた幼馴染の彼女が、どうしてこんなにも魅力的で、まるで今日初めて出会ったかのような新鮮なときめきをもたらしてくれるのだろう。


 見惚れているなんてバレたら、悔しい。


 俺にだって、男としてのプライドがあるんだからな。

 ありきたりな「きれいだ」くらいしか、言ってやらねぇんだ、絶対。


「――ねぇ、ミナ」


 俺を真っすぐ見つめた、美しい彼女は言った。

 

「あたしはね、実は、小学生の頃からずぅっと待ってた」

「――え?」

「この日をずぅ――――っと待ってたよ。ミナと家族になる日を」


 いつもは色の付かない薬用のリップクリームを無造作に塗るだけだった唇には、いまは艶のある椿色のグロスが塗られている。

 その唇にキスをしたら、きっと彼女は怒るだろうな。せっかくきれいにしてもらったのに、って。


「毎日一緒にいたし、何だかそれが当たり前な感じがしてて。あたし、家族って、そうやっていつの間にか勝手になってるもんだと思ってたの。だけど、ミナが引っ越しちゃって、あたしもアメリカ行っちゃって、当たり前だと思ってたことが実は全然当たり前なんかじゃなくて。あたしがミナを好きでも、ミナがあたしを好きでも、子どものうちはどうすることも出来ないでしょ? 2人でなんて生きていけないし。そりゃあね、織姫と彦星みたいに年イチでも羨ましいって思うよ。それに夫婦なんだもん。離れてたって、お互いがお互いのものだって決まってるんだもん」


 それが夫婦でしょ、と彼女は淀みなく言った。

 俺は彼女のその言葉に何だか圧倒されてしまい、ただただ相槌を打つだけだった。


「これからは、もし離れちゃうことがあっても、あたしはミナのものだし、ミナはあたしのものなんだからね」

「――な、何だよ。人をモノみたいに言うなよ」


 やっとそれだけ言うと、その言葉が栓にでもなっていたのか、ぷしゅう、と空気が抜けた気がした。


「良いじゃん、お互いさま。見惚れるくらい可愛いあたしなんだから、せいぜい大切に扱ってちょうだいね」


 ――畜生。やっぱりバレてたのかよ。


「……きょ、今日のカナはいままででいちばんきれいだ」


 悔し紛れにそう言って、ビンタの一発くらいなら、と覚悟を決めてから抱き寄せる。軽くなら良いだろ、なんて勝手な判断で唇を重ねたが、驚いたことに彼女は無抵抗だった。


「大好きよ、ミナ」

「俺も。ずっと家族でいような」


 さすがに2度目は拒否されてしまったけど。

 


 

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