4/1 エイプリルフール・後編
「――よし、こんなもんかな」
荷物や家具が全て運び出され、カーテンすら無くなった広い居間で、
「湊の部屋も掃除は終わったな?」
その言葉に「うん」とだけ返す。
「ごめんな、父さんの仕事のせいで」
「良いよ。仕方ないよ」
「友達と離れるの辛いだろ」
「……新しい友達作れば良いよ」
「そうだな。湊は強いな」
「そうでもないって」
大家との立ち合いは、後日、不動産屋の担当者がしてくれることになっている。荷受けは明日の午後からなので、自家用車で東京に向かい、駅前のホテルで一泊する予定だ。
「そろそろ行くか」
「うん」
「カナちゃんにはちゃんと挨拶したのか?」
「……うん」
した……とは言えないかもしれないが、湊にはあれが精一杯だった。だって、あれ以上を伝えようとすれば泣いてしまうのだ。男として、それだけは絶対に出来ない。
大丈夫、行こう、と言おうとしたその時、いまどきいたずらでもそこまでやらないだろうというほどにけたたましく玄関のチャイムが鳴った。ピンポン、と鳴り終わる前に次の音が波のように押し寄せてくる。そしてそのピンポンとピンポンの間を縫って、叫ぶような
「ミナ! ミナ! まだいるんでしょ! ねぇ! 開けて! ミナ!」
「……カナちゃんだな」
「うん、そうみたい」
「出てやれよ。そろそろ止めさせないと、最後の最後で御近所さんから苦情が来るぞ」
俊也は苦笑しながら湊の背中を押す。
「父さん、道中のジュースとかお菓子とか適当に買って来るから。ソファも何も無くても良いなら上がってもらいなさい」
「わかった」
俊也は鳴りやまない玄関の方を見て、もう一度笑い「急げ急げ。そろそろインターホンが壊れる」とおどけたような声を発した。
「カナ、そんなに押すなって――」
「ミナのばかぁっ!」
「はぁ?」
ゆっくりとドアを開けた先には、真っ赤な顔で仁王立ちしている要の姿があった。赤いのは顔だけではない。大きな瞳も真っ赤に充血している。大きく肩で息をし、歯を食いしばって湊を睨みつけているのだった。その表情に怯んだのは湊だけではなく、その後ろに控えていた俊也もである。俊也は湊に「お前、何かしたのか?」とそっと耳打ちし、彼が首を横に振ったのを確認してから、要に対して「オジサンちょっと出るから、ね?」と媚びるような声で言い、スニーカーの踵を踏んだままそそくさと出て行った。
俊也がいなくなり、玄関はしんと静まり返った。要は、依然湊を睨んだままである。
「……とりあえず、中入れよ。ここで騒いだらお隣さんに迷惑だから」
そう促すと、要は怒った顔のまま小さく頷く。
「ソファとか何も無くてごめん」
前を歩いていた湊はそう言って後ろを向いた。要は何も無い部屋をキョロキョロと見回している。
「何も無くなっちゃった。一緒に座ってゲームしたソファも。シール貼りまくって怒られたレンジ台も」
「……うん」
「どうして黙ってたの?」
「……ごめん」
「ごめんじゃなくて。さっきだって、どうして嘘って言ったの? あたし、ママが教えてくれなかったら、知らないままだったんだよ? 何も知らないで新学期に学校行って、ミナのこと探すんだよ?」
「……ごめん」
「あたしまだミナとしたいこといっぱいあった! 行きたいところもあったし、ゲームだってまだしてないのある! 中学入ったら、一緒の部活やろうねって約束したじゃん!」
「だからごめんって!」
「ごめんばっかり! いまさら謝ったってもう遅いよ!」
要はその場にしゃがみ込んだ。
「もうミナは東京に行っちゃうんでしょ……」
「ごめん……。あぁ、ごめんばっかりで、ごめん。どうしても言えなかったんだ。言ったら本当になっちゃうから」
「……言わなくたって本当だよ」
「そうなんだけど」
「あたし、ミナなんて嫌い」
「えっ」
「大っ嫌い!」
「そんなこと……言わないでよ……」
「嫌い嫌い嫌い!」
「カナぁ……」
「絶対手紙だって書かないし、携帯買ってもらってもメアドなんか絶対教えないんだから!」
要は泣きながら大声で言った。湊もまた、要からの辛辣な言葉に涙をこらえきれなくなっている。
「あたし絶対寂しくなんかないから! 夏休みになってもミナに会いになんか行かないし!」
そんなことを言いながら大粒の涙を流す要を見て、湊は気付いた。
そうだ、今日はエイプリルフールだ。でも本当は午前中しか嘘をついちゃいけないはずだ。
だけど――カナはまだ嘘をついていない。
彼女の射抜くような鋭い眼光は、こう語っているようだった。
『さっきのはノーカンだったんだから、良いじゃない』
――良いさ、そういうことなら。
「俺も、絶対に手紙書かない」
俺だってさっきのは嘘じゃなかった。だから、いま嘘をついてやる。
「あたしだって、絶対絶対ぜーったい書かない」
「今年の誕生日、携帯買ってもらう約束してるけど、メアドなんて絶対に手紙に書かない」
「あたしだって、絶対に教えない!」
「父さんが、夏休みになったらこっちに遊びに連れてってくれるって言ってたけど、絶対にカナに一番に会いになんて行かない」
「あたしだって、絶対に迎えになんて行かないんだから!」
お互いにお互いの意図を理解したまま、嘘合戦は尚も続いた。
離れてても一番の親友だなんて思わない
夜寝る前に、いまごろ何してるのかな、なんて思い出したりしない
辛いことがあった時、電話で助けを求めたりなんかしない
嬉しいことがあった時、それを報告なんてしない
2人だけの秘密は、他の人に言いふらしてやる
そんなことを「俺だって」「あたしだって」と乗っかりながら言い合った。涙はすっかり乾き、どちらからともなく笑みがこぼれる。
「そろそろ行かなきゃ」
父の車が戻ってきているのは、エンジンの音で気付いていた。暗くなる前にホテルに着かないとならないのである。本当のところ、2人に残された時間はあまり無い。
「……うん」
要も小さく頷いた。
「……手紙、書くから」
「何よ、さっきは書かないって言ったくせに」
「言ったけど」
「……あたしも書く」
「カナだって書かないって言ったくせに」
「うるさいなぁ」
「さっきのピンポン連打の方がうるさかった」
「そうだね。ごめん」
そんなことを言って笑いながら玄関を出る。案の定俊也はもう到着しており、これからの長時間ドライブに備え、シートを倒して居眠りをしていた。
要は湊の肩を軽く叩いてから右手を差し出した。別れの握手だと受け取った湊はその手を強く握る。そう思って油断していた湊の手を強く引き、要は彼の身体を、ぎゅう、と抱き締めた。
「ミナなんて大嫌いだよ」
「……それも嘘?」
「ミナの好きな方で良い」
「……じゃあ、俺も」
「俺も、何よ」
「カナなんて大嫌いだ」
「……それは、どっち?」
「カナの好きな方で良い」
2人はしばらくの間無言で抱き合い、そしてほぼ同時のタイミングで、ぷっ、と吹き出した。
「あははっ、エイプリルフールだね!」
「本当! エイプリルフールだ! 俺ら、嘘つきすぎ!」
「元気でね、ミナ」
「カナもな」
「あたし、頑張って勉強して東京の高校に行くよ」
「まじか。それじゃ俺も頑張る」
その言葉を最後に、湊は車に乗り込んだ。ドアの開く音で目を覚ました俊也が、すっかり大人しくなった要の姿にホッとしたような表情で彼女に手を振る。要もそれに応え、深く頭を下げた。
湊を乗せた乗用車はゆっくりと動き、一度、ファン、とクラクションを鳴らしてから走り去った。
大嫌い、と何回言っただろう。
薄い薄い嘘の膜越しに素直な言葉を吐き出した。
こんなことでもなかったら、言えなかっただろう。
だけど、だからと言って、これで良かったのだとは到底思えない。
やっぱりずっと一緒にいたかった。
そして2人はほとんど無意識に、同じタイミングでポツリと漏らすのだ。
「――大好きだよ」と。
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