♪26 楽しかったよ (終)
「伯父さん、お世話になりました!」
晴れやかな顔で両手に荷物を抱えたカナがぺこりと頭を下げる。
羽田空港の出発ロビーである。
リムジンバスを使うから大丈夫、と言い張る彼女を説き伏せて荷物持ちを買って出た
「梗子によろしくな。……っつっても、俺とは会ってねぇことになってんだったな」
んじゃ良いや、と続けたが、カナはううん、と首を振った。
「帰ったらちゃんとママに話す。転入のことも相談しないとだし」
「まじかよ。ほんっと、真面目だよなぁ。おかしくねぇ? 俺の姪なのによぉ」
「ふふん、伯父さんの姪だからじゃなぁい? 伯父さん、だらしないように見えて結構きっちりしてるしぃ~」
何か含みのある笑いをしてから、カナはぱちんとウィンクをしてみせた。
「そぉかぁ?」
「カトラリーとかスパイスラックもきちんと整頓されてたし、それに――」
そこで一度区切ると、カナは湖上の
腕をとって強引に腰を落とさせ、背伸びで届く位置に来た彼の耳元に口を近付ける。
「小さい頃の
「――っ!? おまっ! 見たのかっ!」
慌ててカナから離れ、恐ろしいものでも見るかのような目で彼女を見つめる。そしてカナはというと必死に笑いを堪えているようだった。
「だぁってベッドサイドの本棚にきちんと並んでるんだもん。いままでほとんど関わりのなかった姪としてはさ? やっぱりこれまでの空白を埋めようかなって思うわけじゃん?」
「じゃん? じゃねぇよこの野郎……」
「あっははー、なぁーんちゃってぇ。半分は嘘かな。伯父さんの思い出にはこれっぽっちも興味なかったんだけど、晶君……じゃなくて晶ちゃんが伯父さんの子だって聞いちゃったから、そしたら小さい頃の写真とか見たいじゃーん!」
「くっそぉ……俺としたことがうっかりしてた……」
「何で男の振りしてたのかは聞かないであげる。絶対に言い触らしたりしないから安心して。ママにも内緒にしといてあげるからさ」
両手を腰に当て、勝ち誇ったような顔でそう言い切ると、カナは「だからその代わり……」と媚びたような視線を送って来た。
「……何だよ」
とっておきの弱みを握られてしまった以上、彼に拒否権は無い。
「ママの説得、手伝ってね!」
「何だそりゃ」
「あたし一人じゃ負けちゃいそうなの! 伯父さん口が上手そうだから。ね? お願い!」
顔の前で両手を合わせ必死に懇願する姿を見て湖上は「仕方ねぇな」と呟いた。
「あと!」
「まだあんのかよ!」
「無事転入出来たら、また泊まりに行くから、あたしの分の部屋着準備しといてね」
「何で俺が……。女の部屋着なんてスケスケの下着ぐれぇしか知らねぇぞ」
「うわっ、引くわ――……。じゃ晶ちゃんに選んでもらえば良いでしょ」
「ばーか。アキに女の趣味がわかるかよ」
「んじゃ、あの『彼女』のお兄さんにお願いして」
「はぁ?
「ふふ、やっぱりあの人が『彼女』だったのね」
「ん? ――あっ! てんめぇ!」
「へへー、お返しぃ~。伯父さんも案外ちょろいのね」
「……っとにお前はよぉ……」
急にどっと疲労感が襲って来て、湖上はがくりと頭を垂れた。
「まぁ、部屋着の方は麻美子ちゃんにでも聞いて準備しといてやらぁ。とっととシアトル帰れこん畜生」
悔し紛れにそう呟くと、カナはわずかな距離を駆け足で詰め、彼の胸に飛び込んだ。
「じゃあね、伯父さん。楽しかったよ」
「おう。今度はおかしな嘘つくんじゃねぇぞ。それから、料理はちゃんと梗子に習っとけ」
「わかった、頑張る」
じゃ行くね、と言って、カナは荷物を持って歩き出した。さらりと揺れる長い髪が人の波にのまれていくのを見つめていると、彼女は一度だけ振り向き、彼に向かって手を振った。
「……俺も楽しかったよ」
絶対に彼女には届かないほどの小声でそう呟く。
ほんの2週間前まで確かにあった心の空洞は、いつの間にやら塞がっていた。
何が隙間だ空洞だ。
好きでもねぇ女に埋めてもらわなくたって、俺の中は大事な家族でパンパンじゃねぇか。
娘のアキには章灯がいる。
娘の郁には千尋がいる。
親友のオッさんには咲ちゃんと
妹の梗子には娘の要がいるし、むさくるしい弟達もいるし、両親もいる。
俺には、皆がいる。
皐月には死んだら会えるだろう。
これ以上詰め込んだらパンクしちまうじゃねぇか。
クククと笑って大きく伸びをした。
「久し振りに実家に顔でも出すかなぁ」
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